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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
4章 【水と夜光の絢爛 サレイユ】
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◇警笛は鳴る(5)

 王都グレイアースを出発して四日――トラブルもなく、イリーネたちは順調にサレイユ国内を移動できた。先行したジョルジュが連絡したのだろう、行く先々の街の監察府からイリーネたちは援助を受けられた。同時にケクラコクマ王国軍侵攻の報も伝わり、南の街へ行けば行くほど民衆の緊張感も高まっていくようだった。紛争がたびたび起こる国境付近に住む人々は、その度に不安を覚えるはずだ。それでも混乱にまで発展しないのは、これまで南方軍がきちんと紛争を鎮圧してきたという実績と信頼があるからだろう。


 ただひとつ予定外だったのは、この日になって雨が降り始めたことだ。朝は晴れてすらいたのに、みるみるうちに黒い雲が空を覆い、あっという間に冷たい雨が降ってきた。雨宿りしても良かったのだが、まだ時間も早く、歩みを止めてしまうのは非常に勿体ない。マントでしっかり雨と寒さを防ぎ、視界の悪くなった街道を慎重に進んでいく。


「もう少し行くと、リゼットという街に着く。そこまで行けばブランシャール城塞は目の前だ」


 アスールがイリーネを振り返ってそう告げる。上空のニキータは翼が重くなるのを嫌ってか、少し飛ぶスピードを速めてリゼットに向かっていた。


「城塞のそんな傍に、普通の街があるんですね」


 イリーネがやや驚いてそう言うと、アスールは微笑んだ。


「ブランシャール城塞が建造される前まで、リゼットが国境防衛のために重要な都市だったのだ。今でこそ機能は失ったが、かつては軍事拠点でもあったのだよ。……で、そのリゼットに駐留していた軍の司令官を長年務めたのが――」

「ローディオン家の始祖、とか?」


 カイがにょっきり、アスールの後ろから顔を出す。もうすっかり抵抗を諦めて、アスールの後ろで悠々と馬上の旅を楽しんでいるようだ。


「その通り。だからローディオン家は昔から武門として由緒ある家なのだ」


 つまりリゼットは、ローディオン家の本領。アスールの力がもっとも発揮される街だ。ローディオン家は貴族として歴史が古く、今では王都グレイアースに巨大な邸宅を持ち、軍務大臣などはそこで暮らしている。だが元々のローディオン家の土地はリゼットであり、王都で生まれ育ったアスールも長い休みにはリゼットで過ごすこともあったそうだ。リゼットの本邸は軍務大臣の長男――ソレンヌの兄でアスールの伯父――が預かっているという。


「貴族とはいえ、元は軍人の家系だ。女子供関係なく、一族の者は鍛えられた。国境紛争が起きた時には今でもローディオンの私兵団が軍に加わるくらいだよ」

「だからソレンヌ様もお強かったんですね」


 【獅子帝】の襲撃を受けた時、颯爽とナイフを投じてアスールを救ったソレンヌの姿が目に焼き付いている。あんなに格好いい女性は、チェリンに出会って以来だ。

 アスールは苦く笑って頷いた。


「実を言うと、最初に刀剣の扱いを教えてくれたのは母上なのだ。ペンより先にナイフを持っていたくらいでな」

「なんておっかない教育……」


 チェリンがぽつりと呟く。ソレンヌがアスールに仕込んだのは「剣技」とは呼べない程度の技術だったのだろうが、これほどアスールが剣を腕のように扱えるのはそのおかげだろう。


「まあ、ともかく。ここに来るまで城塞からもジョルジュからも緊急の伝令はなかった。今のところ戦況は落ち着いているようだ」

「既に全滅って説もあるんじゃない?」

「不吉なことを言うでないよ」


 不謹慎なカイに、アスールは肘鉄を食らわせる。さらりと受け流して、カイは表情や声を改めた。


「けど、どうなの? 今回の侵攻はまったくの偶然?」

「そうだとは思うが……時期が時期だからな。メイナードが動いた可能性も否定はできない」


 カイもアスールも慎重だった。メイナードと【獅子帝フロンツェ】は、何をしでかすか分からない。何をしでかしてもおかしくない。そう思ってしまうから、今回のケクラコクマ侵攻にもメイナードの関与を疑ってしまうのだ。


「例えばだ。この先どこかでメイナードと対峙したとして……その時、あんたはどうする?」


 カイはそんな問いを、アスールに投げかける。しばらく黙ったのち、アスールは答えた。


「生かして捕え、国際法に基づき裁く」

「……そう。『討つ』とでも言うかと思った」

「私には彼を裁く権利などないのだよ。ヒトを裁けるのは、法だけだ」


 それはまるで、自分に言い聞かせているようでもあった。アスールが――いや、アスールとカイが誰を思って「メイナードを生かす」と言ってくれているのかは分かっている。イリーネのためだ。ただでさえイリーネは殺しを好まない。加えて、その相手が兄となれば――。


「私もそうしてほしい――です。でも」


 イリーネが言葉を切ると、三人は続きを黙って待っていてくれる。


「……でも、メイナード王子を生かすことに拘って、カイやアスールやチェリンが危険な目に遭うのは絶対に嫌です」

「イリーネ……」

「だから、私のことは気にしないでください。もしもの時は、遠慮なんてしないで。そうなっても文句が言えないくらい、メイナード王子は酷いことをしたんです」


 薄情なのは記憶がないから、と言ってしまえばそれまでだし、多分それが事実だった。今のイリーネにとって、よく知らない実の兄よりカイたちが大切なのは当然なのだ。


「――人間の作った法に、俺が従う義理はない。いざとなったら、俺が殺る」


 真っ先に主張したのはカイだった。


「アスールが殺したら、国際問題になるでしょ。俺はそんなの今更だし、賞金額が跳ね上がるだけだからね」

「またお前はそんな風に……」

「俺だってイリーネと同じ気持ちだよ。メイナードを捕まえるためにみんなが傷つくのも、勿論俺が死ぬのも、絶対に御免だ」


 いつだってのんびり口調のカイの声は、雨の向こうから聞こえてくるというのに力強く感じた。カイも危機感を覚えている。メイナード――主にその手足となり動く、【獅子帝】の存在に。


「そんなことになるんだったら、俺が討つよ。だからイリーネも……色々と覚悟だけは、しておいて」


 メイナードを殺す覚悟。【獅子帝】を殺す覚悟。カイが――殺される覚悟。


 口でそんなことを言っても、きっとカイはメイナードを殺さずに捕えようと努力するのだろう。最初にカイは、ヒトを殺さないとイリーネに約束したのだ。十五年以上ひとつの約束を覚えていたカイが、一度でも交わした約束を簡単に破るはずがない。

 アスールは、きっとカイより早い段階でメイナードを生かす道を諦めると思う。刺し違えてでもメイナードを殺そうとするのだろう。――だから、自分に任せろとカイは告げているのだ。アスールより粘ってみせるから、と。


 紛れもなく、カイのそれは優しさだった。


「……ありがとう、カイ」


 街道の先に、ぼんやりと街の姿が見えてくる。イーヴァンやサレイユでは見なかった、城壁で囲まれた都市――あれがリゼットの街だ。





 街全体を覆う黒々とした城壁や、それが醸し出す威圧感は、フローレンツでよく見た城壁都市の雰囲気と酷似していた。雨が降っていることもあって、さらに物々しい。

 リゼットの南には、鬱蒼と木々が密集する森があった。あの森を抜けた先は、真っ平らな地面ばかりが続く。エルネスティ平原と、ブランシャール城塞があるのだ。


 戦時だからだろう、リゼットの城門は固く閉ざされていた。それでもアスールが声をかけると、いとも簡単に門番が中へ入れてくれる。

 街に入れたところで、上空からニキータが下りてくる。化身を解いたニキータも、その背に乗っていたクレイザも全身びしょ濡れだ。


「ああ、濡れた濡れた。風邪引いちまうぜ、まったく」

「そんな(やわ)じゃないでしょ。第一、何とかは風邪引かないって――」


 ぼやきにお決まりのツッコミを入れたカイを羽交い絞めにしつつ、ニキータはアスールを振り返った。


「この雨のせいで詳しくは見えなかったが、とにかく今は戦いも起きていないみたいだぜ。城塞も静かだ。既に一戦やらかした後か、それともまだ何も起こっていないかな」


 ブランシャール城塞へ行くには、まずリゼットの街を突っ切らなければいけない。馬を降りて引きながら大通りを南に向けて歩いていくと、前方から数名の兵士を引き連れた男性が駆けてきた。サレイユ王国軍の青い制服を着てはいない。


「……シメオン伯父上!」


 アスールがそう呼びかけたので、驚いてもう一度男性を見る。鎧を身につけて武装してはいたが、すらっと線の細い、優美な印象の男だ。だが栗色の頭髪や少々吊り気味の目元は、ソレンヌにそっくり。このヒトがソレンヌの兄で、ローディオン家の嫡男のシメオンだろう。

 供に連れているのは、ローディオン家の私兵だ。上流貴族は自ら兵力を保持していることが多く、特に武門として有名なローディオンも当然それを組織していた。正規軍の一個中隊にも遅れを取らないほどの強さだそうだ。勿論このシメオンも、かなりの使い手に違いない。


「アスール、本当に来たのか。昨日のジョルジュに続いて、君まで……一体どうしたと言うんだ?」


 シメオンは事情を知らないようだった。半日ほど早く先行していたジョルジュは、どうやら詳しい説明をせずに城塞へ急いだらしい。リゼットの住民にとって、国境紛争は日常茶飯事だ。いつだって駐留の南方軍の尽力で事なきを得ていたというのに、今回に限って精鋭騎士であるジョルジュが駆けつけ、果ては王子アスール自らもやってきたのだ。只事ではないと分かるだろう。国王死亡の報も、メイナード襲撃の報も、ここには届いていない。


「……今回の侵攻に、リーゼロッテが一枚噛んでいる可能性があります。杞憂ならばいいのですが、念のためにジョルジュを遣わせました」

「リーゼロッテ……!? 上層部は神国との同盟を破棄するつもりだと聞いていたが、まさかその関係か?」

「いえ、それは関係ないでしょう。そもそもメイナードの目的は――」


 そこで突如、アスールは言葉を切った。黙り込んでしまったアスールの顔を覗き込む。


「アスール……?」


 眉根を寄せて何か考えているその表情には、『嫌な予感がする』のだとはっきり書かれていた。

 ぱっと顔を上げたアスールは、シメオンに向けて口早に告げる。


「とにかく伯父上、リゼットの街の警備を怠りなくお願いします。私は城塞へ向かいます」

「あ、ああ、任せてくれ」


 気圧されるシメオンを残して、アスールはさっさと歩きはじめてしまった。やや呆気にとられたイリーネたちも、慌ててアスールを追いかける。カイが小走りにアスールの隣に並ぶ。


「どうしちゃったの?」

「気がかりなことがある。メイナードが狙っているのは、諸国の王の首だ。そのことについてイーヴァンやフローレンツの王には警告が出来たが、ひとり私からは警告できない相手がいた」


 それを聞いたクレイザが息を呑む。


「……サレイユと敵対している、ケクラコクマの王ですね」

「そうです。民間では通商が行われているとはいえ、国家としての交流は断絶していますから。いくらダグラスでも、ケクラコクマの王へ内密の連絡などできないでしょう。まず信じてもらえないでしょうしね」


 市街地なので馬に飛び乗って駆けられないのがもどかしそうなアスールは、歩調だけでなく喋りもやや速い。興奮と焦りが混じっているようだ。


「ケクラコクマ軍は強い。人員も多いし、所属する化身族も強者揃いだ。リーゼロッテ相手に単独でぶつかれるほど、かの国の軍事力は高いのだ」

「そんな国を相手に、サレイユはいつもよく無事だったね」

「まったくな。ま、サレイユは神国の『おまけ』のようなもの。国境紛争はただの牽制だよ」


 苦笑して、アスールは話を戻す。


「多数の化身族に守られたケクラコクマ王に近づくのは、いくら【獅子帝】といえど難しいはずだ。あの者の接近に、イリーネやカイ、【黒翼王】殿はすぐさま気づいた。つまり魔力持つ者にとって、【獅子帝】の存在を察知するのは容易というわけだな。加えて、あの者の“拘束(ホールド)”の範囲は、議会場だけのものだった。あれが限界ということかもしれぬ。つまりかなり対象に近づかなければ暗殺はできない」

「珍しく回りくどいね。それと今回の侵攻に、どういう関係が?」

「防備の硬いケクラコクマ王がひとりの護衛もつけずに、無防備になる瞬間が――戦場にある」


 それがアスールの結論らしいが、まだイリーネには事情が呑み込めない。見かねたニキータが口を出す。


「ケクラコクマの王は、ファルシェ以上に奔放で豪胆だと思ってくれりゃいい。戦場には必ず赴き、自ら前線に出て戦うことで有名だ。それがたとえ、牽制のためにちょっかいを出したサレイユとの国境紛争でも、だ」

「! ということは、今回の戦いにも……!?」


 当然、ケクラコクマ王は親征してきているはずだ。戦場では化身族の放つ魔術が飛び交うため、ひとり魔力を持った見知らぬ男が入り込んだところで、誰も気づかないだろう。そうして王に近づくのが目的ならば――。


「メイナードの目的は王を殺すことではなく、指導者を失ったことで起こる国家の瓦解だ。だとすれば、多くの注目が集まる場所でそれをするだろう。父上のときだって、寝込みを襲えばいいものを、わざわざあんな目立つ議会場の壇上で行動を起こしたのだからな」


 つまりメイナードは、戦場のど真ん中でケクラコクマ王を狙う。ジョルジュからの連絡がないから、まだそれは達成されていないのだ。


「この戦いにメイナードが噛んでいるのかどうか、そんなことは重要ではない。とにかく城塞へ急がなければ」


 リゼットの南門に到着する。街から出るや否や、ニキータとクレイザは上空に飛び上がり、残りの四人も馬に飛び乗った。雨のせいですっかり衣服は重たいし身体も冷たいが、今はそれを気にすることもできない。

 リゼット南の森を、二頭の馬が駆け抜ける。馬の肢が泥水を跳ね上げた。視界は悪いが道は一直線だ、前を行くアスールを必死で追いかける。


 あっという間に森を抜けた。その先は道が途切れ、代わりにあったのは広大な平野だ。このときに感じた雄大さは、どことなくギヘナ大草原を初めて見た時の感覚と似ている。

 そのエルネスティ平原にどっかりと鎮座する、巨大城塞。周囲を深い濠で囲み、城壁には多数の投石台や弩が設置されているのが見える。


 これが、サレイユ=ケクラコクマ国境の要衝、ブランシャール城塞。

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