45話 黒兎・後編
シルクの記憶を駆け足でなぞるように、周りの環境が目まぐるしく変化していく。
やがて場所は再び牢屋へ。
「お兄ちゃん、ご飯持って……お兄ちゃん?」
いつものようにシルクがご飯を持って兄の元へと駆けつける。シルクは兄の変化にすぐさま気がついた。
「お兄ちゃん……お髭生えたね」
「えっと……年取ったから……かな……」
兄は恥ずかしそうに顔を覆いながら食事を受け取る。
「でも……これくらい、平気……」
「お兄ちゃん、そのままだとお爺さんみたいなお髭になっちゃうね。ご主人に言おっか?」
「いや、これくらいならいいよ……」
「そうなの?」
そこから更に数十日後……
「ご飯持ってきたよ、お兄ちゃん」
少し豪華なご飯を持って牢屋に来たシルク。兄の顔は黒い毛で完全に覆われ、何だか意識もおぼつかなくなってきた。
「シルク、ごはん……」
「お兄ちゃん、私以外の人と喋らないから言葉を忘れてきちゃったのかな……」
「ごはん……」
「お兄ちゃん、言葉、分かる?こ、と、ば」
「…………」
兄はシルクに見向きもせず食事をする。
「お兄ちゃん、様子がおかしいみたい……」
シルクは大急ぎで主人に兄の様子を報告した。
「兄が毛むくじゃらで言葉が分からない?ああ、そりゃ多分演技だろうな。牢屋から出て1人だけ逃げ出そうと妹の前で演技してんだろ」
「歳も取れば毛むくじゃらになるわよ」
「でも……様子がおかしくて……」
「妹を出し抜こうだなんて嫌な兄を持ったな。今日はもう寝ろ」
「はい……」
主人に強く言えないシルクは、そのまま大人しく引き下がるしかなかった。
「お兄ちゃん……もしかして、変な呪いにでもかかったのかな……」
兄を何とかする為に魔法の勉強をしたかったが、上はそれを許してくれなかった。そもそもこの屋敷に魔法使いは居ないので、魔法関連の本すらなかった。
「お兄ちゃん…………」
シルクが何も出来ない間も、兄の様子はどんどんおかしくなっていった。
毛に覆われた兄の身体はだんだん小さくなっていき、耳は伸び、手足が人のものから動物のような形へと変化していく。
「お兄ちゃん……」
変わり果てていく兄の姿を見つめる事しかできないシルク。
見習い魔女なので魔法は碌に覚えていない、覚える魔法は主人が認める物しか覚えられない。
兄はついに言葉すら発さなくなってしまった。
「お兄ちゃん……?」
「まあ!なんて事なの!?」
牢屋の中で呆然とするシルクの背後から主人と夫人が現れ、慌てて兄へと駆けつける。
「まさか自分の兄を兎に変えるなんて!」
「確か魔女は、動物を生贄にして魔法を使うとか聞いたな……」
「ち、違いますご主人様……!」
シルクは否定するが、主人と夫人は聞く耳を持たない。
「黙れ!この魔女!」
「兄がこうなったのは全部あんたのせいだよ!!」
「えっ……」
仕えている2人に罵倒されたシルクは、頭が真っ白になってしまった。
「例えあんたがそうするつもりが無かったとしても、あんたに流れる魔女の血のせいで兄がこんなになっちまったんじゃないのかい!?」
「(私が……兄を…………?)」
シルクが今まで良かれと思って食事を運んだ行為のせいで兄が兄じゃなくなってしまった。
「例え兎でも、元人間の兎なんて食べる気になれないわ……このまま殺してその辺に埋めましょ。シルク、あんたが責任を持って……」
シルクはそのあまりのショックにその場で気絶し、1週間も目を覚まさなかった。
暫くして……
「(お兄ちゃん……)」
シルクはいまだにショックを引きずりながら、いつものように屋敷の中で掃除をしていた。
「でさ…………シルクが……」
応接室から自分の名前が聞こえた。シルクは扉に耳を当てる。
「あっははは!あれは傑作だったわね!私がそっちから買った呪いの薬のせいで兄はウサギになったってのに、シルクは自分のせいでウサギになっちまったってんだからね!」
夫人の言葉にシルクが固まる。
「シルクの兄は奴隷の魔法が効かなかったからね。これでようやく牢屋が開くよ」
「そ、そうですか……でも、良いんですか……?」
「何が?」
「あの子は兄が居たからこの屋敷で奴隷として頑張れていたのでは……でも、兄が居なくなったら……」
「ああ、それくらい大丈夫。あのチビ、そんなに頭良くないから時間が経てばそれくらい忘れるよ」
「はぁ……」
「これで兄が消え拠り所が無くなったシルクは、私に従順な魔女になるだろうね。シルクには普段から物あげたりしてるし、村人にはシルクに優しくするよう言いつけてるし。後は美容に効く呪文だけ覚えさせて……」
「でも、こんな所で大声で喋るのは……」
「ああ、それなら大丈夫。この部屋はへぼい魔法使いの耳じゃ聞こえない仕組みらしいからね……」
シルクは下品な笑いが響く応接室から離れる。
シルクの表情から子どもらしい可愛らしさは一切消え失せ、憎しみと怒りに満ちた酷い顔になっていた。
「(呪ってやる……あの下品な奴らも、薬作った奴も、村の奴らも……!全員呪ってやる……!)」
この日を境にシルクは、人を呪う為の勉強を始めた。
「ご婦人!お掃除が終わりました!」
「今日も綺麗に掃除したわね!良い子ね〜!」
掃除を済ませたシルクを口先で褒める夫人。
「そうだ!ご婦人が永遠に綺麗でいられる魔法を覚えたいのですが……魔法書を買ってくれませんか?」
「あら〜!なんて優しい子なの!それならいいわよ、魔法販売の商人を呼んで本を持って来させるわ」
「ありがとうございます!」
こうして世間では徹底的に媚を売り、美容の魔法を使う為に必要と言っては魔法書を買わせた。
表で猫を被り、裏で魔法の練習を続ける生活を続け……ついにその時が来た。
「ご婦人、美容の魔法を掛けるお時間です」
「あら、ありがとう」
16になり大人びた魔法使いのシルクは、日課になった美容魔法の準備の為に色々な道具を用意していた。
「ご婦人は輪をかけて更にお綺麗になられましたね。昔は冒険者としてご主人様と共にあちこちでやんちゃしてたと聞きますし、最近またお子様がお生まれになったと言うのに……」
「おほほほ!あなたの魔法のおかげでもあるわね〜本当に助かってるわ!」
椅子に座り笑う夫人に対し、シルクは優しく微笑む。
「あら、新しい器具が見えるわね。それは何?」
「ああ、これですか。これは……」
シルクは答える前に謎の器具を夫人の首に掛けた。
「がはっ!?お、重い……!?こ、これ……何……!?」
首に器具を装着され、苦しみ悶える夫人。
「これは……貴方が昔、私に装着してくださった器具と同じ物でございます」
それに対しシルクは優しい笑顔のままさらりと答える。
「なっ……!?何してんのよあんた!?それは……!?」
「黙れ奴隷」
「……っ!」
シルクに凄みのある声に夫人は口を閉じる。
「お前が私に着けた首輪はとっくに効力を無くしてんだよ。だからこっちはもう自由。次は私が上に立つ番」
「……!?」
「ご婦人、貴方には特等席をご用意させていただきました。ご婦人、私の後をついて歩いてください」
「なっ、何でそんな……!」
「何もせず歩け奴隷」
シルクに命令された夫人は、顔をこわばらせながら椅子から立ち上がってシルクの後を追って歩き始めた。
夫人は無言でシルクの後を追う。シルクは何も言わず、ご主人の子どものいる部屋へと入っていった。
そこでは、主人の長男と次男が部屋で遊んでいた。
「あ、お母様!」
「シルクも一緒……って、お母様……?」
長男がシルクに駆け寄った所で、様子のおかしい母親に気付いた。
「シルク、お母様は……」
長男が何かを言い終える前に、シルクが息子2人に素早く魔法を掛けた。
「うわっ!?」
「なっ、なに……?」
夫人が顔をこわばらせ息子2人を凝視する。
「な、何か身体が……」
「顔がかゆいよー!」
「あ、ああ……!!」
夫人の前で息子2人の顔が変わっていく。顔から毛が生え、耳が伸び、背が縮み始めた。
「いたい!いたい!」
「かーゆーいー!」
息子2人はみるみるうちに縮んでいき、やがて2人は着ている服に埋もれてしまった。
ぷぅ……ぷぅ……
きゅうきゅう……
服がもぞもぞと動き、そこから小さなうさぎが現れた。
「アラン!ヴィル!」
夫人は息子2人の名を呼ぶが、それをシルクが止める。
「止まれ奴隷。下手な真似をするなと言いましたよね?」
「アンタ何するのよ!アンタの……アンタのせいで……息子が……!」
「何言ってんの?私の兄を兎に変えといて……」
「は……?でもあれは……アンタが呪いで……」
「昔、応接室で話してるのを聞きましたよ。魔法使いに薬を作ってもらったって話」
「!?」
シルクの言葉で顔が引きつる夫人。
「ど、どうして……!?」
「さ、次に行きましょう」
こうしてシルクは夫人を引き連れて村へ降り、村人にも同じ呪いをかけ始めた。
「お父ちゃーん!かゆいよー!」
「ママー!身体が痛いよー!」
大人を拘束した上で、子どもから兎の呪いをかけていった。
大人は口を魔法で塞がれたまま我が子が兎に変わっていく様を見せられた。
「はい、皆様ご苦労様です。そろそろお腹が空いてくる頃でしょうし、私が皆様に兎料理を振る舞いましょう」
村が焼け、兎に変えられた子どもをカゴに入れたシルクが嬉しそうに言う。
「若い兎の料理をお作りしましょう。毛皮は加工して皆様に差し上げましょう…………あっはははははは!!」
こうしてシルクは村人を兎に変えては料理を振る舞い、やがて全員を処分してしまった。
最後に主人と夫人の2人が残った。2人も兎の呪いをかけられ、じわじわと姿が変わっていく。
「な……私達、が……お前を拾って、やった恩を……わすれたの!?」
「そうだ!服とかお金とか本とか……!いろいろあげただろ!」
「あっははは!何言ってんの〜?私を勝手に奴隷にしといてよく言うねぇ〜!」
シルクは縮んだ2人の脚を掴みぐるぐると回し、近くで侍らせていた魔獣の口へと放り込んだ。
「あっははは…………あははははははははは!!!!」
魔獣の口からバキバキと骨が折れ、血の滴る音を聞きながら高笑いをするシルクに、もはや昔のシルクの面影は無かった。
「(ははは……憎い人間を追いかけ回しているうちに……いや、この村を潰す為に無茶をしたせいで何もかも忘れちゃったけど……どれもこれも全部人間のせいで始まった事じゃない……!兄を殺した人間の……自業自得よ!!)」
燃え尽きた村の中で憎しみ混じりの笑いを続けるシルク。
此処で再び状況が変わる。
「あはははははははははは…………は?」
幼い頃に見た景色。魔法の修行をする森の中で、幼いシルクが泣きじゃくっている。
「シルク……昼間、近所に来た若い人に魔法を撃ったよね?駄目だよ、あんな使い方をしたら……」
「だって……!あの人間、お兄ちゃんに嫌がらせの呪いを……!」
「だからって、嫌な事をやり返しちゃ駄目だよ」
シルクは無言で兄を見つめ続ける。
「あれくらいどうって事ないから……ね、シルク」
「!?」
兄は幼いシルクではなく、シルク本人にそう語りかけた。
「こんな所に居たんだ」
「お、お兄ちゃん……?」
「うん。シルク、いつの間にか僕の背を追い越したんだね……」
兄はシルクを真っ直ぐ見つめ、優しい笑顔で歩み寄ってくる。
「お兄ちゃん……私達の人生を台無しにした人間を潰したよ。恨みを晴らしたんだよ」
「だからって、嫌な事をやり返しちゃ駄目だよ」
「でも……!」
「駄目だよ、あんな使い方をしたら……」
兄は言葉を続ける。
「シルク、将来は良い魔女になるんだよね」
「お兄ちゃん……」
「駄目だよ、あんな使い方をしたら……」
「……」
此処でシルクは気付いた。此処にいる兄は先程から、生前に述べた言葉しか喋っていないことを。
「でも、お兄ちゃん……殺されて……」
「シルク……」
此処にいる兄は、シルクの思い出の中にいる兄だ。
「シルク、将来は良い魔女になるんだよね」
兄はシルクの肩に手を置く。
「シルク……もし、僕に何かあっても…………シルクは…………僕に囚われないで…………先に……進んで…………」
「!」
この言葉は、まだ自我があった兄が最後にシルクに掛けた言葉だ。
目の前にいる兄はシルクの前でみるみるうちに縮んでいく。
「あ……!お兄ちゃん!お兄ちゃん!!」
シルクは力をフルに駆使して魔法を掛けて兄を助けようとする。だが、目の前の兄はどんどん縮んでいく。
「僕の、せいで……人生…………台無しに…………し……ないで…………」
やがて兄は、シルクの手の中で小さな黒兎へと変わってしまった。
「あ……ああ……!私、力を……こんなに力を得たのに……!」
シルクは黒い兎を抱え、目から大粒の涙を溢す。
「そうだ……そもそも私、こんなに力を欲しがったのは……お兄ちゃんを……!」
シルクの顔にはもう恨みや怒りは無い。そこには、兄を思い涙を流す妹の姿があった。
「お兄ちゃん…………お兄ちゃん…………!」
荒れ果てた遊園地。
シルクは周りの人を気にも留めず、見えない何かを抱えながら1人で涙を流し続ける。
「シルクが……止まった……?」
「ええ。これでシルクさんはもう暴れないでしょう」
『シルクさん……』
そのシルクの見た幻も含めて全て眺めていたモヨは、何もできずただ1人ぼっちのシルクを見つめていた。




