1 伊佐水の憂鬱
初のローファンタジーです。
よろしくお願いします。
今の世の中、「生きづらさ」を感じている人は多いだろう。
その原因は単一的ではなく、技術の進化、社会構造の変化、そして価値観の多様化が複雑に絡み合った結果ではないだろうか。
例えば、かつては「良い学校に行き、大企業に入り、結婚して家を買う」という分かりやすい幸せのテンプレートがあったが、現代はキャリアもライフスタイルも自由に決められるようになった。
しかし、そこに「正解」はなく、残ったのは選択の責任だけだ。
「何を選んでもいい」と言われる一方で、その選択の結果(失敗)はすべて「自己責任」とされる風潮。
常に将来への不安が付き纏っていて、人々は自由という名の重圧に晒されている。
人との繋がりだって、濃いのか薄いのかはわからない。
SNSの普及で24時間誰かと繋がれるようになったが、それが逆に孤独感を深めている。
他人のキラキラした日常の断片が可視化され続けることで、「自分は劣っているのではないか」という相対的な剥奪感を感じやすくなった、謂わば比較の地獄。
それに、失敗や失言がデジタルタトゥーとして残りやすく、常に「誰かに評価されている」「正しくあらねばならない」という緊張感の中で生きることを強いられているのは、監視社会的な側面とも言えるだろう。
つまり、「つながり」のデジタル化は孤独を増長し、人々の重い足枷となっているわけだ。
そして、タイムパフォーマンス……いわゆるタイパ重視の社会は、あらゆる物事を効率化し、無駄を省くことが正義とする。
常にスピードと成果を求められ、ゆっくりと「何もしない時間」を持つこと自体に罪悪感を感じるようになった。
情緒は置き去りにされ、効率化できない「心の問題」や「人間関係の摩擦」が、単なる「コスト」や「ノイズ」として処理される。
心が休まる場所はどこにもなく、人々からは余裕が欠如してしまっている。
さらには、国の構造的な将来不安も付き纏う。
少子高齢化、物価高、不確実な地政学リスクなど、個人の努力ではどうにもならない大きな問題が常に不安を煽る一方で、環境や社会のために「正しく」生きることが推奨されている。
日々の生活を送るだけで精一杯な個人にとっては、その期待自体が新たな「生きづらさ」の要因にもなっており、まさにサステナビリティのジレンマと言わざるを得ない。
国や企業は効率を求め、俺たち個人は居場所を求める。
要するに、だ。
現代の生きづらさの本質……それは、システムが求める効率や正しさと、個人が切望する安らぎや居場所が、決定的に乖離してしまっていることにあると言えるだろう。
俺たちは「自由という名の重圧」と「効率という名の加速」の中で、自分自身の「心」を置き去りにせざるを得ない状況に追い込まれている……。
俺は、そう考えている。
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「はぁ……今日も残業か……。」
キリュウ・グローバル(株)の総務部の執務室に、大きなため息が広がった。
デスクには、まるで富士山を彷彿とさせるほどに山積みになった「紙資料」。
それを見て、俺は座ったまま天を仰ぐ。
チラリと時計に目をやれば、時刻はすでに20時を回っている。
他のメンバーは帰っていて、薄暗い静かな執務室には俺のため息だけが虚しく広がるだけ。
嫌でも目に入る山積みの資料の中から、そのひとつを取り出してみる。
"品川ダンジョン特区におけるドラゴンの討伐およびその廃棄素材の処理について"
資料のタイトルを見た俺は、ついつい無意識に大きなため息が出た。
探索派遣事業本部が「大型ボスの討伐」に成功したのは、つい昨日のこと。
そのせいで、品川ダンジョン特区は大盛り上がりだ。
特区周辺に住んでいる住民たちは討伐した社員たちを褒め称え、それに感化されたうちの社員たちもお祭り気分。
今日だって、特区の区長がうちの社員を招き、謝恩会が開かれているらしい。
もちろん、それ自体は悪いことではない。
問題なのは、俺がいるこの総務部へ届いた処理依頼である。
戦利品(素材)にならない巨大な肉塊と呪われた装備の残骸が数トン……これが、今回のドラゴン討伐で発生した廃棄物となるわけだが、これがまた厄介で、腐敗すると有毒ガスを出す上に、通常の焼却炉では燃えない代物なのだ。
「探索派遣事業本部は『業者は何でもいいから、速やかに撤去しろ』って言うけど……これ、法的には『特別管理産業廃棄物』だぞ。許可のない業者に頼んだら、法務部から俺が絞られるのに……。」
厚さ5センチもある「廃棄物処理ガイドライン」と、業者からの「高額すぎる見積書」を交互に見て、俺は再び頭を抱える。
しかし、問題はこれだけではない。
こういった特殊な討伐案件では、予算の壁と責任の所在が問題になる。
探索派遣事業本部に「処理費用が予算オーバーだ」と抗議しに行けば、「現場の命がかかってるんだ。端た金でガタガタ言うな!」と一蹴されるのが目に見えている。
かといって放置すれば、近隣住民から「異臭」の苦情が会社に殺到する。
「……結局、俺が頭を下げて、追加予算を承認してもらうように財務部に泣きつくしかないのか? なんで手柄を立てたのはあいつらで、頭を下げて回るのが俺なんだ……。」
業務用パソコンに映っているのは、広報部が配信した「ボス討伐成功!」のキラキラしたライブ映像。
「……探索調査部の英雄様たちはいいよな。剣を振って、歓声を浴びて、ハイタッチして終わりなんだから。」
画面の中では、探索派遣事業本部・探索調査部の面々が、返り血を浴びながらも爽やかに笑っている。
だが、俺のデスクに置かれた「事後処理申請書」は、血生臭いインクの匂いがした。
「本当に、何とも生きづらい世の中だ……。」
そうぼやいて、俺はその申請書のPDFを取り始めるのだった。




