エピローグ
「どうして……そんな冷たいことばかり言うんだ? やはり、私を恨んでいるのか……」
「わたくしはわたくしの発言を冷たいとは思いませんけど? 約束当日に待ち合わせ場所に現れず、婚約者を何時間も放置する貴方のほうが冷たいのでは?」
「それは……本当に申し訳なかった! 今度は君が私を何時間も待たせてもいいから……!」
「貴方と待ち合わせをする機会は永遠に訪れませんので、そんなことを考えなくともよろしいですよ」
「そんなことを言わないでくれ! 今度こそ、絶対に君を悲しませないと誓う! 私の名に懸けて!」
「知っています? ゼロに何を掛けてもゼロなのですよ。……そんな信用ならないものにかけられても……ねえ?」
『かける』の意味が違うが、エリーゼのアルベルトに対する信用がゼロだということは分かった。
彼が何を言おうともエリーゼの心には響かない。その事実を思い知り、アルベルトはひどく打ちひしがれた。
「お願いだ……エリーゼ、一度だけでいい、私にやり直す機会を与えてくれないだろうか?」
懇願するアルベルトをエリーゼは不快そうに見据える。
かつて、自分もこうして彼に懇願した。約束を守ってほしいと、王女より自分を優先してほしいと。
だが、彼は結局エリーゼの懇願を聞き入れてはくれなかった。婚約者との約束よりも、ただの街歩きを優先した。
そんな相手にどうして機会など与えてやらなくてはならないのか。
また、あれだけこちらを蔑ろにしておいて、恥ずかしげもなくよくもこんな台詞を吐けたものだ。
過去の行いに対する苛立ちと、今の彼の図々しい態度への苛立ちが相まって、エリーゼは不作法を承知で大きなため息をついた。
「はあ~…………」
「エリーゼ?」
「……図々しい」
「え? 今、なんて……」
「図々しいと申し上げたのです。わたくしのお願いは聞いてくれませんでしたのに、ご自分は平気で願いを聞いてもらおうとする恥知らずな態度が。それに散々機会を与えてきたではありませんか? それが叶わないなら婚約は破棄すると、親切にも事前にご説明しておきましたのに、それでも駄目でしたよね? その結果、婚約は破棄され、貴方は廃嫡となった。自業自得なのですから、この期に及んで『機会を与えてくれ』などと調子のいいことを言わないでくださいまし!」
ぴしゃりと言い切られ、アルベルトは愕然とした。
彼はこの期に及んでまだ期待していたのだ。最後にはエリーゼは自分を受け入れてくれると。
過去に彼女から何度も縋りつかれた記憶がアルベルトに妙な自信をつけていた。そこまでエリーゼは自分を愛しているのだと。その気持ちは消えやしないのだと。何故か、彼の中でエリーゼの愛は不変のものとなっていた。
それが今、エリーゼの辛辣な台詞により、その自信にヒビが入ろうとしている。
今の今までエリーゼは割と辛辣なことを言っていたし、拒絶もしていたのだが、どこかでそれでも最後には許してくれると本気で思っていた。あれだけもう興味がない、という態度をエリーゼがとっていたにも関わらず。
「そんな……エリーゼ、お願いだからそんなことを言わないでくれ! 君は……君はそんな酷いことを言う子じゃないだろう? もっと優しくて、思いやりがあって……何より私を一番愛してくれた! それを忘れてしまったのか?」
「……まあ、気持ち悪い。貴方がそう思いたいのなら、ずっとそう思っていたらよろしいのでは? 実際は全然、全く、違いますけど……」
またもや一刀両断され、流石のアルベルトもここでようやく思い知る。
自分は、エリーゼにそれほどのことをしてしまったのだと……。
「貴方が何を言おうが、わたくしがやり直しの機会を与えることは一生ありません。わたくしの懇願を散々無視しておいて、ご自分のお願いが通るなどと思わないでくださいまし」
「……もう、本当に駄目なのか? 私は……君を本当に愛しているんだ。あの時だって、君と結婚して夫婦になりたいと本気で思っていた。それに……失ってようやく気づいたんだ。君が私にとって、どれだけ大切な存在か……」
「……その台詞、失う前に聞きたかったです。まだ、貴方を好きな頃のわたくしでしたら絆されていたでしょうね。たとえ、どれだけ軽んじられようとも……」
遠い目をするエリーゼの悲しそうな横顔に、自分がどれほど彼女を傷つけてきたのかを悟った。
それは過去、王女を優先するたびに何度も見た顔だ。あの時は仕事だからと気にも留めなかった。それが今になって、報いとでもいうように罪悪感が一気に胸へ押し寄せてくる。
「……すまない、エリーゼ」
「謝罪はもう結構です。何を言われようとも、わたくしが散々傷ついた過去は無かったことにはできませんし、するつもりもありません」
「そう……だよな。すまない。本当に……」
エリーゼの目尻に浮かんだ涙に、アルベルトはまたもや自分の勝手な行動が彼女を傷つけたのだと知る。
そして、己の願望ばかりを押しつけてきた自分がどれほど身勝手だったかを思い知り、深い自己嫌悪に襲われた。
「私は……君を傷つけてばかりだ。すまなかった、エリーゼ……。こんな自分勝手な男が君を幸せにできるわけなかったな……」
「ええ、まったくです。わたくしはもう、貴方を信じることなどできません。それだけのことを貴方はわたくしにしてきたのですから」
「……ああ、その通りだ。私は散々君との約束を蔑ろにしてきた。許されるはずなどないのに、浅ましくも会いにきてすまない……」
「いえ、わたくしも言いたいことは言えましたので、それは構いません。……ですが、もうこれきりです。金輪際、会うことはありません」
それは当然の報いなのに、何故だかアルベルトは胸が裂かれるように痛かった。
──こんな思いをするくらいなら、初めからエリーゼを大切にしておけばよかった……。
アルベルトの胸に深い後悔が押し寄せる。きちんとエリーゼを尊重していたら、護衛として王女と節度ある距離を保っていたら、今頃はエリーゼと幸せな結婚生活を過ごしていたかもしれないのに……。
「……今日は、会ってくれてありがとう。そろそろお暇するよ」
「あら、もうよろしいので?」
「ああ……。これ以上、君を悲しませたくない。……エリーゼ、私が言う資格などないと分かっている。……それでもどうか、幸せになってくれ」
まるで憑き物が落ちたかのように穏やかで、それでいて罪悪感に満ちたアルベルトの表情にエリーゼはわずかに目を見張った。婚約中、彼のこんな顔など見たことがない。
「ええ……。貴方も、どうぞお元気で」
だからといって、絆されることはない。アルベルトへの愛はもう完全に失われたのだから。
その後、エリーゼは新たな相手と出会い、婚約を経て、その人と人生を共にすることになった。
夫となった人はエリーゼを大切にしてくれた。穏やかで幸せな日々が、彼女の傷ついた心を少しずつ癒していく。
アルベルトと過ごした日々のような激しいときめきはない。だが、その代わりにあの時のような痛みを味わうこともない。夫はエリーゼを何よりも優先し、尊重してくれるから──。
これにて完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました!




