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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
5章 【過ぎ去りし日に】
116/202

◆箱庭の姫君は笑う(7)

 シャルロッテやメイナードから、面と向かって悪意をぶつけられたのが相当堪えたのだろう。イリーネはそれから体調を崩し、熱を出して数日間寝込んだ。久々に帰宅して疲れているだろうに、エレノアはイリーネのためにすべての時間を費やしていた。


 しかしエレノアは、仕事の報告だとかで王城へと出向かなければならなかった。すぐに戻ってくるのだろうが、それでもエレノアはイリーネから離れなければならないのが嫌だったらしい。それはイリーネも同じだったようだ。

 カーシェルとアスール、そして彼らに手を引かれたイリーネが離宮の門までやってくる。本調子ではないのに、エレノアを見送ると言ってきかなかったのだ。


「ここまでで大丈夫よ。夜には戻るから、ちゃんと寝ていなさいね」

「うん、お母様。いってらっしゃい」


 笑みを見せたイリーネだったが、やはりどこか元気がない。


 見送りを済ませたイリーネは、真っ直ぐ屋敷には戻らずにふらふらとカイの方へやってきた。そして、ベッドか何かと勘違いしているのではないかと思うほど容赦なく、カイの背中に倒れこんできたのである。さすがに多少は遠慮してくれないと、カイでも息が詰まる。


「あっ、こらイリーネ。ミルクが重たがってるだろ」

「だってぇ……ずっと部屋で寝てて、ミルクと会えなかったんだもん……」


 カイは首を捻って、イリーネの顔をすり寄せる。長毛ごしでも、イリーネの小さな身体が火照っているのは伝わった。まだ熱があるのだろう。


(無理しちゃって)


 カイは前を向き、目を閉じた。


 この広い離宮には、小規模ながら立派な池がある。その水気が満ちているため、魔術を使う状況としてはうってつけだ。

 ピキっと音をたてて、周囲の空気が凍結する。驚いたカーシェルとアスールが飛び退くが、イリーネは不思議そうに空中を見ている。次第にその空間に、掌に収まるほどの氷が現れた。それを操り、イリーネの目の前まで移動させる。


「氷の魔術……!」


 カーシェルがぽつりと呟く。驚くのも無理はない。カイはここに来て、初めて魔術を使ったのだ。それに氷は高級品。イリーネの熱を冷ましてやるにも、水程度ではすぐにぬるくなってしまう。王城にならいくらでも氷はありそうだが、それをカーシェル個人が熱冷まし用として手に入れられるかというと、難しいことだった。


 カイの創りだした氷は、優しい氷だ。手を怪我するような鋭利さはなく、火傷してしまうほど冷たくもない。素手で触っていても問題はないくらい、ある意味で温かい(・・・)ものだ。


「すごい。ミルクも魔術、使えるんだね。私の治癒術とおそろい」


 イリーネは嬉しそうに氷を両手で受け取って、ぴったり頬にあてがう。火照った身体には冷たくて気持ちいいだろう――もっと早くこうしてやれば良かった。化身族だとばれて、居場所を失うのが怖くて、魔術を使うのを無意識に避けていたのかもしれない。


 けれどもう、これで時間の問題だ。魔術を使える獣――アスールは化身族だと確信したはずだ。イリーネがカイの正体に気付く日も、近いのだろう。





★☆





 気がつけば、イリーネたちに出逢ってから一年近くの月日が経過していた。


 寿命の長いカイからすれば、一年などあっという間のことだ。だが成長期の少年少女たちはそうもいかない。三人とも最初に会った時より身長は随分と伸びた。特に成長目覚ましかったのはアスールだ。ぐんと背が伸びたアスールの背丈は、驚いたことにカーシェルより少し高くなっている。剣の腕前も、この一年しごかれ続けたおかげでかなり上達していた。おどおどしていた態度も嘘のように、よく笑い、よく不満を顔に出す。女の子の成長は早いと言うが、男の子も早いなあ、とカイは時の流れをしみじみと感じる。


 一年間の留学期間を終えたアスールは、この日サレイユに帰国するために出発する。イリーネは朝から大号泣で、聞き分けの良い彼女らしくもなく「帰らないで」とアスールにすがりついていた。頼もしい兄がもうひとりできたようで、嬉しかったのだろう。アスールとて帰りたいと思ってはいないだろうけれど、最初から決まっていたことなのだ。カーシェルが宥めて、イリーネもやっと引き下がっていた。

 今はアスールを見送るため、カーシェルはエレノアやイリーネと共に王城の正門に行っている。さすがに同盟国の客人の見送りをイリーネがすることを、シャルロッテやメイナードも咎めないだろう。隠れ暮らしているとはいえ、彼女は正真正銘の姫君なのだから。


 アスールとの別れは、もうカイは済ませてある。最後までアスールは、カイが化身族なのではという疑惑を顔にも口にも出さなかった。ただ去り際に「今度会ったときは話をしよう」とささやかれたので、内心ぎくりとしたものである。

 カイは相変わらず離宮の庭で、ひとり寝そべる。使用人も殆どアスールの見送りに出払っていて、いつになく静かだ。


(俺も、どうするか決めなきゃいけないな)


 アスールが去ったばかりなので、もうしばらくはここにいるとして――さてどうするか。去るか、去らないか。きちんと別れを告げるか、それとも気付かれないように消えるか。


(残るのは無理だな……王族が化身族を「従える」のならともかく、「家族」として傍に置くなんて。それじゃカーシェルやイリーネの立場が悪くなるばっかりだ)


 合法的にこの場所に残るのなら――契約具を捧げ、神国軍に降るしかない。が、軍属になるのは御免なのであまり気が進まない。それに軍に所属したとしても、それでイリーネたちの傍にいられるわけではないのだ。この案は却下である。


 しかし、あまりに居心地の良いこの場所をなんのきっかけもなく引き払うのは、なんだかとても切なかった。そんなことを言っている場合ではないのだろうけれど、本心だ。出て行かざるを得ないような状況にならないと、重いカイの腰は上がりそうにない。


(もういっそ開き直るか。混血で何が悪い、化身族が一緒で何が悪い、って……)


 無理だ。力がものをいう化身族の間ならともかく、人間社会でそれは通用しない。複雑な政治や国家の様子を見ているのは嫌いではないけれど、こういうときは単純明快な化身族の社会が羨ましい。反論する者を力づくでねじ伏せれば、要求は全部通ってしまうのだから。


(……もう少しだけ、様子を見るか……)


 結局そんな結論に達する。このままでも、イリーネのお昼寝枕や涙を拭くタオル代わりにはなれる。カーシェルの相談にも乗ってやれる。ニキータから教わったことや、旅の間仕入れた情報で、少しはカーシェルの力にもなれるかもしれない。


 そろそろ見送りも終わって、イリーネたちも戻ってくるだろうか。

 寝そべっていた身体を起こしたカイは、大きく伸びをして身体を伸ばす。またイリーネが泣いているかもしれないなあと想像して思わずカイが笑いそうになった、その時――。


 微かに地面が振動した。小さな地震だろうかと思ったが、カイの聴覚が遠方の音を拾った。神経を研ぎ澄ませて、カイは集中する。


(今のは――爆発音? それに、悲鳴?)


 音がしてきたのは王城の正門方向だった。まさか、カーシェルたちに何かあったのか。


 カイは軽やかに駆け、一息で屋敷の屋根に飛び乗った。これだけ高い場所からなら、正門も見えるはずだ。

 そう思って屋根に乗り、振り返ってみたのだが――探すまでもなかった。正門の方向に、細く黒い煙が上がっていたのだ。間違いなく、何かがあったのだろう。

 現場まで行ってみようか。それとも、この離宮の留守を守り続けたほうがいいのか。咄嗟に判断がつかず、カイはしばし逡巡した。


 すると、離宮へと至る道をひとりの少年が駆けてきた。カーシェルだ。どういうわけか傷だらけで、服の裾はすり切れて肌からは血が滲んでいる。カーシェルは離宮の敷地内に入って、声を張り上げた。


「ミルク! どこにいる!?」


 カイはすぐさま屋根から飛び降りた。カーシェルはカイの前まで走り寄り、膝をつく。


「まずいことになった……! イリーネがいなくなったんだ!」


(イリーネが? テロの類か……?)


「アスールの見送りに立っていた使用人が、この爆発を引き起こした。おそらくあれは……教会の人間だ!」


 カイは化身を解いた。眉をしかめながら腕を組み、思案する。


「……イリーネが混血だってことを知った教会が、その存在を抹消しようとしたってところかな。でもそれだと、わざわざ連れ去った説明がつかない。イリーネの命と混血の事実を盾にして、王家にさらなる圧力をかけようとしているってところか――」


 そこまで呟いたところで、カイはふと視線を下に向けた。地面にしゃがみこんだままのカーシェルが、ぽかんとした表情でカイを見上げていたのだ。


「なに?」

「いや……予想外の見目だっただけに、ちょっと驚いた」

「意外と若かったのか、年寄りだったのか、どっち?」


 カーシェルは笑って誤魔化す。まったく、そんな場合ではないだろうに。確かにカーシェルと面と向かって話すのは初めてだが、今のやり取りでカーシェルも多少の冷静さを取り戻したようなので、まあいい。


「アスールやエレノアは大丈夫?」

「アスールは少し負傷して手当てを受けている。母上は無事だ」

「そう……これだけ早くイリーネの行方が分からなくなるってことは、まだ近くで隠れているか、とんでもない速さで逃げたか、どっちかだろうね」

「後者だとしたら……化身族か?」

「たとえば、鳥族のね。ハンターって可能性もあるよ」


 教会に雇われたハンターがイリーネを襲った。一番妥当な線かもしれない。ハンターは傭兵といってもいいような存在だし、狩人協会からではない個人的な依頼を受けることも多いのだ。例え汚れ仕事でも、金になるなら仕事をする。


 カーシェルが歯を食いしばる。


「……シャルロッテ殿とメイナードが、笑っていた」

「笑う……?」

「厳重に秘匿していた情報が、こんなあっさり外部に漏れるはずがない……! 誰かが通じていたんだ、教会と。それがシャルロッテ殿だとすれば……」

「まあ、そのくらいやりそうなおばさんではあったね。教会寄りのヒトみたいだし」


 宗教国家リーゼロッテの国政は、王家と教会が微妙なバランスを保って行われてきた。協力体制を取ってはいるものの、互いに権力を牽制しあってここまできている。だが長い神国の歴史の中では、時に王家が教会を無視し、時に教会が王家を蔑ろにしてきた。むしろこのふたつの勢力は、古来から対立関係にあったといっても過言ではないほどだ。

 現在はそれなりに両者とも平穏だが、国王ライオネルは敬虔な女神教信徒だと聞く。だとすれば、王家が教会に呑みこまれるという可能性もないわけではない。シャルロッテが国王をそそのかし、更に宗教へ傾倒させようとすることもできるだろう。


「こんなことが公になったら……」


 カーシェルがぽつりと呟く。それを聞いたカイが、組んでいた腕を下ろした。


「公にしたくない、つまり大々的な捜索はしたくない。しかしイリーネは奪還しなければならない。でも教会を名指しで犯人扱いはできない。とはいえ誰かが責任をとらなきゃ問題になる。そうだ、適当な人物を犯人にしてしまおう――そんな感じ?」

「は……? 何を言って……」

「常套手段でしょ。……俺がイリーネを探してくるよ。カーシェルは怪我の手当てして、待っててね」


 それだけ告げてカイは歩きはじめる。そこでカイの意図を悟ったのだろう、カーシェルが慌ててカイの腕を掴んで引き留めた。


「ま、待て! そんなこと……俺にはできない。頼むから……!」

「……カーシェル」


 このときばかりは、カーシェルは頼るべきものを失ったひとりの少年の表情をしていた。カーシェルに頼られるなんて、そうあることではない。少し年上としていい気分だ。


「言ったでしょ。必要があれば斬り捨てろって」

「だけど……何も貴方が、全部抱え込むことは……! こんなことをしてもらうために、貴方にイリーネの傍にいてもらったわけじゃない!」

「分かってるよ。だからこれは、俺が勝手にやること」


 カイは肩を竦め、カーシェルに向き直った。


「それに何か勘違いしているみたいだけど、別に俺は死ぬわけじゃないよ。自分で言うのもなんだけど、俺って生存欲は強いから。死にそうになったら逃げるって」

「……」

「ちゃんとイリーネを助けてくるから、お兄さんに任せなさい」


 カーシェルはカイを引き止めていた手を放した。そして彼はカイを見上げる。


「……以前、イリーネが言っていた。ミルクと、旅に出る約束をしたと」

「あらま、覚えてたんだね、あの子」

「事実なのか?」

「俺は約束したつもりだよ。あの子がいつか、それを望むなら。……勝手をしたこと、怒ってる?」

「いや、むしろ俺は感謝しているんだ。俺には絶対、叶えてやれない夢だから。……ミルク、俺とも約束をしてくれないか」


 改まったその言葉に、カイは少年に向き直る。カーシェルはもう、すがるような目はしていなかった。


「たった一年、共に暮らしただけの縁……縛り付けるような真似は本意じゃない。だが、貴方にしか頼めない。これから先、イリーネが危地にあったら助けてやってほしい。俺やアスールにはとれない方法を、貴方は実行できるはずだ」


 カイは笑う。軽くカーシェルの頭に手を置くと、カーシェルは驚いたように目を見張った。この王太子を子ども扱いする者など、カイくらいしかいないはずだ。それでもカーシェルは、カイの無礼を怒りはしなかった。


「人間は面倒だね。立場や法律や権力があって、やりたいことも自由にはできない」

「ああ……本当に面倒だ。でも、俺たちはこの世界で生きて行かなければいけない」

「そうだね。心配しないで、カーシェル、俺は元々そのつもりだ。約束するよ。俺は、君たちが望むなら、その望みを叶える」


 忘れたりなどしない。カイは記憶力がいいのだ。イリーネやカーシェルがカイとの思い出を忘れても、約束を忘れても――カイは忘れることなどできそうにない。自分が覚えている限り、約束は有効だ。

 イリーネだけではない。カーシェルやアスールが困っていても、すぐ駆けつけよう。この子たちが思い描く、化身族と人間の未来が実現することが――カイには待ち遠しいのだ。

 手始めにまずは、イリーネを助けに行く。そして、カーシェルの頭を悩ませる厄介ごとをひとつ、持って行ってやろう。


「……ありがとう。俺は貴方に頼ってばかりだったな」

「そんなことないさ。君はたいしたやつだよ」

「ふふ、それこそ買い被りだ……なあ、教えてくれないか? 貴方の本当の名前を」


 カイはその要求に、快く答えた。


「カイ。カイ・フィリードだよ」

「カイ――忘れない。貴方と出会えて、俺は嬉しかった」

「俺もだよ」


 カーシェルがカイに頭を下げる。カイは軽くカーシェルに手を振り、化身して駆け出した。もう後ろは振り返らない。




 敵は色々と想像してはみたが、結局どの推測が正しいのかカイには分からない。ハンターかもしれないし、人間がイリーネを背負って逃げたのかもしれない。こんなことになるなら契約具をイリーネに渡しておけばよかったと、本気で後悔する。


 犬のように鼻が利かないカイは、並外れた聴覚となけなしの頭脳で勝負するしかない。敵がどんな存在で、その心理的にどこへ逃げるか――王家との取り引きにイリーネを使いたいなら、イリーネを傷つけることもないだろう。神都のどこかに潜伏しているはずだ。


(誰だか知らないけど、いい度胸だ。……ぶっ潰してやる)


 運動不足解消に丁度いい。


 イリーネを誘拐し、カーシェルとアスールを傷つけた。ぶっ潰す理由は、それで十分だ。

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