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私の顔をチラリと見た睦月は、陽太と手を繋いで「真っ白な雪の上に足跡をつけよう」と先に行ってしまった。ルカの足跡がないところを見れば、埋もれてしまったのだろうか。この降り続く雪に、軌跡が上書きされてしまって。
「いつからいたの? 風邪引いちゃうよ」
ルカの肩に乗った雪を、手を伸ばして払う。
ルカのつけた足跡が新雪で埋もれてしまうほど――ルカは、ここで何をしていたんだろう。
「……行こうか」
ルカの肩に触れていた手を見て、ハッとする。いつもの癖で、つい家族みたいに接してしまった。
だけど心は、全くいつも通りではない。だって睦月とルカは、もしかしたら私の両親を殺したかもしれないのだから。
どこまでが本当で、どこからが噓だったのだろう。
一匹妖怪の話は本当なのだろうか?
一緒に住んでいるのは、今度は私たちを殺すため?
もう何も分からなくなった。
弥生くんママの話を聞いて、この地から両親の元へ行くのはルカと睦月しかいないと思った。体に傷がないのであれば、崖からの転落死ではないだろう。弥生くんパパの推察通り、他殺だ。つまりルカと睦月が両親のもとに行き、何らかの理由があって殺した。そう考えるのが筋だ。
だけど――
ザクッと、雪を踏みしめていた足が止まる。これほど降るとは思っていなかったから、普通の靴で来てしまった。雪の水分を含んで、靴はグシャグシャ。いつもの倍、足が重い。
冷たい、悲しい、苦しい。
色んな感情が心を覆ってしまって、息の仕方まで忘れそうだ。
足を止めた途端に、気持ちが堪え切れなくなる。両親のことを思うと、胸が張り裂けそうだ。訳のわからないことに巻き込まれ、きっと訳の分からないままに命を落としただろうから。
「ねぇルカ」
震える声で、彼の名を呼ぶ。その声は雪の中にキンと響き、嫌にハッキリ聞こえた。当然、ルカの耳にも届く。
「私のお父さんとお母さんが死んだ時のこと、話してほしいの」
「……」
私より三歩進んだ先で、ルカは止まった。下駄のルカは、私の足より雪に埋もれ、もう姿が見えないほど。
きっとすごく冷たいだろうな。早く帰りたいだろうに。
だけどルカは私と向き合った。そうして時間をかけ、あの日のことを話してくれる。
「俺と睦月は、あの日……お前たち両親の『気配』が消えたことを察知して、すぐに向かったんだ」
「お父さんとお母さんは、一匹妖怪を見つけに行っていたの? それは本当なの?」
ルカは頷く。
「元々俺たちが『一匹妖怪はこの辺りにいる』と示した場所に、きちんと向かってくれていた。急な崖だった。無茶はしないよう伝えたが、足を滑らせたのだろう。あの場所は、すごい湿気だったから」
「……他人事のように言うんだね。両親を向かわせた張本人なのに」
「それに関しては、本当にすまないと思っている。分からないのだ、どう償えばいいのか。
俺たちは一度、失敗しているから」
「失敗?」
聞きなれない言葉だ。二人は、一体何の失敗をしたというのか。
「俺たちが見つけた時、お前の両親は既に事切れていた。崖からの転落ということもあって……二人は、痛ましいものだった。同時に、お前たちの顔が浮かんだ。両親の帰りを楽しみに待つ、明里と陽太の顔が。
死なせてはならない。そう思った。だから力を使って蘇生を試みた。結果、失敗してしまったが」
「つまり……生き返らせようとしたってこと?」
頷いたルカを見て、彼のお母さんとの会話を思い出した。
――二人だけで行った『内緒の何か』が、多くの寿命を削ってしまった
「ちょっと待って、じゃあ……」
ルカと睦月は、私の両親を生き返らせようとして力を使った。
それは失敗に終わるばかりでなく、自分たちの寿命も削ってしまった。
そのせいでルカと睦月は短命になった――そういうこと?
「……っ」
言葉が、出てこない。
私がさっきまで疑っていた二人は、私の両親を助けようとしていたのだ。自分たちの命を削ってまで、私と陽太が喜ぶ最善のことをしてくれた。
確かに結果は伴わなかったけど、二人が私たちのために思ってしてくれた事実は変わらない。睦月とルカは、ずっと私たちを思ってくれていたのだ。ずっと、今日にいたるまで。
「ごめん……」
一言いうのが、やっとだった。ルカと睦月が両親に関わらなければ、と思っている反面、両親が会った妖怪がルカと睦月で良かったとも思っている。
ルカと睦月が一匹妖怪を見つける。両親は、その妖怪を家に連れて帰る。昔からの「約束」にすぎないけど、ただの「約束」でもなかった。そこには人間と妖怪の垣根を越えた「想い」が、確かに詰まっていたんだ。
「ごめん、ルカ……。実はさっき、二人のことを疑った」
「そう思われても仕方がない。それに、両親を崖に向かわせたのは俺たちだ。明里が俺たちを恨む権利はある」
「でも命を懸けてまで、私たち家族を守ろうとしてくれた」
「そういう言い方をすると、確かに聞こえはいい。でも現に失敗している。明里たちがココにいることが答えだろう。両親が生きていれば、この地方に来ることもなかったのだから」
「そうだけど……」
命を命で補おうとした二人の妖怪を、私はどうしても憎むことができない。
「ごめん、ルカ、睦月。大事な命を、削っちゃってごめん……っ」
じわりと視界が揺れて、やがて溢れた。今まで体の内側で暖められていた涙は、凍てつく頬をわずかに溶かす。ヒビの入ってしまった私の心も、これほど簡単に直らないだろうか。あと一回でも衝撃が加われば割れてしまいそうなほど、脆い心。
どうして私が大切に思う人たちは、すぐに死んでしまうのだろう。
どうして長く、ずっと一緒にいられないのだろう。
何度、見送らなければならないのだろう。
私と陽太を思ってくれる人たちは、残酷なほど優しい。
「明里」
今度は、ルカの声が雪の中に鮮明に響く。私は尚も涙を零しながら、顔を上げた。
「情けない事に、俺たちは失敗した。新たな償い方も模索中だ。だけど母上に『働け』と言われて目が覚めた。
そこで明里に提案がある。帰りながら、聞いてくれないか」
「提案……?」
ルカが、私の頬に袖を寄せる。柔和な顔つきとは程遠い力加減で、ゴシゴシと涙を拭いた。「い、いたた」といつものように声を上げると、ルカは安心したように目を細めた。
「俺はまだ、明里たちと過ごす未来を諦めてはいない。だから聞いてほしい」
「……わかった」
そうして雪の中をルカと歩いて帰る。さっきまで降っていた雪は徐々に止み、太陽が顔を出してきた。
木々に積もった雪が、ぴちょんと音をたてて水へと姿を変える。まるで雨音を聞いているみたいだ。あちこちで大合唱が始まる。
ルカを見ると、雨の音に耳を澄ませるように静かに歩いている。……本当に、雨を克服したんだ。よかった。と、こんな時なのにルカのことを思ってしまう。自分と同じくらい、ルカには幸せになってほしいと願っているからだ。ルカたちと「家族の形」を成していなければ、こうは思わなかっただろう。
これからルカの話を聞いて、私も克服できるだろうか。自分の胸にある、漠然とした寂しさから。
私も諦めたくない。ルカと睦月たちと過ごす未来を、長く長く見据えて居たい。
「ここ三ヶ月、俺はとある施設に通っている。調理師養成施設だ」
「ちょうりし、ようせいしせつ……?」
「ここで一年勉強すれば、調理師の資格がとれる。学費は、事情を話して母上から借りているのだが」
「ちょ、ちょっと待って!」
施設? 調理師? 資格? 新しい単語がたくさんで、何から理解すればいいかさっぱりだ。
目を回す私に、ルカが「肝心なことを言い忘れていた」と、私へあることを告げる。
「明里の家を、宿屋にしようと思っている。昔、お前の祖先がしていたように」
「や、宿屋……?」
また、新しい単語だ。ルカの頭の中では、何がどうなっているんだろう?
もしかして――佐野さんが家に泊まった時。忍足さんとルカが部屋で話していたのは、この宿屋のこと?
「忍足に相談すると、今の家は一つの部屋が広すぎるらしい。一部屋を二分割すれば、倍の客が泊まれる。
そこで俺は料理を提供する。客の数がそれなりに入れば、儲けも出るだろう」
もちろん妖怪では一円にもならないからお断りだが、と涼しい顔して話すルカ。私は何とか話に追いつけるよう、頭をフル回転させる。
「じゃあルカは宿屋で調理をするために、調理師免許を取ろうとしているの?」
「あぁ」
それで最近ずっと忙しそうだったんだ。この田舎では、施設までの距離も遠いだろう。通学や勉強が重なって、朝起きられなかったんだ。
「でも料理なら睦月の方が得意じゃない? 睦月が習った方が、ルカも楽なんじゃ……」
「睦月は日々の家事がある。行くなら俺が適任だろう。
それで、ここからが本題なのだが」
まだ、話が続くんだ。
少し緊張した雰囲気をまとったルカを見て、ゴクリと生唾を飲み込む。
「俺が調理師免許を取得した後。明里が宿屋で二年以上働けば、お前も同じ免許を持てる」
「え、私も?」
ルカは口に弧を描き、キレイに笑った。見惚れるほど儚い笑みだった。
「明里も免許をとっておけば、俺が死んだ後も宿屋を続けられる。明里も仕事で悩んでいただろう? もし良ければ一緒に働かないか? といっても、あと九ヶ月は免許取得のため俺は施設に通うが」
「死んだ、後……」
そうか。ルカは、そこまで見据えて仕事を考えていたんだ。
自分の死後も、私と陽太が苦労なく過ごせる日を願って……。
「確かにダブルワークがなくなると、時間に余裕が持てる。あ、でも自営業になるから忙しくなるのかな。そうしたら人が足りなくなる? でも、そこまで客が来ないか。いやいや、来てくれなきゃ稼げないよね」
そこまで一気に喋ると、今度は一気に言葉に詰まった。喉の奥を締め付けられる。これほど切ない優しさを、私は知らない。まだ見ぬ感情に、ただ涙を流すことしかできない。
嗚咽がもれないよう体に力を入れる。膝から、崩れ落ちてしまいそうだ。
「ねぇ、ルカ」
ごめんも、ありがとうも。色んな言葉が頭をめぐる。
だけど今、あなたに贈りたい言葉は一つだけ。
「死なないで、ずっと一緒に生きようよ」
泣きながら言うと、ルカは困ったように眉を下げ、私の頭をやさしく撫でた。
その笑顔がやっぱり儚く見えて、また私は涙を流す。
地面に落ちる涙を見ながら、更に涙を重ねて……。雪解け水か涙か、どちらか分からなくなってしまった。それでも私は、今ルカを見ると寂しさでどうにかなってしまいそうだったから、ひたすら視線を下げる。
そんな私たちの姿を、雪解けの進んだ一角から姿を現したいつものお地蔵さまが、穏やかな顔で見つめていた。
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