表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/29

どこかで見た夏 デジャビュ 類似性認知

どこかで見た夏


胸の奥が、ふわりと浮き上がるような不思議な感覚だった。


初めて来た場所のはずなのに、懐かしい。


初めて会う人のはずなのに、知っている気がする。


その理由が分からないことが、かえって美咲の心をざわつかせていた。


六月の午後だった。


駅前の商店街には、梅雨の晴れ間を喜ぶように人が行き交っている。


湿った風が吹き抜けるたび、花屋の店先に並んだ紫陽花が小さく揺れた。


美咲は白いブラウスに淡い水色のロングスカートを合わせていた。


肩から提げた生成り色のバッグには、図書館で借りた本が入っている。


今日は仕事が休みだった。


少し遠くの街まで電車に乗り、気になっていた古書店を訪ねるつもりだった。


駅を降りた瞬間だった。


胸が妙に騒いだ。


「あれ……」


思わず立ち止まる。


見知らぬ駅。


見知らぬ街。


なのに見覚えがある。


改札の横のベンチ。


パン屋の赤い看板。


遠くに見える時計塔。


全部初めて見る景色なのに、まるで昔ここに住んでいたような気持ちになる。


「変だな……」


美咲は苦笑した。


その時だった。


「美咲さん?」


後ろから声がした。


振り返る。


見知らぬ男性だった。


三十代前半くらいだろうか。


紺色のシャツにベージュのチノパン。


爽やかな顔立ちだった。


しかし美咲は驚いた。


その顔を見た瞬間。


胸が強く脈打ったからだ。


「え……」


初めて会ったはずなのに。


どこかで見た。


ずっと昔から知っているような気がする。


男性も困ったように笑った。


「ごめんなさい。人違いでした」


「あ、いえ」


男性は頭を下げる。


その笑顔を見た瞬間、美咲の胸がさらにざわついた。


その笑い方まで知っている気がした。


まるで夢の中で何度も見た人みたいだった。


男性は人混みの中へ消えていった。


美咲はしばらく動けなかった。


「なんだったんだろう……」


心臓だけが妙に早く打っている。


古書店へ向かう途中も、そのことが頭から離れなかった。


古書店は路地裏にあった。


木製の引き戸。


色褪せた暖簾。


店内には古い紙の香りが漂っている。


棚の間を歩いていると、不思議な安心感に包まれた。


そこでもまた同じ感覚があった。


懐かしい。


初めてなのに懐かしい。


本棚の配置。


窓から差し込む光。


遠くで鳴る風鈴。


全てが「知っている」と感じる。


美咲は首を傾げた。


夕方になり、商店街の喫茶店へ入った。


木目の美しいテーブル。


赤いソファ。


レトロな照明。


冷房の効いた空気が心地良い。


「いらっしゃいませ」


運ばれてきたのはオムライスだった。


卵はふわふわ。


ケチャップの甘い香りが漂う。


スープには玉ねぎと人参が入っている。


一口食べる。


懐かしい味だった。


子供の頃、母が作ってくれたものによく似ている。


美咲は自然と微笑んだ。


すると向かいの席に誰かが座った。


顔を上げる。


昼間の男性だった。


「えっ」


「あ」


男性も驚いていた。


思わず二人で笑う。


「また会いましたね」


「本当に」


男性は照れたように頭を掻いた。


「さっきは失礼しました」


「いえ」


会話は自然に続いた。


男性の名前は悠真だった。


話していて驚くほど居心地が良い。


笑うタイミング。


好きな本。


好きな映画。


子供の頃の思い出。


不思議なくらい話が合った。


気づけば窓の外は夕焼けだった。


商店街にオレンジ色の光が差し込んでいる。


「なんだか変ですね」


悠真が笑った。


「何がですか?」


「初対面のはずなのに、ずっと前から知り合いみたいです」


美咲は息を呑んだ。


それは自分も感じていたことだった。


「私も同じことを思っていました」


二人は顔を見合わせる。


沈黙が流れる。


しかし気まずくなかった。


むしろ心地良かった。


その時、美咲の頭にある言葉が浮かんだ。


デジャビュ。


既視感。


初めてなのに経験したことがあるように感じる現象。


だが本当にそうなのだろうか。


帰り道。


美咲は駅まで悠真と並んで歩いた。


夕暮れの風は少し涼しい。


紫陽花の匂い。


遠くで鳴る踏切。


商店街から漂う焼き鳥の香り。


美咲はふと思った。


もしかしたら人間の脳は、過去の記憶の中に似たものを探しているのかもしれない。


笑い方が父に似ている。


声が友人に似ている。


雰囲気が昔の先生に似ている。


そうした無数の「似ている」を集めて。


初めて会う人にさえ。


懐かしさを感じてしまうのかもしれない。


類似性認知。


脳は似たものを見つける達人だ。


だから初対面でも安心する。


だから知らない場所でも懐かしく感じる。


だから人は恋に落ちることもある。


「また来ますか?」


駅のホームで悠真が尋ねた。


美咲は少し考えた。


それから笑った。


「来ます」


「僕もです」


電車がホームへ入ってくる。


風が吹く。


美咲は乗り込む直前に振り返った。


悠真もこちらを見ていた。


その瞬間。


また不思議な感覚が胸をよぎった。


未来の記憶を先に思い出したような。


そんな奇妙で温かな感覚だった。


電車が動き出す。


窓の外で悠真が手を振る。


美咲も小さく手を振り返した。


初めて会ったはずなのに。


なぜだろう。


この人とは、きっとまた会う。


そんな確信だけが、夕暮れ色の空の下で静かに胸に残っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ