暗い廊下での出会い
大鷲を鳥舎に戻し、昼食のために食堂へ歩き出したアラゴンは、さっきまで練習していた歌を歌っていた。
「飛べるってことをいつ知った~? あなたの心が~ あなたの躰が~ どこまでも自由だっていつ知ったの~?」
「・・・・・・なんですか、その歌?」
隣からミシェルが怪訝な顔で訊ねる。
「ン? この歌はな、パールが教えてくれたんだ」
アラゴンは楽しそうに歌い続ける。
ミシェルは顔をしかめた。
「聞いたことのない歌ですね。彼女の出身地で流行っているんでしょうか?」
「さぁ」
アラゴンはそんなことはどうでもいいと言った態度で、楽しそうに口ずさんでいる。
ミシェルはさらに眉間にしわを寄せ、アラゴンを見た。
「パールは確か、ブラックストーン伯のお孫さんでしたよね。ということは、西南のシャンペイン地方出身のはずです。あの辺りは交易が盛んな港もありますし、外海からの異人の曲かもしれませんね」
難しそうな顔で言うミシェルの横を、大鷲の手綱をひきながらアラゴンは気にもせず、何食わぬ顔で歌い続ける。
「アラゴン、聞いているんですか? 異国の歌などあまり感心したものではありませんよ」
ようやく歌うのをやめ、アラゴンはミシェルを見返した。
「うるせぇなぁ。別にいいだろ、異国の歌だって。おまえもよく聞けよ。すごくいい曲なんだ。この歌を歌ってると、こいつに乗ってるときと同じ気分になれる」
アラゴンはやさしく大鷲のふわふわの翼を撫でた。そして、また歌い出す。
「一人だと思うなら 見渡してみて~ あなたの手の先に~ わたしはいるわ~ いまでもずっと一緒に飛んでいるわ~」
楽しそうに笑顔で歌うアラゴンに、ミシェルは溜め息をついた。
「な! なんか楽しい気持ちになるだろ!」
嬉しげに言われてしまう。
「そうですね」
渋い顔のまま冷たく答えたものの、アラゴンにはまったく効かず、鳥舎に着いてもまだ歌い続けるのをミシェルは聞くはめになるのだった。
一週間後、わたしは寮から学校の校舎までの坂道を転がるように駆け下りていた。
騎乗実習の後、ゴーヤン先生から罰として言い渡されていた朝のドラゴンの世話からジェダイドと共に解放され、今はすっかり寝坊できるようになったせいで、ここ最近は遅刻ぎりぎりだったりする。
――うわぁぁぁん、どうしようどうしよう、今日こそ遅刻だよぉ!
同室のクリスティーヌは早朝から礼拝堂で行われる朗読会に出ているので、ねぼすけなわたしは起こされないのをいいことに、すっかり寝こけてしまった。
――あんなにクリスティーヌにちゃんと起きるように言われてたのに!
クリスティーヌは怒鳴ったりはしないけど、怒ったらすごく怖い。口元は微笑んでいても、目が汚らわしいものでも見るような冷たい色に変わるのだ。
以前、勉強を教えてもらっていたのに、どうしてもやる気が出なくて教科書を放り投げたら、クリスティーヌはその冷酷な目つきになって、わたしは震え上がってしまった。
十才の女の子と侮るなかれ、本当に鬼の形相になるんだから、逆らわないに限る。
遅刻なんてしようものなら、「同室のわたしの責任だわ!」と思い込んで、次の日から学校があろうがなかろうが惰眠をむさぼるわたしを許しはしないだろう。
自分の起きる時間に合わせて起こされるに違いない。
――それはイヤ~~ァ!!
わたしだって早寝早起きがいいのはわかってる。わかってるんだけど、最近この世界の本を読むようになったり、クリスティーヌが教えてくれたお裁縫にちょっとハマッたりして、勉強に読書に趣味にと時間がどれだけあっても足りないんだもん。
昨日もクリスティーヌが寝た後、蝋燭の明かりで長々と、この世界の有名人について書かれた伝記本を読んでしまった。
そんなことを思い出しながらも、わたしの足は必死に坂道を駆け下りて行く。
同じように遅刻しそうな子たちが走っていたけど、どんどん追い越されて、いつの間にか一人になっていた。
――パールって運動神経よかったんじゃなかったっけ?
前のパールの話はそうだったらしいんだけど、今のパールは運動音痴そのものだ。
元の世界のわたしも運動神経がないようなものだったから、もしかして、身体が問題なんじゃなくて、中身の問題ってことかな。
なんとか校舎の入り口までたどり着くと、わたしは暗い石造りの建物の中へ飛び込んだ。
すでに人っ子一人いない廊下を走って行く。
先生に見つかったら怒られるだろうけど、その先生ももう教室にいるのか、誰にも出くわさない。
――うわぁぁん、ヤバいよぉ! こうなったら・・・・・・。
わたしはいつもは通らない細くて暗い横道へ入った。
こっちの方が近道なんだけど、クリスティーヌが絶対に通っちゃダメって言うから、いつもは使わない道だ。
普段使っている廊下は窓があり、壁沿いに燭台もあって、それなりに明るいんだけど、こっちの通路は両側が石積みの壁になっていて、燭台もなく、なんとか一人とすれ違える程度の幅しかない。
暗いし狭いし、クリスティーヌが言うには・・・・・・アレが出るという噂もあるとか何とか。
――・・・・・・いないよね。アレなんてさ。
わたしは薄暗い通路に飛び込んで、すぐに後悔した。
だって本当に暗い。暗すぎる。足元が見えないぐらい。
――学校にこんな廊下があること自体、おかしいと思うんだけど。
この学校の校舎は何十年か前までは、この地方の領主の城だったらしいので、学校らしからぬところがあるのは仕方がないのかもしれない。
わたしはちょっと速度を落として、自分でもなぜだかわからないけど両手を胸の前でぎゅっと合わせて歩いて行く。
目に見えるものが少ないせいか、やけに耳が敏感になってきた。
ひゅうひゅうという失敗した口笛のような風が通り抜ける音がする。
その上、奇妙なことにわたしの足音に混じって、別の足音も。
――・・・・・・。
早足になり、わたしはスタスタと廊下を直進して行く。
後ろから、少し速くなった足音がついて来る。
――・・・・・・アレに足はない・・・・・・よね?
白くてふわふわ浮かんでいる足のないアレ、そう、幽霊を想像してわたしはぶるっと身震いした。
「・・・・・・・お、おばけなんて、ないさぁっ!!」
突如、大声でわたしは歌った。
「お、おばけなんて! な、ないさぁぁぁっ!!」
さらに足を速める。
「おばけなんて、う、うっそさぁぁっ!!」
大声で歌いながら、ついに駆け出す。
だけど、後ろからついて来ている足音が歌い出した途端、大きくなった。
しかもわたしが駆け出した途端、足音も走り出す。
――う、うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!!
顔を強張らせ、大声で歌い続けながら、わたしは暗い廊下をどんどん走って行った。
――アレが出た! アレが出たよぉ!! クリスティーヌ助けてぇぇぇ!!
もはやまったく前が見えないまま、わたしはできる限りの全速力で走った。
だって、幽霊に捕まったらどうなると思う? わたしはやっぱり連れて行かれると思うの。あの世に! それは困る。
わたしは坂道を走っていたときよりも、がむしゃらになって走った。
「みっつけった人が~ 見間違っえたっのさ~!!」
歌うのはやめない。だって、黙って走ったら足音がしっかり聞こえて、余計に怖いから。
だけど、足音はどんどん近づいていた。
――うわぁぁぁ、わたしの運痴~~ッ!
運動音痴なことをこれほど呪ったことはない。
突然、わたしは後ろから腕を引っ張られた。
前に前にと走っていた身体が後ろに引かれて、ふわっと浮き上がる。
腕が肩から、すぽっと抜けてしまったかと思うぐらいの衝撃があった。
「ひゃあっ!!」
わたしの浮き上がった身体は引っ張られた方向にあった何かにぶつかり、そのまま床に倒れ込む。
でも、そんなに痛くはなかった。
代わりに、わたしの背中の下からうめき声がした。
「うう・・・パール・・・・・・」
「えっ?」
身体を起こして、わたしは自分の尻の下に敷いてしまったものを見た。
「あれ? ミシェルさん?」
暗がりの中でも間近に見知った顔が見えた。
さらさらの黒い髪に、青白いしかめっ面の顔。
「ひどいじゃないですか、パール」
ミシェルはわたしを軽々と抱き上げ、物のように脇に置くと言った。
「危ないですよって言ったのに、まるで聞かずに猪みたいに走って行くんですから」
身体を起こしたミシェルは、乱れた前髪を手でそそっと直し、わたしを呆れた様子で見た。
「えっ? あの、ミシェルさんが追いかけて来ていたんですか?」
「そうですよ。誰だと思ったんです?」
「・・・・・・」
白くてふわふわ浮かぶアレだと思ってたなんて言えない。
わたしはきゅっと口をつぐんで、視線をそらした。
「まぁ、いいですけどね」
溜め息をつきながら、ミシェルはわたしの走っていた先を指差した。
「もう少しで壁に激突するところでしたよ。ここは暗いので曲り角が見えにくいんです。だから声をかけたんですけど、あなたはまるで幽霊にでも追われているような勢いで走って行くので、びっくりしました」
ふふふっと笑われる。
――もしかしてミシェルさん、アレの噂を知ってたな。
わたしはむうっと頬を膨らませた。
「べ、別に幽霊なんて怖くないですから」
「そうですか。すみません。でもパール、妙な歌を歌ってませんでしたか? おばけがどうとか」
「・・・・・・」
わたしが思わず口をへの字にすると、ついにミシェルは笑い出した。
「ハハハッ、すみません、パール。あなたがあまりに大慌てで走って行くので、つい・・・面白くなって・・・アハハハハハッ!」
やっぱりわざと追いかけてたんだ。
「もうっ、すっごく怖かったのに・・・ひどいじゃないですか・・・怖がらせるなんて・・・」
わたしは睨みつけて、ぶつぶつ文句を言った。
「すみません」
笑いながら、ミシェルが立ち上がる。
わたしの手を掴んで立たせると、ミシェルは言った。
「じゃあ、お詫びにわたしが出口までエスコートしましょう。この通路は本当に危ないんですよ。あなたのように幼い子が使うのはやめておいた方がいいでしょう。次からはちゃんと明るい方の道を使いましょうね」
なんだか本当に小さな子に言うみたいに言われて、わたしは気が抜けてしまった。こくんとうなずく。
ミシェルに手を引かれ、暗い通路を二人で歩き出す。
さっきまで怖かったのに、今は暗くても全然平気だ。
この通路の先は、下級生の校舎の一階の端に出る。本来ならいくつも別の校舎を抜けて、渡り廊下も通って行かなければならないので、この道を使えばかなりの時間短縮になる。
ただし、暗い道が長く続くので子供たちは滅多に使わないし、すでに遅刻寸前の時間になんて人がいるはずもない。
「ミシェルさんはどうしてこの道を通っていたんですか?」
わたしが訊ねると、ミシェルの顔は暗くてよく見えなかったけど、彼は答えてくれた。
「わたしはいつもの明るい方の通路を使うつもりでしたよ。ただ、あなたがこちらの道に入って行くのが見えたので」
「えっ? わたしのためにこっちの道に来たんですか?」
実はミシェルは上級生なので、下級生の校舎の方へ繋がるこの暗い通路を使えば、逆に遠回りになってしまう。
さすがに申し訳なくなって謝った。
「すみません、ミシェルさん」
「いいんですよ。わたしは今日は二限からなんです。少し早く来すぎましたし、散歩になってちょうどいいです。それにちょっと、楽しかったですしね」
ふふふっとまたミシェルが笑い出したので、わたしは思わず「あ、そうですか」と冷めた表情になった。
――ミシェルさんの性格がちょっとわかってきたかも。
走っているときは必死だったから、あまり気にならなかったけど、歩いているとやっぱり暗いなと思ってしまう。
アレも嫌だけど、もし変質者でも出ようものなら、わたしの足では逃げられないかもしれない。
わたしは繋いでいるミシェルの手をぎゅっと強く握りしめた。
すると、ミシェルがふいに歌い出した。
「飛べるってことをいつ知った~? あなたの心が~ あなたの躰が~ どこまでも自由だっていつ知ったの~?」
聞き覚えのある歌だ。
あまり大きな声じゃないけど、狭い廊下なので反響している。
ミシェルはとてもきれいな声をしていた。
当然、わたしより低い声だけど、音程ははずれていない。
――アラゴンさんより、うまいかも。
なんて、ちょっと比べてしまったりして。
「手放してしまった~ 風船を追い抜いて~」
ミシェルが手を引きながら、ゆっくりと歌っているのを聞いていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
わたしも彼に合わせて歌い出す。
「「笑っているお月さまの~ 顔を間近に見よう~」」
本来はアップテンポな曲なんだけど、ミシェルは言葉の一つ一つをゆっくり口にしているので、ポップスが演歌になったみたいで面白い。
――アラゴンさんが教えてあげたんだろうな。
わたしはくすっと笑った。
「どうかしましたか?」
歌うのをやめ、ミシェルが訊ねてくる。
「この歌、アラゴンさんに教えてもらったんですよね?」
「ええ、そうです。というより、あの人がいつまでも歌っているので覚えてしまいましたよ」
不本意そうに聞こえた。
「この歌、好きじゃないですか?」
「いえ、とても楽しくていい歌だと思います」
そこでミシェルは言葉を切り、わたしの方を見た。と、思う。暗くてよくわからなかったけど、そんな気配がした。
「パール、あなたに聞いてみようと思っていたのですが・・・・・・」
「なんですか?」
「この歌、どこの歌なんでしょう?」
「・・・・・・」
わたしは思わず立ち止まりそうになってしまった。
けど、ミシェルが手を引いているので、顔だけ硬直させたまま、足は機械のように動かし続ける。
――ええっと、どこの歌って聞いたよね、今。
わたしが黙っていると、ミシェルは再度言った。
「パール、この歌はどこの地方の歌なんでしょう? 聞いたことのない曲調ですが」
「・・・・・・」
黙っている間、わたしの頭の中はというと――。
――どうしようどうしようどうしよう!!
で、いっぱいになっていた。




