第19話 魔女、タルトタタンを食す
「あー、ダメだあー、ちょっとスランプ気味ーっ!」
「お嬢様、それはわかりましたが、年頃の女性が、下着が見えるようにひっくり返るのは、はしたないですよ。もう少しお淑やかになさってください」
「わかってるってば。まったく、ルナルはいちいちうるさいねー」
「これが私の仕事ですから」
頭の中がぐじゃぐじゃーって感じになったので、ちょっと休憩って感じで、反り返ったら、途端にルナルの注意が飛んできてしまった。
まったく。
ここには、私とルナルしかいないんだから、固いこと言いっこなしだよ。
そういうことに関しては、融通が利かないんだから。
この、自称執事の召喚獣は。
今、ちょーっと、新しいアイテム袋作りで煮詰まってたから、少しは気分を変えたいところなんだよね。
あ、そうそう。
ここはサイファートの町の南西にある『夜の森』。
その中心部に位置する、魔道具ショップ『魔女のかまど』。
さらにその中にある、商品を作るために用意された一室だよ。
で、私はドロシー。
うら若きお年頃で、それでも、立派に一人前として認められた魔女だ。
いや、自分で言うのもどうかとは思うけど、事実だから仕方ない。
どっちかと言えば、まだ遊びたいお年頃なんだけど、一番偉い、アラディアのおばばに命じられて、この町へと派遣されてきたんだよね。
だから、仕方ないんだよ。
魔女とは、簡単に言うと、この世界について調べている存在だ。
表向きは、召喚術が得意で、幻獣種と呼ばれる存在と仲が良くて、魔法を使うのが得意な一族って感じなのが売りなんだけどね。
どうも、世間からは、魔女って、女性しかいなくて、魔法の才能がある身寄りのない子を拾っては、魔女として育てているとか、魔法で子供を作ったりできるとか、そういった変な噂とかも流れてるみたいだけど、別に、そんなわけなくって。
私のお母さんは魔女だけど、お父さんは普通に、人間の冒険者だったし、私自身も、種族上は、普通の人間種だ。
たぶん、幻獣種を使い魔にしていたり、世間一般で言われている魔法とは異なる術式を使ったり、魔道具とかを気まぐれに作ったりしているから、そういう意味で、魔女って怖いってイメージが定着しちゃったんだろうねー。
あ、でも、お母さんの『予知』とか、普通の人が見たらびっくりするかな?
アラディアのおばばの魔法とかも。
まあ、理屈さえわかっていれば、そこまでびっくりすることじゃないんだけどね。
でも、その辺の知識とかって、一部をのぞいては、教えるの禁止だし。
おばばの話だと、あんまりその手のことをひけらかしていると、魔女狩りとかされちゃうんだって。
足を引っ張られたくなかったら、大人しくしてるのが無難ってわけだね。
さておき。
私と同じ部屋にいる、一見すると二足歩行をする黒猫にしか見えないのが、私の召喚獣でもある、ルナルだ。
ほんと、この姿の時は、どこをどう見ても、黒猫にしか見えないんだけど、こう見えても、れっきとした幻獣種のひとりだ。
妖精猫のケットシー。
この世界の種族の中でも、数少ない、世界そのものに干渉できる種族。
それが幻獣種だ。
何せ、基本とも言える種族スキルが『異界生成』って、大仰な響きのスキルなんだから、呆れちゃうよね。
もう、幻獣種の才能と比べたら、私とか人間種とかちっぽけーって、思っちゃうかもしれないもん。普通だったら。
それでも、だ。
アラディアのおばばを始め、魔女の中でも年嵩の存在は、幻獣種からも同胞として認められているのだ。
つまるところ、それは。
人間種であっても、積み重ねによって、幻獣種にも認められうる、ということを示唆しているわけで。
というか、私とかみたいに、『幻獣島』にある魔女の隠れ里で育った者にとっては、幻獣種は家族みたいな存在だし。
怒ると怖いけど、普段は優しいのは、近所のおじちゃんおばちゃんとかと変わらないんじゃないの?
まあ、私は私で、普通の村とか町とかでちっちゃいころ過ごしたことがないので、逆にそっちの、他の同世代の子たちが言うような、当たり前のご近所付き合いってのが、よくわからないんだけどね。
生まれてこの方、ずっと、このルナルとは一緒だったし。
この頭の固い黒猫が、ずっと私のことをお嬢様って言ってくるのも、そもそも、ルナルって、元々はお母さんの召喚獣だったからだし。
だから、お嬢様、だ。
ただ、だからと言って、そんなにルナルも、しっかり育てなきゃ、って使命感に燃えなくてもいいとは思うんだよ。
そりゃあ、身の回りのお世話してくれているのはありがたいけどさ。
「お嬢様。そろそろ、お店の営業のお時間ですが」
「うーん……今日は気分が乗らないからお休みっ!」
で、最初の話に戻るってわけ。
今、私が作ろうとしてるのは、食品などが劣化しないタイプのアイテム袋だ。
ずっとずっと、これに関しては要望が多くて、長い間かけてチャレンジはしているんだけど、本当に、うまくいかないんだよね。
いや、アイテム袋に入れても、劣化しない手段は知っているのだ。
だけど、それって、基本、中に入れるものへの封印処置が必要なので、そもそも、いちいちそれをやる手間が面倒なのと、封を開けてしまうと、また封印し直さないと、次にアイテム袋に入れた時は、劣化が始まってしまうので、それで、袋の方を何とかしようって試みなんだけど。
いや、真面目な話、この新しいアイテム袋を熱望している人って多いんだよね。
特に、この町の食べ物を外から食べに来る人たちには、だ。
だからこそ、何とかしてあげたいんだけど。
いいアイデアがまったく浮かんで来ないのだ。
よし。
こういう時は、楽しいことに逃げよう。
「お休み、って……お嬢様」
「いいの、いいの。たぶん、お客さん来ない気がするし。うん、そんな感じだし。ちょっと、コロネのとこ行ってくるよ……コロネ、コロネ、今、大丈夫?」
遠話用の人形に向かって話しかける。
こうすれば、自分のお店にいるであろう、コロネとつなげることができるのだ。
『もしもし、ドロシー?』
「はいはい、ドロシーちゃんだよー。ねえ、コロネ、今っていそがしい?」
『今ちょっと、リリックたちがお菓子作るのを見てるところだよ。もうちょっとで終わるかな』
「うん、それだったら、今から遊びに行ってもいい? ほら、お茶の葉っぱとかも持っていくから」
『うん、この工程が終わったら、試食だったから、大丈夫だよ。でも、ドロシー、今って、お店の方をやってるんじゃないの? そっちは大丈夫なの?』
「問題なし。今日はお店、お休みにしちゃうから。ちょっと、アイテム袋作りで煮詰まっちゃったから、気分転換も必要だし。今夜は来る予定のお客さんもいないしね」
『まあ、そういうことなら……うん、わかったよ。今、タルトタタンができあがるから、ちょうどいいかもだし』
「わかった、すぐ行くよー」
そこまで話して、人形遠話を切って。
「というわけだから、ちょっとコロネのところに行ってくるねー」
「いや、ですから、お嬢様……」
「ふふ、ごめんね、ルナル。今日は本当に気分が乗らないんだよね。帰ってきたら、ちゃんとするからー」
そのまま、嘆息するルナルから、逃げるように、パティスリーへと向かうドロシーなのだった。
「こんばんはー、コロネ、遊びに来たよー」
もうすでに、閉店しているパティスリー『ちょこっと』の裏口から、いつものようにお店の中へと入る。
たまに、というか、けっこうな頻度でお茶会をやっているから、その辺はもうすっかり慣れた感じではあるかな。
来るたびに、ちゃんとお土産とかも持ってきてるしね。
「いらっしゃい、ドロシー。やっぱり、例のアイテム袋って難しい?」
「まあねえ、それが簡単にできたら、今までこんなに苦労してないしねー。もうちょっとこっちの世界の食文化もマシになってたっていうか。だから、今は色々と試行錯誤の時期だねえ。はい、お茶の葉っぱ。一応、紅茶にちょうどいい感じにしてあるよん」
今渡したのは『夜の森』で作っているお茶の葉を発酵させたものだ。
コロネのお店でも、使っている種類の一種で、こうやって、お茶会とかのついでに、補充したりしてるのだ。
「うん、ドロシーありがとう」
「というかね、コロネのお菓子のせいだからね? ここまで新しいアイテム袋への催促がひどくなったのって。さすがに何とかして作らないと、まずそうだからって、今、必死に知恵をしぼってるんだから」
今までは、アイテム袋では食品は劣化する、って常識で済んでいたんだけどね。
何とか、『お菓子を持ち帰る手段を!』って、色々な人から言われちゃうと、さすがにねえ。
できないって、放っておくわけにもいかないし。
「でも、慌てなくてもいいんじゃないの? みんなもそんなに本気で言ってるわけじゃないだろうしね」
「まあね、冷静に考えても、開発に何年かかかりそうだけどね。ま、それはそれとして、着手するってのは大事だから。とりあえず、今日のところはお茶会をしにきただけだけどねー」
「ふふ、ちょうど、用意ができたところだから、どうぞ。リリックたちも、大分、お菓子のレパートリーが増えてきたしね」
「はいはい、おじゃましまーす!」
コロネの後をついていくと、試食会場という感じで、いくつかの焼きあがったばかりのお菓子がテーブルに並べられている部屋へと着いた。
見ると、リリックとマリィ、それにサイナとデュークもいるねえ。
どうやら、それぞれが、自分のお菓子を作ったみたいだね。
デュークも参加しているのは、ちょっと驚きだけど。
ま、面白いことが好きなんだっけ? あの魔族さん。
だから、コロネのしもべとか言ってるんだし。
ふふ、正体を知っている者からすると、笑い話にしかならないんだけどね。
「あ、いらっしゃいませ、ドロシーさん」
「こんばんはですぅ」
「ちょうどいいタイミングでしたね、ドロシーさん」
「こんばんはー。へえ、今日はタルトタタンを作ったんだね」
コロネのお弟子さんにあいさつして。
青くて長い髪の淡い感じの子がリリック。
ちょっと胸が大きめで、間延びしたしゃべり方なのがマリィ。
そして、この中で一番小さい、黒髪の女の子がサイナ。
で、横で笑っているグレイの髪の給仕服の男がデュークだ。
それぞれの前に並んでいるのが、自分で作ったお菓子だね。
タルトタタン。
これは前にコロネが作ってくれたし、お店でも並ぶことがあるから、私も食べたことがあるよ。
おばけりんごを使って作る、美味しいお菓子だ。
何でも、このお菓子の名前の由来になったタタン姉妹が、あまりのいそがしさにデザートの準備を忘れて、慌てて作ったために手順を間違えた結果、できあがったお菓子なんだってね。
失敗は創造の母、って。
そういう意味で、お菓子職人にとっては、有名すぎる逸話だって、コロネが笑って話してくれたから、それはよく覚えているんだ。
失敗から、新しい手段が生まれることはある、っていうのは良い言葉だと、私も思ったしね。
今は、失敗ばっかりだから、なおさらだ。
「って、あれ? マリィとサイナのはお店でも出している普通のタルトタタンだよね? リリックとデュークのはちょっと違うよね?」
タルトタタンって、りんごに最初に火を通して、途中から生地をかぶせて焼き上げるって感じのお菓子だったよね?
リリックたちのは四角い感じになってるし、何となく雰囲気が違うよね。
「うん、お店で出しているのは基本のタルトタタンだよ。マリィたちはそっちの復習をしてもらって、ちょっとアレンジしたタルトタタンの作り方も教えてみたの。ほら、これを使って、ね」
そう言って、コロネが見せてくれたのが、薄くぺらぺらになったものだ。
試食用に少しだけ切ってくれたので、ちょっと味見してみると。
「これ……薄く切ったおばけりんご?」
「うん、そう。回転ピーラーを使って、薄くスライスしたりんごだよ。これを四角い型に敷き詰めて、シロップを上から流し込んでオーブンで焼き上げていくの。で、最後にキャラメリゼしたフィユタージュ・アンベルセ……逆さ仕込みのバター生地を組み合わせて完成ね」
「タルトタタンって、お鍋を直火にかける方が、りんごの味が凝縮して美味しくなるんです。でも、そのやり方ですと、たくさんは作れないので、ってコロネ先生が」
「ふふ、これって、わたしのいたところの、とあるパティシエさんが考えた方法なんだよね。わたしも初めて食べた時、驚いたもの。同じ、オーブンを使うやり方でも、こっちの方が格段に、りんごがおいしくなるんだよ」
へえ、そういうものなんだ。
ちなみに、マリィたちのは、お鍋から直火で作ったタルトタタンだそうだ。
数量限定。
たまにしか、食べられない、いつものタルトタタンなのだとか。
「まあ、その辺の理屈はさておき、せっかくだから、ドロシーも食べ比べてみてよ。たぶん、どっちも美味しいと思うから」
リリックたち頑張ってたから、とコロネが微笑む。
というか、これ、実は完成まで一晩かかっているのだそうだ。
りんごのペクチンとかの効果で、ぷるんと固まるのに、それなりの時間がかかるから、と。
では、せっかくのなので試食させてもらおうっと。
どうも、コロネたちも、パティスリーの外の人間である私の感想が気になるみたいだしね。
まずは、基本のタルトタタンから、だ。
きれいに焼きあがって、あめ色に輝くりんご。
その下には、りんごとバターの煮汁を含んだ生地だ。
さっそく、切り分けて、口へと運ぶ。
「うん、やっぱり、美味しい!」
まず、すぐに口の中で感じるのは、りんごの持つ酸味と甘みだ。
それに、溶けだしたバターがまるでエキスのようにりんごと混ざり合って、何とも言えない深みのある味を作り出している。
りんごも煮汁がぷるるんとした食感になっていて、それが生地の食感とのハーモニーとなっているというか。
やっぱり、バターと砂糖とりんご。
それらが混じり合って、凝縮した味を生み出しているんだね。
りんごのさわやかな風味もしっかりと味わえるし。
ちょっとだけ、表面が焦げた感じで、だけど逆にそれが、ちょうどいいアクセントになっているのだ。
キャラメリゼ、だったっけ?
うん、やっぱり、このりんごのお菓子は美味しいね。
「ふふ、じゃあ、ドロシー、こっちも味見してみて。そっちが伝統の温かくて、素朴な味だとすれば、こっちは、伝統の味の再構築って感じのものだから」
「うん! ではでは……あっ!? すごい! こっちのと比較しても、りんご自体の味がすごいよ!」
コロネに勧められて、一口食べてみて驚いた。
見た目は四角くて、さっきの丸いお鍋いっぱいに作りました、って感じのタルトタタンと大分違うんだけど。
味もだね!
さっきのが、お母さんとかが作ってくれた家庭的な味だとすれば、こっちのは、素材ひとつひとつの味が、よりくっきりと洗練されているって感じだもの。
りんごに染み込んだバターとお砂糖、それぞれが、主張しつつも、はっきりとりんご本来の甘さとか酸っぱさとかを際立たせているというか。
りんごがほどよい大きさに切られたものじゃなくて、薄切りになっているんだけど、それぞれがピタッと密着していて、でも、その間あいだからも、煮汁とかのエキスがしっかりと染みていて、本当にりんごのうまみが生きているって感じなのだ。
これは、すごいね!
薄く切ったことで、りんごの食感も、基本のものとは違った感じで心地よいし、ちょっと砂糖を焦がして固めた感じの生地も、上に乗っているぷるぷるとしたりんごでできた生地と相まって、本当に美味しいよ。
「すごいね! これ。焼いてから一晩おいたんだよね、これ?」
とてもそうとは思えないよ、と。
普通、焼きたてが一番おいしいんじゃないかな、って思っちゃうんだけど。
「うん、タルトタタンの場合、冷ますことでぷるんと固まるからね。たぶん、一番大切なことって、りんごのペクチンが溶けた煮汁が、中までしっかりと浸透するってことだから」
だから、休ませるのも大事なんだよ、とコロネ。
なるほどねえ。
何だか、今日の、タルトタタンを食べてたら、元気になっちゃったよ。
失敗は創造の母。
そして、伝統の再構築、かあ。
もしかすると、アイテム袋作りでも、同じことが言えるんじゃないかな。
今までの当たり前のやり方の再構築、ってね。
「ありがと、コロネ! 何だか、頑張ろうって気がしてきたよー!」
「うん? よくわからないけど、喜んでもらえて何よりだよ。というか、今日のお菓子って、わたしが作ったわけじゃないんだけどね」
デュークのは手伝ったけど、とコロネが苦笑する。
「あー、そうだったね。うん、みんなもありがとね。ふふふ」
「それじゃあ、本格的に、お茶会をしようかな。今、紅茶を持ってくるからね」
そんなこんなで、ドロシーを交えた夜のお茶会が始まって。
ゆったりとした時間が過ぎていくのであった。