プラムとギター1
今まで一学年に最低でも五クラスはある学校に通っていたわたしは、一学年二クラスがどういうことなのか、まったくわかっていなかった。
翌日には、わたしがミシェル・ダザン、通称“黒薔薇の従者様”に手作りの呼び笛をもらったことや、ジェダイド・カルサイトがそれを聞いて激怒したことなどが、学年中どころか下級生の教室中に知れ渡ってしまっていた。
しかも噂では、ジェダイドがミシェルに嫉妬して怒ったことになっていて、その日、寮に戻ったクリスティーヌに「どうなってるの?」と詰め寄られてしまった。
結局、おばけ道を通ったからジェダイドが怒った、という話をクリスティーヌにしなきゃならなくなり、彼女にまで叱られて踏んだり蹴ったりだった。
クリスティーヌと大浴場に行ったら行ったで、今度はリア・コーラルとお供二人に出くわし、着替えている間中、「調子に乗ってるんじゃないの」とか「ブスが媚び売って気持ち悪いのよ」とか言いたい放題言われ、さすがのわたしもうんざり。散々な一日。
「ああ、もう! だからってわたしにどうしろって言うのよ!」
生物室の天井を見上げ、思わずぼやく。
今日は、幻想生物部がある日だ。
授業が終わって、誰より先に教室を飛び出し――だって、いまだにみんなわたしのことを興味津々で、ちら見したり、こそこそ内緒話したりしてるんだもん、居づらいったらない――、仕方なくこの生物室に逃げ込んだというわけ。
生物室にはまだ他には誰も来ていなかった。ゴーヤン先生もいない。いるのは、さっきから教室の中をちょこちょこ動き回っている小さなブタさんだけだ。
ゴーヤン先生の助手であるこのブタさんは、背丈が七十センチぐらいで二足歩行。よく見ると指は四本で、手――というか前足っていうべきかな――が器用に動く。今も授業で使ったのか汚れた器具を洗っている。
わたしは一人ぼやくのを止め、席を立つと、水屋の方へ近づいた。
ブタさんの横に立ち、そっと声をかけてみる。
「あの、手伝おうか?」
まだ洗っていない器具が積み上がっていた。こっちの世界でもビーカーやフラスコがあるらしい。でも、ガラス製ではなく陶器だけど。
ブタさんはわたしの方を見て、ブッブッと鳴いて、首を横に振った。
――なんて賢いんだろう。
わたしの言葉をちゃんと理解しているのだ。
――それにステラよりやさしいかも。だって、ちゃんと返事してくれるし。
ヤングドラゴンのステラは、人間の言葉を理解していても、いつだって無視を決め込んで返事なんかしたことがない。
手伝わなくていいようなので、わたしは近くから丸椅子を引っ張ってくると、ブタさんの横に腰かけた。
そして、大きな溜め息をつく。
「わたし、困ってるんだ。せっかく馴染んできたかなって思ったのに、また変に目立っちゃって、どうしたらいいのかわからないの」
ブタさんはせっせと器具を洗っていて、返事はしないけど、多分聞いてくれてはいる。と、思う。
「ジェダイドが怒ったのはよくわかるよ。おばけ道を通ったから。ジェダイドって心配すると怒るんだよね。それに、クリスティーヌにも怒られちゃったし」
昨日は小一時間も説教されてしまった。
クリスティーヌは今朝にはすっかり機嫌も元に戻っていたから、ケンカしたわけじゃないけど、ジェダイドは今日の授業中もわたしと目が合うたび、「ふんっ!」って感じで顔をそむけていた。
「わたしが悪かったと思う。うん。でもさ、あんなに怒ることないと思わない? わたしだってわざとじゃないし、知らなかったんだもん。それなのにジェダイドってこっちの話を全然聞こうともしないんだよ。ひどいよね」
ぶつぶつぐちぐち、わたしは不平不満を吐き出していく。
「リアにも睨まれるし、あ、それは前からだけど・・・・・・。前以上にってことね。なんか怖いぐらいなんだもん。わたし、そんな悪いことしたかなぁ。リアはジェダイドが好きみたいだから、わたしがジェダイドとケンカしたら喜ぶと思うんだけど」
他の人には話せないようなことも、なぜかブタさんには話せてしまう。
「ハァ、わたし、前の世界では友人関係ではあまり悩まなかったから、よくわからないことばかりだよ。前はピアノことだけ考えていればよかったからさ。後は周りに合わせていたら何とかなったけど、この世界ってそうじゃないんだよね。すごく大変なの。わかる? ブタさん?」
ブタさんは器具を桶の中でぴちゃぴちゃすすぎながら、ブッ、と鳴いてくれた。
「わたしを責めたり、急かしたりしないのはブタさんだけだよ」
肩を落とし、ポケットに手を突っ込むと、ミシェルのくれた呼び笛を取り出す。
手の平に載せて、じっと見ていると、やっぱりオカリナに見える。白い小さなオカリナ。
口をあてて、ふうっと息を吹き込むと、フクロウの鳴き声のように、ホーーと鳴った。
「うん、いい音!」
わたしは指孔に両手の指をそっと押しあてて、縦笛の要領で指を離したり付けたりしながら、音階を確かめてみた。
完全なドレミの音階には音が足りないけど、曲を思いついて吹いてみる。
ドレミ ドレミ ソミレド レミレ ドレミ ドレミ ソミレド レミド
ソソミソララソ ミミレレド
ピアノ教室で小さな頃に習った『チューリップ』だ。
すると、横で器具を洗っていたブタさんが、ブッブッ と音に合わせて鳴き出した。
思わず、アハハッと笑ってしまう。
「もう一回吹くね」
わたしが呼び笛を吹き始めると、ブタさんも音ははずれているけど、楽しそうに鳴き始める。
わたしとブタさんのデュエットだ。
あんなに落ち込んでいたのに、わたしはすっかり忘れて、呼び笛で次々と曲を吹いていく。
『きらきら星』に『おうまのおやこ』。簡単な童謡ばかりだけど、それがとても穏やかな気持ちにさせてくれる。
ブタさんは洗いものを終え、わたしの方を向いて、リズムに合わせて体を揺らしながら歌っている。
二人――じゃないな、一人と一匹――で笛の音を楽しんでいると、閉めていた教室の扉が開いた。
わたしは笛を吹くのをやめ、振り返る。
そこにいたのは上級の五年生、同じ幻想生物部の先輩であるプラム・ラヴァーシュタインだった。
整えられた長い金色の髪に色白な頬。迫力のある美人って感じで、ちょっと緊張する。
プラムは教室に入って来ると、わたしに微笑んだ。
「ごきげんよう、パール。楽しそうね」
ごきげんよう、なんて言葉、クリスティーヌも使わない。
――上流貴族って感じだなぁ。
わたしは以前、ジェダイドが言った言葉を思い出し、発言に気をつけなきゃ、と思った。
『プラム・ラヴァーシュタインは上流貴族だぞ。記憶がなくなって、前よりドアホになったおまえが何かしでかしたら、おまえだけじゃなく家にも迷惑がかかるってこと』
そうジェダイドは言ったのだ。だから、気をつけなきゃって、思ったのよ、本当に! だけど、彼女が手にしている物を見た途端、ジェダイドの忠告はわたしの頭の中からものの見事に、すっ飛んでしまった。
「ご、ごきげんようです、プラム先輩!」
立ち上がり、どこの体育会系だと言いたくなるぐらい、はきはきと返事をする。
プラムは目を細めておかしそうに、くすっと笑った。
だけど、そんなことは今のわたしにはどうでもよかった。
「あ、あの、プラム先輩! それはもしかして、もしかしてですが・・・・・・ギターじゃないですか!?」
プラム・ラヴァーシュタインは手にしていた艶光りしているダークブラウンのギターをすっと持ち上げた。
「ええ、そうよ」
彼女は口元に手を当て、くすくす笑い出した。笑い方が上品でとても可愛らしい。
「どうしたの、パール。あなた、まるで残飯を前にしたブタみたいに鼻息が荒いわよ」
「えっ!? あ、そ、そうですか? そうかもしれないです」
彼女の皮肉の混じった言葉をわたしは聞いていなかった。
そんなことより、目も意識もギターに釘付けになっている。
プラムはギターを手に、わたしの方へ歩み寄ってくると言った。
「わたしね、来週の宝玉祭に出演することになっているの」
わたしがさっきまで座っていた丸椅子に腰かけ、プラムは細くて長い足を組むと、ギターを膝の上に置いた。
わたしの世界にあるギターと変わらない。大きさもママが持っていたクラシックギターと同じくらいだ。
よく磨かれた焦げ茶色の木材に六本の弦が張ってあって、肩にかけるためのストラップピンは付いていない。おそらく立って弾くことはないのだろう。
わたしは端から端まで、穴が開きそうなほど眺めた。
ギターの練習はちょっとしたことがあるだけだけど、オカリナよりも断然、音域が広い。つまり、もうちょっと難しい曲が弾けるってこと。
頭の中をアニメの主題歌や映画音楽、クラシック、いろんな曲のタイトルが過っていく。
この世界に来てからというもの、音楽に飢えに飢えているわたしにとっては、まさしくのどから手が出るほどに欲しい楽器だ。
元の世界では、ただ街中を歩いているだけで、流行りの曲が聴けたし、テレビにラジオ、学校でも吹奏楽部に合唱部、チアリーディング部なんかも音楽を流していた。
丸一日、何の曲も聴かない日なんてなかった。
でも、この世界は違う。何も聴こえないのが普通で、教会の礼拝堂ぐらいしか音楽が流れている場所がない。
垂涎もののギターを前に、うずうずし始めた指を抑えるため、わたしは力強く両手を組み合わせた。
――あああ、弾いてみたい~~!!
――無理なら弾いてもらって聴きたい~~っ!!
プラムはギターを抱えているけど、膝に置いたまま奏でるつもりはないらしい。
「あ、あの・・・・・・これ、このギター・・・」
ようやく声を出したものの、興奮しすぎておばあさんみたいな掠れた声が出た。
落ち着きのないわたしに、プラムが笑顔で答える。
「このギター? わたしの私物よ。オーブフェスタに出ることになって、ウィズダムから取り寄せたの」
「はぁ、お取り寄せですか・・・」
ウィズダムって、クリスティーヌのお母さんが療養しているモルガナイト公国の都だったはず。
わたしは話を聞きつつも、ギターから目を離さない。
「ねぇ、パール」
プラムが微笑みながら言った。
「あなた、さっき変わった曲を吹いていたわね」
そのねっとりとした声と視線に、わたしはまったく気づかなかった。
美しく見事な六弦のギターを前に、これを作った職人ならピアノを作れるんじゃないかな、とか。この弦はやっぱり動物由来のものかな。この世界にはナイロンも炭素繊維もないだろうし、とか。他にはどんな楽器があるんだろう。見てみたいな、なんて考えていた。
はっきり言って、彼女の存在そのものを端に追いやっていたと言ってもいい。
だから当然、うわの空。一応、答えるものの、から返事になった。
「そうですね」とか「はい」とか、そんなのばかり。
でも、プラムがギターを持ち上げ、こう言ったときには、耳と脳が正常に直結した。
「貸してあげましょうか?」
わたしは文字通り、はらぺこでたまらなかったブタのごとく、飛びついた。




