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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
4章 【水と夜光の絢爛 サレイユ】
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◇警笛は鳴る(1)

 イリーネは非常に緊張していた。手先はすっかり冷え、口の中の水分もまったくない。傍にはカイもアスールもチェリンもいるし、ダグラスもいてくれる。更に、駆けつけたニキータとクレイザも同席していた。しかし、目の前にいるヒトたちへの緊張が、その安堵感に勝ってしまっている。


「イリーネ、そんなに緊張しなくて良いのだよ」


 アスールが気遣ってそう声をかけてくれる。頷いてはみるが、緊張するなとは無理な話だ。


 何せいまイリーネの前にいるのは――サレイユ国王オーギュスト。そのすぐ傍に、国務大臣ミュラトール卿と、軍務大臣ローディオン卿が控えている。ダグラスの祖父とアスールの祖父、国内における派閥争いの当事者たちだ。本当に仲が悪いのか、この老人二人は先程から一切目を合わそうとしない。休戦には応じたが、それとこれとは別ということか。



 この面会は、オーギュストのほうから提案したものだった。

 

 サレイユの政治は議会制だ。国王の役目は、議会で決定した事柄について承認することである。余程のことがあれば国王が差し戻すこともあるが、基本的にそれは行われない。議会で承認を得た案件は、そのまま実行されるのが常だという。

 アスールとダグラスの説得とニキータの登場により、イーヴァンとの協力が議会で承認された。そうなってしまっては絶大な力を持つミュラトールもローディオンも、手出しができない。このまま国王の承認も得て、協力は現実のものとなるだろう。


 そんな承認の判を捺す前に、オーギュストはイリーネと会うことを望んだ。イリーネだけでなく、仲間たちも全員である。

 そのため、イリーネはこうして国王との面会に臨んでいる。



 オーギュストは足が悪いとのことだったが、それ以外は比較的健康そうに見えた。年齢は五十代だろう、アスールとダグラスと同じ青髪の紳士だ。おそらく若いころは、今の王子たちのように貴公子と呼ばれたに違いない。

 サレイユの技術を結集して精巧に造られた車椅子を、オーギュストは慣れた手つきで自ら操作する。彼はがちがちに緊張しているイリーネを見上げて、目を細めて笑った。


「これは正式な謁見ではなく、個人的な面会だ。イリーネ姫、気を楽に」

「は、はいっ……」

「……ふふ、どうも調子が狂うな。そんな余所余所しくされると」

「陛下」


 アスールが呼びかけると、オーギュストは頷いた。

 余所余所しい――以前の自分は、オーギュストにどの程度の距離感を持って話しかけていたのだろう。


「分かっているよ、アスール。……さて、こうして君たちとの面会を私が望んだのは、君たちから直接話を聞きたかったからなのだ」

「話……」

「そう。ここにいる皆の気持ちを知りたい」


 オーギュストは真っ直ぐにイリーネを見つめる。先程までの優しい目はどこに行ったのだろう、真剣そのものだ。アスールも時々、こんな目になることをイリーネは知っている。


「イリーネ姫、君はなぜかフローレンツのオスヴィンに放置され、記憶を失い、いまここにいる。君にとってカーシェルもメイナードも、まったく知らない赤の他人のはずだ。それでも、メイナードを捕えカーシェルを救い出したいかね?」

「……」

「もしかしたらこの先、君は辛い過去を思い出し、厳しい現実と向き合わなければならないかもしれない。それでも?」


 その言葉をしっかり吟味して、イリーネは顔をあげる。


「確かに私は、何も覚えていないです。ふたりの兄だと言われても、実感がない……でも、赤の他人じゃない。兄なんです。きっと、それは真実だから」


 そう断言すると、アスールが僅かに肩を揺らしたのが視界の端に映った。構わずに続ける。


「だからこそ知りたいです。何があって、何が起ころうとしているのか。私はリーゼロッテがいまどんな状況なのか、殆ど知りません。他のお城のヒトたちや軍のヒトたち、民衆たちがどんな状況下にあるのか、知らない。私はそれを知らなければならないと思うんです。その結果、リーゼロッテが他国に重大な影響を及ぼすのなら――止めたい」

「それが君の想いなのだね」


 オーギュストの確認に、イリーネは頷いた。記憶もないのに、何を抱え込む必要がある――と、カイやチェリンには言われそうだけれど。リーゼロッテに戻りたいと無意識に思うのは、確かに自分の中にそういう記憶があるからに他ならない。

 真実を知らなければならない。知る権利がある。だから行くのだ、兄たちに会いに。


 オーギュストは次に、イリーネのすぐ傍に立つカイへと目を向けた。


「君はどうかね、【氷撃のカイ・フィリード】。なぜ共にいることを選んだ? 契約を結んだからか?」

「……契約なんて二の次だよ。イリーネが行くなら、俺も行く。守るって決めたからね」


 静かにカイは告げる。長くはない言葉だったが、それだけに万感の思いがこもっているように聞こえた。

 次に視線が向けられたのはチェリンである。ソレンヌやレティシアには緊張していたチェリンだが、オーギュストに対しては不思議と自然体だった。カイがそうだったから、彼女も調子を出せるのかもしれない。


「あたしは成り行きでここまで来たようなもんだし、実力も乏しいのは分かってるわ。けど、あたしにもできることはあるってみんな言ってくれた。だからそれをやるの、友達のために」

「チェリン――」


 イリーネが思わず名前を呼ぶと、チェリンは笑ってイリーネを見る。


「それに、あたしは敵がメイナード王子だろうが誰だろうが、遠慮なくぶっ飛ばせるわ。そういう奴も、ひとりくらい必要でしょ」

「……たいしたお嬢さんだ」


 オーギュストも感心したように笑みを浮かべる。


「さて、そちらはどうかね? ハーヴェル卿、【黒翼王】殿。貴殿らにとって神国との接触は避けたいものであろうに」


 壁際に並んで佇んでいたクレイザとニキータに、順番が回ってくる。クレイザはにっこりと微笑んだ。数日ぶりに会ったが、変わった様子はなさそうだ。竪琴を片手に、久々に吟遊詩人の旅を満喫していたらしい。


「神国はヘルカイヤの敵かもしれない。しかし悔しいことに、公国時代よりもヘルカイヤの生活は安定しているんです。それは間違いなく、カーシェルさんのおかげ……だからあのヒトがいてくれないと、僕としてはおちおち旅もできなくて」


 そう言ってから、クレイザは視線をイリーネに転じた。


「……まあそんなことはともかく。ここまで来てイリーネさんたちを見送るだけっていうのも後味悪いですから。できることはさせてもらいます」

「俺はリーゼロッテ相手に戦いを仕掛けるって気概が気に入っていてね。戦闘だろうが諜報だろうが、当てにしてもらっていいぜ」


 ニキータは活き活きとそう告げる。カイが「おっかない」と肩をすくめていた。


「ダグラスとアスールは――今更聞くまでもないな」


 父王の言葉に、王子たちは頷く。彼らはここに至るまで、何度も思いの丈を訴えてきたのだろう。まさしく、オーギュストにしてみれば『今更』なのである。

 一通り全員の言葉を聞いて、オーギュストは何を思ったのだろう。綺麗事が過ぎただろうか。もし判を捺してくれなかったら――とイリーネは少々不安に思う。


 オーギュストは答えを行動で示した。背後に控えるふたりの老臣を振り返り、指示を出したのだ。


「ミュラトール卿、書類をここに。ローディオン卿は判を頼む」

「!」


 不承不承といった様子ではあったが、ミュラトール卿は議会から提出された書類をオーギュストの目の前の机に置いた。ローディオン卿もサレイユ王家の判を差し出す。オーギュストはその書類に、力強く判を捺したのだ。この場にいる全員の目の前で。


「サレイユ王国は、正式にイーヴァン王国との協力に応じる。イリーネ姫を助け、王太子カーシェルを救出する」

「陛下……! ありがとうございます!」


 イリーネが深々と頭を下げると、オーギュストはまた優しく微笑んだ。


「イリーネ姫、私にできるのはここまでだ。あとはイーヴァン王やアスールらと連携し、動けばいい。支援は、サレイユとイーヴァンが行う。君が知りたいと思うことを、その眼で見てくるのだよ」

「はい――必ず!」


 後ろで、アスールがほっとしたように息を吐き出していた。ここまでずっと、毎日のようにアスールは身を削って議員たちの説得を続けてくれたのだ。努力が実を結んで、一番喜んでいるのは彼に違いない。


 サレイユはイーヴァンからの申し出を受ける。近日中にも正式に、国家間の協力体制が完成するだろう。

 さあ、そのときリーゼロッテはどうする――?





★☆





 その翌日、グレイドル王宮は朝から慌ただしかった。昨晩のうちに国務大臣と軍務大臣の名で召集がかけられ、朝一番で主だった議員や将軍、騎士たちが勢ぞろいしたのである。こんなにも幹部連中が一堂に会すことは滅多にないと、アスールは話していた。

 国王オーギュストもその場に姿を現し、自らイーヴァンとの協力を決定したという勅命を発した。その命に従って、国務大臣ミュラトール卿と、軍務大臣ローディオン卿が各諸卿へと指示を出す。イーヴァン王国へ送る特使の任命、特殊部隊の編制、国境付近の警備強化――てきぱきと任務が振り分けられ、それを遂行すべく諸卿は動き始める。圧巻の様子だ。


「数日中に、ファルシェの方と連携できるようになる。あちらもあちらで、準備を整えていてくれるだろう。そうなれば我々は、いよいよカーシェルの救出に動くことができる」


 壁際で議会の様子を見守るイリーネは、アスールのその言葉を聞いてごくりと息をのむ。戦いにならないはずがない。


「だが、障害は多いぜ? もうリーゼロッテの王城はメイナードが占拠している。神国の中での奴の勢力も、どれほどのものかは分からねぇ。カーシェルのいる塔にかけられた魔術もどうにかしないといけねぇしな」


 ニキータがそう苦言を呈すると、カイが肩をすくめた。


「魔術って、闇属性なんでしょ。ヒューティアを貸してもらえばいいんじゃない?」

「そりゃ、それが手っ取り早いのは確かだが……あの女、ファルシェのいないところで役に立つのか?」

「大丈夫大丈夫。号泣しながら敵は薙ぎ倒してくれるから」

「割と深刻に迷惑だぞ」


 あんなに強くて凛々しいヒューティアが、実は怖がりで泣き虫だなんて意外だ。アスールやクレイザもそれを知っているのか、苦い笑いを浮かべて沈黙してしまっている。


「とはいえ、ヒューティアの手を借りるのが確実だ。あとで掛け合ってみるかね」


 ニキータに頷いたアスールは、そこでふと腕を組んだ。


「しかし、【黒翼王】殿を射落とすほどの力を持つ化身族か……そんな者がリーゼロッテにいたとはな」

「ああ、しかも並大抵の力じゃない。何せ本人が傍にいないってのに、魔術が自動で発動するんだからな。ヴェルンの暗鬼ほどじゃなかろうが、それでも相当な使い手なのは違いないぜ」


 闇魔術は、正直あまりお目にかかりたくなかった。霊峰ヴェルンで散々追い回され、一種のトラウマのようになっているのだ。


「じゃあ、その術者の方を先に倒しちゃえばいいんじゃない?」

「あっさり言うわね、あんたは……」


 さも簡単そうに提案したカイに、チェリンは呆れ顔だ。術者を倒せば魔術は解けるだろうが、そんな簡単な相手ではないだろう。

 アスールは組んでいた腕を解いて、みなを見回した。


「この先のことは、彼らに任せておけば大丈夫だ。とりあえずどこかで落ち着かないか。立ったまま話すというのもなんだからな」

「アスールは大丈夫なんですか?」

「ああ、実はダグラスに追い出されていてね。さっさと休んで来いと」


 そのダグラスは、国務大臣と何やら話をしている。祖父と孫の関係だろうに、どうにも余裕のない表情だ。望まない争いを引き起こしている張本人だから、ダグラスも何かと複雑なのだろう。


 アスールに促されて、イリーネたちはぞろぞろと退室のために歩きはじめる。また大所帯になったものだ――と思っても、実はクレイザとニキータが加わっただけ。多分ニキータが大柄だから、尚更そう思うのだ。





 異変を感じたのは、議会場の扉に近付いた時だった。


 ぞわりと悪寒が身体中を奔り、嫌な気分で満たされる。その感覚はひどく気持ちが悪かった。冷や汗がどっと噴き出して、気分が悪い。

 勘や予知の類ではない。確かに、何かが(・・・)この場で起ころうとしている。


 扉のノブに伸ばしかけていたアスールの腕を、イリーネは咄嗟に引き留めた。驚いたように振り返るアスールだったが、イリーネが妙な汗をかいていることに気付いて表情を変える。


「どうした?」

「何か……変な感じがします……」


 見れば、カイとニキータも議会場を振り返って軽く身構えている。気のせいではなかった。アスールとチェリンとクレイザが何も感じなかったのなら、それは魔力的な何か(・・)


何か(・・)来たな」

「うん。……なんだかまずいよ、アスール」


 それを聞いたアスールが見たのは、壇上にいる国王オーギュストやダグラス、国務大臣や軍務大臣だった。カイにひとつ目配せして、アスールはそこへ向かって駆けだした。剣の柄に手をかけながら、ヒトもまばらになった議会場を突っ切る。

 カイとニキータも、壁際でイリーネたちを守りながら身構える。嫌な予感は止まらない。むしろ近くなってくる。もっと気分が悪くなって、チェリンがイリーネの背中をさすってくれる。


 走ってくるアスールに、ダグラスが気付いて振り返った。まさにその瞬間――。



 議会場が、闇に包まれた。

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