宝玉祭の前夜
翌日から目まぐるしい日々が始まった。
早朝から学校へ行き、アンバーと一年生の教室でギターの練習をしてから授業に出る。
放課後は幻想生物部や補習がある日は、その後にギターの練習に走って行く。
最初の日はアラゴンが寮まで送ってくれたけど、次の日からはジェダイドがわたしとアンバーを送ってくれるようになった。
幻想生物部の後、あわただしくギターを抱いて、一年生の教室へ駆けて行くわたしを見て、ジェダイドが付いて来たからだ。
ジェダイドは当然、ギターのことなんか興味もなくて、わたしとアンバーがひたすら練習している横で、のんびり本を読んだり、うたた寝したりしているけど、帰る頃になると番犬になって暗くなった校舎から、わたしたち二人を寮まで送ってくれた。
アラゴンは、練習中に何度か覗きに来てくれて、わたしもアンバーのついでにギターを教わることができた。
なんと、アラゴンは去年と一昨年を含めて四度も宝玉祭にギターの演奏で出ていたらしい。
だから今年もそうしたかったけど、なぜか劇に出ることになって、本人としては不満そう。
今年からオーブフェスタに出ることになったジェダイドも、アラゴンに深く同意して、何度もうなずいていた。
劇よりもギターの演奏の方がまだマシだと思っているらしい。
ジェダイドは本当に劇の練習に嫌気が差していて、わたしがうまくいっているか訊ねるだけでも渋い顔になる。
どうやらオーブフェスタが近づいて来たから、衣装合わせとか、実際に使う舞台での練習があって、ジェダイドも大変みたい。幻想生物部に遅れてきたときもあった。
そんなこんなであっという間に数日が過ぎ、明日が本番という前日になった。
最後の練習を終えて、くたくたになって寮に戻ったわたしは、クリスティーヌと部屋で寝る前のおしゃべりをしていた。
二人とも寝間着姿で、自分のベッドに座っている。
クリスティーヌは明日のオーブフェスタのプログラムが書かれた冊子を手に、不安そうな顔をしていた。
それもそうだよね。だって、ついに明日、ブラックストーン家の命運が決まってしまうんだもん。わたしが失敗したら、家名に傷がつくと、クリスティーヌは思っていて、それをひどく心配している。
わたしもそうならなきゃいいな、と思っているけど、もう本番は明日だし、それに関しては不安がっても仕方がない。
それよりも困ったことがあって、わたしの意識はそっちに向いていた。
両手を見つめているわたしに気づいて、クリスティーヌが言った。
「大丈夫、パール? 痛み止めを先生にもらって来る?」
「ううん。大丈夫」
わたしはやさしいクリスティーヌに、笑顔で答えた。
だけど、確かに痛みがひどい。両手がひどい状態になっているのだ。
指の腹にできていた豆が破れて、ちょっと触れるだけでも、ビビビビ~~と脳天にまで達する痛みが走る。
さっきお風呂に入ったときなんか、包帯の中にお湯が染み込んだ瞬間、痛くて飛び上がってしまった。
初心者が短期間の間に、必死にギターの練習をするなんて無謀だったと今さらながらに思う。
クリスティーヌに包帯を巻いてもらったけど、両手の十本の指のうち、八本がそんな状態だから、明日は痛みをこらえてなんとか二曲を弾かなければならない。
そうそう、演奏する曲は二曲になった。さすがに一曲だと、すぐ終わってしまうし、最低でも二曲は弾いた方がいいと、アラゴンに忠告されたから。
一曲目はスイス民謡の「おおブレネリ」。単音で軽快に弾くつもり。
二曲目はちょっと難しい「大きな古時計」。重音でハモらせるところがあるから、そこが注意かな。
でも一番の問題は、指の痛みで弦が強く爪弾けなかったらってことだ。
もし途中で痛くて手が止まってしまったら、最悪棄権ってこともあり得る。
プラム・ラヴァーシュタインがわたしが失敗して高笑いするのは、まぁいい。いや、よくないけど。それでも気にしないでいられると思う。
けど、クリスティーヌが悲しむし、ギターを教えてくれたアラゴンやアンバー、遅くまで居残って練習に付き合ってくれたジェダイドに申し訳ない。
それだけは絶対にダメだ。だから、明日はなんとしても、たとえ指の肉が削げ落ちても弾きとおさなきゃ。
わたしが決意を新たに、鼻息を荒くしていると、見ていたクリスティーヌがくすっと笑った。
「パール、何おかしな顔してるの?」
「気合い入れてるの!」
わたしが、ふんっと鼻を鳴らす。
クリスティーヌは、アハハッと笑って、わたしのベッドに置かれた一冊のノートを指差した。
「ねぇ、それ見せて」
わたしが包帯ぐるぐる巻きの手でノートを渡す。
ノートには、わたしが書きとめた曲の楽譜が載っている。
何の曲を弾こうか悩んでいた間に、思い出した童謡やクラシックの曲、アニメやポップスの曲も書き出しておいたのだ。
クリスティーヌはそれを見て目をぱちぱちさせた。
「何度見ても、おかしなものねぇ」
と、感心している。
「この毛糸玉みたいなのが一つの音なんでしょう」
クリスティーヌが、わたしの世界ではおたまじゃくしと称されることもある音符を指差し、首をかしげる。
わたしはうなずいた。
「そうだよ。五本の線が音の高さを表しているの。丸についてる紐っぽいものは長さを表すんだよ」
説明すると、クリスティーヌはさらに首をかしげた。
「う~ん、わたしには難しいわ」
クリスティーヌは楽譜を見るのも初めてだったらしく、ついこの間、わたしがノートに曲を書き出しているのを見たときは、ものすごく驚いていた。
この世界には楽譜がないらしく、アンバーが練習中に見ていたのはギターのコード表みたいなものだった。
歌詞の上に記号が振ってあるだけで、何の音かはわかるけど、速さや音の長さはわからない。
だから、弾く人によってまったく違う曲に聞こえてしまうかもしれないのだ。
アンバーは、演奏する三曲すべてをまずアラゴンに弾いてもらって覚え、それを真似て弾いていた。
わたしみたいに楽譜を見て、知らない曲でも弾けるという人はいないらしい。
アンバーとアラゴン、それにジェダイドもわたしの書いた楽譜を見ると、驚いて目を丸くしていた。
「たくさんの曲があるけど・・・」
クリスティーヌが呟く。
「ねぇ、パール・・・あなた本当にこれをすべて外海から来た異人に習ったの?」
いつの間にそんな人と知り合ったのか、とクリスティーヌが不思議がる。
わたしは何度目かわからないけど、えへへへへと笑ってごまかした。
「クリスティーヌが知らない間に港の方へ行ってたんじゃないかなぁ・・・。多分だけど」
記憶喪失だという設定を利用して、そういうことにしておいたのだ。
元の世界のことなんか話したら、クリスティーヌが混乱してしまうし、もしかしたらわたしの頭がおかしくなったと思われて、大事になるかもしれないから。
パールとクリスティーヌの実家が港町にあって本当によかった。
安堵しているわたしに、クリスティーヌが怪訝そうに顔をしかめる。
「そうよね。それしか考えられないわよね。こんな変わった曲に、楽譜? なんて奇妙な物を書けるようになってるなんて・・・本当にびっくりだわ」
心底驚いているらしいクリスティーヌに、嘘をついているせいかちょっとだけ罪悪感が湧いてくる。
「も、もういいでしょう。ほら、明日のためにも今日は早く寝なくちゃ」
「そうね。そうだったわ」
クリスティーヌはハッとして、ベッドの周りを片づけ始めた。
「ちゃんと休んで、明日はがんばらなきゃいけないものね」
「そうそう」
あいづちを打ち、わたしも楽譜を二人のベッドの間にあるテーブルに置くと、布団にもぐり込んだ。
テーブルの上の蝋燭を、クリスティーヌが吹き消す。
真っ暗になった視界の中で、今度は窓のカーテンの隙間から星明かりがうっすらと差し込んで来た。
「ねぇ、クリスティーヌ」
「なぁに?」
クリスティーヌの声だけ聞こえる。
「明日、わたしがんばるから・・・クリスティーヌもがんばってね」
「ええ。がんばりましょう、パール」
クリスティーヌは明日、山の下に見える谷間の町からやって来る人たちの案内係をすることになっている。
早朝の子供たちのための朗読会が好評で、クリスティーヌたちにその役目が回ってきたのだ。
同時に都のウィズダムやその周辺の街からも上流貴族の親族が学院に押し寄せるので、失礼がないよう誘導しなければならないらしい。
――なんだか大変だよね。
ギターの演奏の方がわたしにはよっぽど楽かもしれない。
そんなことを考えている間に、わたしの吐息はゆっくりと一定になり、頭がぼんやりとしてきた。
部屋を暗くしてものの数分、わたしは手のずきずきする痛みも忘れて、眠りに落ちていった。




