新しいおともだち
記憶喪失扱いになってしまったわたしは、ひとまず午後の授業は早退して、学院の寮とやらで休むことになった。
保健のマカロニティ先生(なんだか美味しそうな名前)に聞いたところ、ここはモルガナイト公国という国で、わたしがいるのは南西にある山間の町ティグリスにある全寮制の学校らしい。
ティグリス学士院はモルガナイト公国で一番大きな学び舎で、七才から二十才までの男女が日々、共に生活し、学んでいる。わたしはその学院の四年生。
十才のパール・ブラックストーンだ。性別は女。身体は健康そのもの。七才からこの学院の寮で暮らしているらしい。
マカロニティ先生はそれぐらいのことしか教えてくれなかった。というのも、わたしと先生が話している間に、ゴーヤン先生(ちょっと厳しい印象を受ける三十路ぐらいの男の先生)とカルサイトくん(ちょっとイジワルそうな栗毛の男の子)が保健室を出て行き、しばらくしてカルサイトくんが女の子を連れて戻ってきたからだ。
ちょっとお淑やかそうな雰囲気で、金色のふわふわ髪を左右でちょっとだけつまみ、ピンクのリボンで結んでいるその女の子は、わたしを見るなり両手を胸の前で合わせ、目に涙をぶわわっと溜めて言った。
「もうもうもうっ! パールのバカっ! また心配させて!」
わたしはここに来てから、何度バカと言われただろう。もうバカという言葉にショックを受けなくなっているのが怖い。
女の子は隣で不機嫌そうに口をとがらせているカルサイトくんを、涙目で責めるように見た。
「ジェダイド、あなたが付いていたのに、こんなことになっちゃうなんて・・・」
ジェダイド、と呼ばれたカルサイトくんが不服そうに眉をひそめる。
「おい、おれはこいつのお守りじゃねぇぞ」
「でも実習のパートナーじゃない。ちゃんとパールを見ててくれなきゃ。パールがおドジなくせに好奇心だけは強くて、放って置くと何をするかわからない危険人物だってことぐらいわかってたでしょう」
「それはまぁ・・・そうだけど・・・・・・」
「それにパールは運動神経もないし、おつむも弱いんだから、ドラゴンに乗ってるときは注意してあげなきゃ。この間だって、ステラの歯磨きの最中に喉の奥にはまって抜けなくなったの忘れたわけじゃないでしょう」
なんだか、パールって子は、その・・・・・・とんでもない子なんじゃ・・・・・・。
それに、この女の子、結構言ってること辛辣だよね。
わたしはなぜか自分のことを言われているような気がして、がっくりと肩を落とす。
「わかってるけど、おれだって好きでこんなお間抜けと組まされたわけじゃないんだからな。いい迷惑だぜ」
カルサイトくんがぼやく。
わたしは思わずうんうんと頷いた。確かに女の子の話が本当なら、そのパールって子はかなりのくせ者だ。一緒にいたカルサイトくんはさぞ大変だっただろう。
わたしの頷きを見たカルサイトくんと女の子が顔を見合わせた。
「パール、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫じゃねぇだろ。頭を打って元々パッパラパーだったのが、前のこと全部忘れた究極のクルクルパーになっちまったんだぜ」
「そんなひどい言い方しないで」
「だって本当のことだろ」
二人が言い合いを始めたので、わたしは手を挟んでそれを止めた。
「そこまで!」
二人が口を閉じる。
わたしは女の子の方を見た。
「ねぇ、それで申し訳ないんだけど、あなたの名前を聞いてもいーい?」
「・・・本当に忘れちゃったの、パール?」
悲しそうな目を向けられるけど、仕方がない。本当に知らないのだ。
「うん、そうなんだ。だから、悪いけど教えてくれないかな?」
「・・・わかった。わたしはクリスティーヌ・ブラックストーンよ」
「ブラックストーン? わたしと同じ名前?」
「そう。それも忘れちゃったんだ。わたしとパールは父親が兄弟同士のいとこなのよ」
「いとこ・・・・・・」
そこでカルサイトくんが口を挟んできた。
「もしかしてパール、いとこが何かも忘れちまったんじゃないか? どうする? こいつ、トイレの仕方も忘れてるかも。おれ、イヤだぜ。シモの世話までさせられんの」
クリスティーヌが青い瞳でキッとカルサイトくんを睨みつけた。
「ジェダイド、パールは病気なのよ! かわいそうだと思わないの!?」
いや、わたしは別に病気じゃないと思うんだけど・・・。
だが、さすがにそう言われるとカルサイトくんも黙るしかない。
わたしはカルサイトくんに言った。
「あの、カルサイトくん、わたしトイレの仕方は多分覚えてるから大丈夫」
ここのトイレがわたしの知ってるトイレと同じならだけど。
すると、カルサイトくんは渋い顔になった。
「おい、気持ち悪い呼び方すんなよ」
「気持ち悪い?」
「そうだよ。なんだよ、カルサイトくんって。いつもみたいにジェダイドって呼べばいいだろ」
「ジェダイド・・・」
「そ、そうだよ。ったく、全部忘れやがって。言っとくけど、おれは絶対悪くないんだからな。おまえが勝手にステラから落ちたんだ。生きてたからよかったけど、本当なら死んでたんぞ。二度とあんな危ないマネすんじゃねぇぞ! それからなぁ、ゴーヤン先生に一ヶ月、厩舎の掃除をするよう言われたから、明日から朝、ちゃんと来るんだぞ! 来なかったらタダじゃおかねぇからな」
早口に恐い顔でそう告げると、ジェダイドは「ふんっ」と鼻息を荒くしてわたしに背を向け、保健室を出て行ってしまった。
なんなんだかなぁ。わたしは困惑して、クリスティーヌを見る。彼女は目が合うと、かわいらしくにこっと微笑んだ。
「じゃあ、パール。行こっか」
「どこに?」
クリスティーヌがわたしの手を掴んできた。
「もちろん寮によ。わたしとパールは同室だから、わからないことがあったら何でも聞いていいからね」
「あ、ありがとう」
クリスティーヌは保健のマカロニティ先生にきちんと退出の挨拶をすると、わたしと手を繋いだまま廊下へ出る。
わたしはちょっと気恥ずかしい気持ちになっていた。だって、誰かと手を繋いで歩くなんて子供の頃以来だもん。繋いだ手があったかい。
寮へ向かいながら、わたしはクリスティーヌに訊ねた。
「ね、クリスティーヌ」
「なぁに?」
前を向いて歩いていくクリスティーヌは、わたしと同じ水色の制服を着ていた。けど、ズボンじゃなくて彼女はスカートだ。ふわふわの金色の髪が歩くたびに揺れて、廊下の窓からの日差しにキラキラ光っている。わたしの髪はこんなキレイな金色じゃない。髪を一房つまんでみると、ちょっと暗い緑色がかった不思議な色をしていた。
「クリスティーヌはわたしと同じ年なの?」
「そうよ」
それにしては、パールに対してお姉さんっぽい雰囲気がある。それにパールは確か十才だけど、彼女は小学生というより中学生ぐらいに見えた。大人びている。身長のせいかな。クリスティーヌはわたしより十センチほど背が高そうだった。
「わたし本当に何もわからないから、すっごく迷惑かけると思う。最初に謝っておくね」
わたしが言うと、クリスティーヌはくすくす笑った。
「迷惑なんて、わたしたち一番の仲良しじゃない。全然平気よ。それにパールの面倒がみれなくなったら、わたし退屈しちゃう」
なんていい子なんだろう。わたしはびっくりしたと同時に、本物のパールが少し羨ましくなってしまった。こんな友達、わたしにはいなかった。ピアノと部活と勉強の毎日。学校で話す子はいたけど、こんな風に迷惑かけても大丈夫って言ってくれる子なんていなかった。表面上の友達だったなんて思いたくないけど、学校を離れたら段々疎遠になっていく関係だったと思う。
「それにね」
とクリスティーヌは振り返ってわたしに微笑みかけた。
「おばさんにもパールのことを頼まれてるもの。パールが学校を卒業して、お嫁さんになるまでは、わたしがパールのお父さんでお母さんでお姉さんで親友なんだから。パールが病気になったからって何も変わらないわ。大丈夫。記憶だってすぐに思い出すわよ」
なんっていい子! わたしは思わず感涙しそうになった。
やさしくてかわいいクリスティーヌに手を引かれて、保健室のあった建物から出て、校舎に沿って小道を歩いて行く。目の前に四階建ての煉瓦造りの建物が見えてくると、クリスティーヌが、
「あれが寮。わたしたちの部屋はあの黄色いひよこのカーテンの部屋よ」
と三階の窓を指差して教えてくれた。
こうしてわたしは、一歩ずつパールとしての生活に踏み込んでいったのだった。




