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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
4章 【水と夜光の絢爛 サレイユ】
103/202

◇警笛は鳴る(3)

「それは確かな話!?」


 クレイザが問い詰めると、アーヴィンは少々たじろいで頷く。


「こ、この目で見てきました。そもそも僕は、ファルシェ王からケクラコクマの動向が怪しいって連絡をもらっていて……クレイザ様たちに知らせる前に確認しようと、南まで行っていたんです」

「その少年の言う通りです」


 背後から声がかけられた。振り返ると、ジョルジュがこちらへ歩いて来ている。アスールが前に進み出ると、ジョルジュが報告する。


「たったいま、南方軍より伝令が到着しました。ケクラコクマ王国軍が国境地帯に布陣を開始しているとのことです」

「……ここ最近は、ケクラコクマも大人しいと思っていたのだがな」


 アスールが難しい顔で腕を組む。だが、アスールもジョルジュもそこまで隣国の侵攻に驚いている様子はない。まるで慣れたことのようだ。


「ケクラコクマは昔から、隙あらばサレイユとリーゼロッテにちょっかいを出してきていてな。おそらく、ここ最近のサレイユの国情不安が漏れたのだろう。……こうならないために議会の決議を急いできたつもりだったが、これでも時間がかかりすぎだったか」

「今回も、ちょっかい程度だといいね」


 カイがもたれていた柱から背を放し、しゃんと立つ。だいぶ失った魔力も戻ってきたらしい。


「メイナードが何か仕掛けた可能性もないわけじゃないでしょ」

「……その通りだな。南方軍の兵力は充分とはいえ、念には念を入れるべきだ。王都から援軍を出す」


 アスールが同意を示して頷く。ジョルジュがそんなアスールに頭を下げた。


「アスール様、先遣の任は我がフェレール騎士隊にお任せを」

「頼む」


 ジョルジュが指示を受けて踵を返す。アスールはさらに、ニキータとアーヴィンを振り返った。


「【黒翼王】殿、それからアーヴィン、ひとつ頼みがあります」


 アーヴィンは目を白黒させているが、ニキータは不敵に笑ってみせた。


「分かってるぜ。ファルシェとフローレンツ王の身辺警護、だろ」

「はい。メイナードが本当に各国の首脳を殺す――『王狩り』をするつもりなら、イーヴァンやフローレンツも危険です。しかし陸路で使者を送るとなると、途中で妨害される恐れもある」

「だから空を飛べる俺とアーヴィンを使おうってか。いい度胸してるぜ」

「すみません」


 謝りながらも、アスールはちっとも悪びれていないようだった。ニキータはそれを快く引き受け、アーヴィンの腕を引いて歩き出す。長身巨躯のニキータに引きずられる小柄なアーヴィンは、まるで持ち運ばれているような小ささだ。


「行くぞアーヴィン。お前はファルシェのところへ戻って事態を伝えろ」

「え、ちょっ!? 何が何だか、僕にはさっぱりなんだが!」

「俺はフローレンツにも顔が利くからそっちに行くが、そのあとはお前の仕事だ。ファルシェのところに行った後、急いでフローレンツに来いよ。俺と交代してフローレンツ王を守れ。イーヴァンはヒューティアに任せりゃ、なんとかなるだろうからな」

「僕の話を聞いてくれ!」

「それじゃ行ってくるぜ。俺は夜には戻る」

「おいこら、ニキータ!」


 不憫なアーヴィンは、満足に事情も説明されないままイーヴァンにとんぼ返りである。クレイザが議会場を出ていくふたりに手を振って見送る。なんだか申し訳ないのだが、機動力のあるアーヴィンとエルケのふたりを頼らざるを得ない。


「……よし。それでは私も、準備に取り掛かろう」


 アスールがそう呟いたとき、チェリンは身を乗り出した。


「アスールも戦場に行くの? 王子自ら?」

「うむ。戦況は自分の目で確かめたい」

「ならあたしたちも行かないとね」

「は? いや、みなは王都で……」

「あたしはあんたの契約相手よ。主人が行くならあたしも行く、当然よ。そうでなくとも、今の状況でばらばらになるのは危険すぎるわ。分かるでしょ、あたしたち全員が命狙われているようなものなんだから」

「しかしだな」


 道中アスールが【獅子帝フロンツェ】に襲われても、傍にいなければどうしようもできないのだ。アスールひとりではフロンツェを退けられないのも、彼は分かっているはず。それでも渋るアスールに、珍しくチェリンは熱を入れて説得をした。


「メイナードは確実にイリーネを見た。なのに、一言も触れてこなかったじゃない。怪しすぎるっての。必ずまた接触してくるわ。そのときにアスールがいないと色々困るのよ」

「ううむ……」

「イリーネやクレイザを戦場に連れていくのが危ないのは分かっているわよ。化身族がサレイユ軍に加担するのがまずいって言うなら、あたしもカイもニキータも戦場には行かない。でも、せめて付近までは行かせなさい」


 アスールはくすりと笑い、正面のチェリンを見た。


「駄目だと言っても、ついて来るんだろう?」

「さあ。あんた次第ね」

「分かったよ、チェリン。南方軍の駐留地点まで共に行こう」


 明日には出立すると告げて、アスールもまた議会場を足早に出て行った。それを見てカイが不思議そうに腕を組む。


「随分粘ったね、チェリー。どうしたの?」

「……見張っておかないといけないのよ。もう一度【獅子帝】に会ったら、刺し違えてでも奴を殺しかねない。今のアスールは、そのくらい危うい気がするの」


 チェリンの懸念に、一同息を呑む。それは契約したチェリンだからこそ伝わった、アスールの焦りなのかもしれない。一見アスールは平然として見えたが――そんなに危うい精神状態の彼を、放り出せるわけがない。


「にしてもアスールって、騎士を独断で動かせるほどの力があるのね。王子ってそこまでできるんだ」


 場を和ませるためか、チェリンはそう話題を転じた。するとクレイザが苦笑して首を振る。


「いえいえ、本当はそんな簡単じゃないですよ。出撃の指示を出すのは軍務大臣で、その指示を受けて初めて将校が動くんです」


 チェリンはさらに困惑したようだ。


「でも、アスールはそれができるのよね?」

「アスールさんはサレイユ王国中央軍の騎士隊隊長です。サレイユの騎士隊っていうのは少し特殊で、軍の中でも独立した部隊なんですよ。騎士隊に出撃命令を出せるのは軍務大臣だけではなく、アスールさんもです」

「つまりジョルジュの直属の上司、軍務大臣の孫に相応しい高地位だね」


 カイが付け加えて、クレイザが肯定する。王子というだけでもすごいのだが、アスールは軍人としての地位もしっかりと持っていたのだ。本当に――王になる気は、まるでなかったのだろう。





★☆





 ひとまず部屋に戻ったイリーネたちは、それぞれ出発の準備を整え始めた。カイやニキータという強力な化身族が王都を離れるとなるとダグラスたちの身も心配だが、国王オーギュストを殺害した時点で、メイナードの目的は概ね達成されたとアスールたちは見ている。万一のことがあっても、グレイドル宮殿には多数の兵がいる。武官と文官が協力をはじめた今のサレイユ王室内部に斬りこむことは、メイナードも難しかろう。


 元々イリーネたちの荷物は多くない。現金と少しの着替えだけだ。サレイユ国内を旅するには食料の心配もしなくて済むので、いつにもまして軽い荷物だ。旅に慣れれば慣れるほど荷物は少なくなると言うが、どうやら本当らしいとイリーネは実感している。


「今日は色々ありすぎて、なんだか疲れたね」


 カイの言葉に、イリーネは頷いた。文官と武官が手を取り合えたかと思えば、【獅子帝】の襲撃、メイナードとの会話、オーギュストの死、ケクラコクマ軍の侵攻――本当に色々と起こりすぎて、頭がこんがらがってしまう。


 荷物の整理も夕食もすべて終えて、あとは休むばかりの時間。西棟のサロンにはアスール以外の全員が集まっている。

 ニキータもつい先程帰ってきた。これだけの短時間で戻ってくるのだから疲れただろうけれど、真に大変なのはアーヴィンとエルケだろう。彼らはイーヴァンに行ってファルシェに事情を伝えた後、フローレンツに急行して、そのまましばらくフローレンツ王の身辺警護を務めるというのだ。フローレンツの軍組織はないにも等しい存在だし、狙われたら確実にやられてしまう。事が落ちつくまで、アーヴィンにフローレンツは任せるしかない。「絶対僕らでは敵わない」と拒否されたらしいが、「いないよりましだ」とニキータに丸め込まれたらしい。

 イーヴァンにはヒューティアがいるから、ファルシェは大丈夫だろう。ヒューティアは光魔術の使い手で、闇魔術を使う【獅子帝】とは相性がいい。大抵の術は彼女に効かないはずだ。


 イリーネとカイは、サロンの横手にある扉からテラスに出ていた。ガラス張りの窓があるおかげで、室内にいるチェリンたちの様子はよく見える。警戒が必要ないわけではないので、姿が見えるのは安心だ。

 遠く見える市街地の夜景がきれいだ。彼らはまだ、国王オーギュストの死を知らない。それよりも先に、どうしたって隠しておけない隣国侵攻の情報が開示された。一度に凶事が重なれば、民の不安は計り知れない。王宮も混乱の真っ只中だし、国民に王の死が伝えられるのはもう少し後になりそうだ。


 こうしている間にも、アスールとダグラス、廷臣たちは忙しく働いている。故人の死を悼む時間すらないままに――。


「アスールも、ダグラスさんも……本当に……」


 その先は何と言っていいのか、イリーネには分からない。悔しかったし、悲しかったはずだ。アスールなど、すぐ傍にいたのに守ることができなかったと責任を感じているに違いない。そんな様子を仲間たちには見せないが、「やっていられるか」とすべて投げ出してもおかしくないのに。


「こういう時は忙しく働いている方がいいと思うよ。……気が紛れてさ」

「それは、そうかもしれないですけど……」


 沈黙が舞い降りる。冷たい風がイリーネの赤みのある髪を攫って行く。


「あの声の主は……本当に、メイナード王子なんですよね」


 ぽつりと問いかけると、カイは手すりにもたれかかった。


「そうだと思う。アスールが断言しきっていたし、俺もあの声の調子には聞き覚えがある。声の高さは違っても、喋り方は子どものころと変わっていないみたいだね」

「あれが……私の兄」


 聞いても、ぴんとくる声ではなかった。ただ、声の調子は好きにはなれそうにない。最初から下に見ているような、斜に構えているような、狂気を孕んだ性質の悪い悪童のような声。口調も声の調子も優しく穏やかだったが、本心を見せない声でもあった。


「……今のところ、脅威なのはメイナードじゃなくて【獅子帝フロンツェ】のほうだ。事情はどうあれ、彼はメイナードの手足になって動いているようだからね」

「剣の腕はアスールを圧倒して、カイやニキータさんですら動けなくする術を使う……しかも化身もしないで」


 勝ち目などあるのだろうか。いくら今回、完全に油断していたからといって――次に会ったとき、またあの術で拘束されたら?


「今の状況だと、【獅子帝】を仕留めない限りヒューティアがファルシェ王の傍を離れるのは危険だしね。俺たちだけでどうにかするしかない」


 カイの言葉に頷いたとき、ふとイリーネはあることを思い出して顔を上げた。


「カイ、そういえばサレイユの西にもうひとつ島国がありましたよね?」

「ステルファット連邦。よく覚えてたね」


 微かにカイが微笑む。そう、確かまだフローレンツにいたころ――その名をカイから教えてもらった。ハンターの所属する狩人協会の本部がある国で、化身族を捕獲することを推進・援助している。比較的大きな本島といくつかの小島からなる島国だ。

 地図的にはサレイユのすぐ西にあって、海辺に行けばステルファット連邦の本島が目視できるくらいの距離のはずだ。だというのに、ここ最近はまったくその名を聞いていなかった。テティオという名の首都もある立派な国のはずなのに、ステルファットには王の危機を知らせる使者を送らなくて良かったのだろうか。


「俺も気になって、アスールに聞いたんだけど――あの国は、大陸の国々との国交を一切断っているんだそうだよ」

「え!? で、でも、ハンターの援助をしているって……」

「それは俺の情報が古かった。実際に援助を行っていたのは、もうずいぶん昔の話らしい。俺がフィリードを出たときはそんなこともなかったんだけど……ここ数年、急に鎖国状態に入ったんだって」

「……もしかして、ハンターたちが未契約(フリー)以外の化身族も襲うようになったのは……」

「うん。連邦が口出ししなくなって、ハンターの考えも独自に変化していった――ってことだろう。道理でおかしいと思っていたんだ、デュエルなんてそう頻繁に起こるものでもなかったはずなのに」


 本来のハンターの狩りは、未契約(フリー)の化身族の契約具を奪うために戦うというもの。ひとりの賞金首を相手に、いくつかのハンターがパーティーを組んで立ち向かうことも多かった。デュエルは元々、腕試しとか試合とかの意味だ。いつのころからかこのデュエルの趣旨は変化し、化身族の奪い合いになった。カイはここまでそんなことはしなかったが、本当ならデュエルで勝ったら相手の契約具を獲得することができたのだ。それを狙って、ハンターたちはイリーネとカイを襲ってきていたのだから。


未契約(フリー)の賞金首が少なくなったから?」

「もしくは、化身族たちがヒトらしく生活しはじめたか。あるいは両方か、別の理由か。……ともかく大陸の協会は、完全に本部から独立しちゃったってことだね」


 だからカイも、最初のうち襲われる意味が分からなかったのだろう。しきりに「俺はもう未契約(フリー)じゃないのに」と言っていた覚えがある。


「それにしても――」


 カイの口調が少し変化する。懐かしむような優しい声だ。


「そんなに時間が経ったわけじゃないのに、極貧ハンターだったころが懐かしいな」

「はい。……元々、お金がなくて始めたんですものね」

「好きにあちこち行けて、案外気楽だったよね」


 そう、ふたりで旅をして――チェリンと出会って、アスールと出会って。まだあの時は、気楽な旅人でいられたのだ。


「いつの間にか、話が大きくなっちゃいましたね」

「アスールと出会った時点で、こうなるべくしてなったんだろうね。最大の誤算だ」

「ふふ、でもアスールと出会っていなかったら、結構困ったことにもなってましたよ?」

「否定できない。何も知らずにリーゼロッテに入っていたかもしれないや」


 その場合は、ニキータやクレイザ、ファルシェやダグラスにも出会えなかった。しかし、霊峰ヴェルンやギヘナ大草原を通ることはなかっただろうし、国の権力などとは無縁だっただろう。その代わりにお金を工面したり、温かい食事や寝床もそう簡単には手に入らなくなったりする。


「あの頃は……楽しかった?」


 問われて、迷わずにイリーネは頷く。


「楽しかったです」

「戻りたい?」

「え?」

「気ままな旅人に」


 今度は、そう簡単には頷けなかった。あの頃は楽しかった。でも、戻りたいと思えば戻れるのか。イリーネは神姫でリーゼロッテの王女。記憶がなくとも、それが事実。そんなことが許されるはずもない。


「難しいことは考えないでいいよ。イリーネはどう思ってるんだろうって、気になっただけだから」

「……戻りたい、です。本当に楽しかったから……」

「そっか」


 カイは笑って、ぽんとイリーネの頭に手を置いた。その行動の意味が分からず、イリーネはされるがままだ。


「俺もそう思う。権力とか、俺は好きじゃないから。美味しいご飯も綺麗な部屋も、嬉しいんだけどさ」

「そうですよね。ちょっと戸惑っちゃいます。……でも今は、イーヴァンもサレイユも協力してくださっているから、しっかりしないとですね。私たちが持ち込んだ問題なんだから」

「うん。今度は、油断しない。不意打ちくらって拘束なんて間抜け、もうしないよ」


 台詞は頼もしいのに、声音はのんびりだ。イリーネが微笑むと、カイはぽつりと呟いた。


「……次は、どこかの街に家を借りて落ち着くのもいいよね」

「……?」

「風が出てきたね。中、入ろうか」


 カイはそう言って手すりから身を離して歩き出す。今のカイの言葉が、すべてが終わってからのことを指していると気付いたのはこの時だった。


 どこかの街に家を借りて、そこに住む。旅とは違うけど、穏やかな暮らしのひとつだ。

 実現できるのかどうかはともかく、実現したらそれはそれは幸せだし、カイもそんな暮らしを思い描いていてくれているのだと思うと、嬉しくて仕方ない。


 カイは、ずっと傍にいてくれるつもりなのだ。契約しているから当然なのかもしれないけれど、心の底から安堵している自分がいる。まるで結婚の申し込みみたいなカイの台詞に、顔が赤くなって今更に恥ずかしくなる。

 当の本人はなんでもないように室内への扉を開けているから、ずるい。カイの言葉に一喜一憂する自分が単純みたいではないか。


「イリーネ」

「……はい、いま行きます!」


 カイに恋しているのかもしれないとイリーネが気付くのは、もう少しあとのことだ。

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