プロローグ
「……また、約束を破るのですね」
穏やかな午後の庭園にどこか寂し気な女性の声がぽつりと零れた。
彼女の前に佇む青年はその言葉に困ったように眉を下げる。
「エリーゼ、それは違う。王女殿下の護衛が最優先なのは君も知っているだろう」
「ええ、存じております。お仕事を優先なさる精神はご立派です……。ですが、今日のお茶の約束も、数日前の観劇も、先週の晩餐も、全てその日に破られましたね」
「それは急な任務が……」
「急な任務? 王宮にいらっしゃる王女殿下の護衛が、どうして急に必要になるのでしょう。護衛は他にもいらっしゃるでしょう?」
「それは……でも、殿下が私をご指名で……」
女性が詰め寄ると、青年は言葉を失った。その態度に女性は小さく溜息をつく。
「わたくしの誕生日も『殿下が体調を崩された』という理由で、来ては下さいませんでした」
「仕方ないだろう? 殿下のご体調が優れない時にお傍を離れるわけには……」
「看病に男の騎士が必要なのですか? 女官がいるではありませんか」
「いや……だが、心細いから傍にいて欲しいと……」
「……まさか、臥せる殿下のお傍に侍っていらしたの? 男性のあなたが?」
「…………」
その問いかけに、青年は視線を逸らした。
婚約者でもない女性の寝台に控えるのはまずいという自覚があるのだろう。
「……仕方がないんだ」
「その言葉、何度目でしょうか……」
「騎士とは……そういうもので……」
「貴方のそれは、一般的な騎士の在り方とは逸脱しているように思えます」
その問いに答えは返らない。しばしの沈黙の後、女性が先に口を開く。
「王女殿下をお守りすることは立派なお務めです。それを否定するつもりはありません」
「エリーゼ……」
「ですが」
その一言で青年は肩を強張らせる。
「あなたは……あまりにもわたくしを……婚約者を蔑ろにしすぎです」
「そんなつもりは……」
「そんなつもりがなくとも、実際にそうです」
青年は反論しかけ、口を閉ざした。
思い返せば、彼女との約束を守れた日は少ない。
「わたくしは……なにも王女殿下と競いたいわけではありません。ですが、婚約者であるわたくしが貴方にとって蔑ろにして当然という存在なら……」
そこで初めて彼女の声が震えた。
「婚約者でいる意味は……あるのでしょうか」
「……ッ‼ エリーゼ……」
「貴方はいつも、わたくしを愛しているとおっしゃいます。でしたら、どうしていつも、わたくしを放って王女殿下の元へ行ってしまうのですか」
「それは任務だから……」
「それだけではありません。いつも、いつも……殿下のお話ばかり。わたくしといても、貴方のお心は殿下に向いている」
「違う! そんなことは……」
「婚約者からいつも別の女性の話ばかりされて、気にしないほどわたくしは寛容ではありません……」
「エリーゼ……」
その時、不意に遠くで鐘が鳴った。それは王城から響いており、音に反応するように青年の視線が自然とその方向へと向く。その一瞬を彼女は見逃さなかった。
「……ほら」
悲しそうに笑う。
「わたくしという婚約者が目の前にいるのに……貴方はいつもそうやって、余所見ばかり」
青年はその指摘に言葉を失う。彼自身、無意識だった。
それでも、その無意識こそが、彼女にとって許せないことだった。
「もう十分です」
女性はゆっくりと婚約指輪に触れる。
「わたくしは……こんな自分も嫌なのです」
そして、小さく目を伏せた。
「いつもいつも、殿下に嫉妬ばかりしてしまう自分が……」
「エリーゼ……」
「もう、終わりにした方がよろしいかもしれませんね……」
そう告げる声はあまりにも穏やかで、そして悲しみに満ちていた。




