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第13話 新聞記者、エッグベネディクトを食す

「ふわあぁ……よく、眠れたね」


 本当に、ここの宿の寝具は最高だ。

 そう、半分眠っているというか、まどろんでいる頭で、アンジュは考える。

 ベッドのマットもなかなかに分厚くて、弾力性があって、身体を受け止めてくれる作りになっている。

 固すぎず柔らかすぎず、とでも言うべきだろうか。

 本当に、余計な力とか一切加わらない感じで、眠りへといざなってくれるというか。

 そして、それに加えて、このふわふわのかけ布団だ。

 

 ここ、宿屋『翼の夢』の売りでもある最高レベルの羽毛布団。

 その感触だけでも、何度でも眠れそうだもの。

 というか、このままだと、普通に二度寝してしまいそうだ。

 窓の外からは、鳥のさえずる声が聞こえてくる。


 サイファートの町の中央部と南部のちょうど境にあるこの宿屋は、なかなかの広い敷地を誇っており、その中庭というか、庭園というか、ちょっとした森というか、林というか、とにかく表現に迷うそこは、鳥型モンスターの憩いの場でもあったりする。

 庭師さんによって整えられた庭。

 湧き出る水をたたえる泉。

 その周り、宿屋とその庭園を取り囲むように、雑木林と少し小さ目の湖もあったりするのだが、それがすべて、この宿屋の敷地なのだ。

 今、アンジュが泊まっているのは、本館と呼ばれる、大通りに面したところに建っている建物なのだが、その奥側、森の方にも、こじんまりとした三角屋根の一軒家が点々としているところもあって、そっちは、フォレストヴィラとか言うらしい。

 どっちかと言えば、少人数の冒険者パーティーや、家族連れ向けの宿泊施設という感じらしいので、アンジュは泊まったことはないけど、話に聞く限りでは、なかなかそちらも良い雰囲気なのだとか。

 まあ、確かに、森の中の一軒家とか、こんな町の中でもないと危なっかしいよね、とは思う。

 結界なり何なり、安全対策なりしてないと、はぐれモンスターとか色々大変だろうし。


 『魔王領』出身のアンジュにとって、集落なしで森に住むというのは、無謀としか思えないので、そういう意味では、安全な森の中で寝起きをしたいという感覚もわからないでもない。

 そう、アンジュは魔族の一員だ。

 種族は夢魔種。

 いわゆる、サキュバスである。

 まあ、アンジュもあんまりそういう方面は同種の中でも得意な方ではないのだが、それでも、この町で料理人をやっている妹よりはマシだ。

 一応、『寝技』のたぐいも身につけているし。

 ちょっと小柄でスレンダーだけど、胸は大きめって自負はあるし。

 あんまり使う機会はないけど。


「……このままだと、二度寝しちゃいそうだし……仕方ない、そろそろ起きようかな」


 起きるという意思を口に出して。

 そうしないと、この気持ちよさにまた身を委ねてしまいそうだ。

 今日も、色々と取材があるし。

 アンジュは、魔王都に本社を持つ、『週刊グルメ新聞』の記者でもあるのだ。

 ゆっくりと、少しだけ寝ぼけ頭のまま、ベッドから起きて。

 そのまま、シャワールームへ、だ。

 基本、アンジュの種族は、寝る時は妖艶な下着一枚か、裸のまま眠るのが基本なので、その癖で、アンジュも普段は裸のまま寝ている。

 特に、この宿の場合、裸のまま布団にくるまっていると、柔らかい羽根に包まれている感じで、本当に気持ちがいいし。

 一応、ムーサの町の外では、寝間着を着てもいいことになってるけど、ここでは、やっぱり、何も着ないのが一番だ。

 ここの宿の女将さんが、寝具作りの職人さんでもあるということもあって、しかも、素材の入手も、それが得意なアニマルヴィレッジの『鳥の町』から得たりもしているということもあって、間違いなく、寝具周りに関しては、最高レベルの宿だし。

 正直、眠りに関する環境って意味だと、魔王都の高級宿屋よりも上なんじゃないのかな?

 まあ、その辺は、この町で入手できる素材とかがすごいからでもあるみたいだけど。


 まあ、いいや。

 シャワーを浴びてから、リッチーと合流しよう。

 そう考えて、身支度を整えるアンジュなのだった。





「あ、アンジュさん、おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」


「おはよう、ビオレッタ。ええ、とってもよく眠れたわ。どうもありがとう」


「それは何よりです」


 食堂に向かう道すがら、廊下でこのお宿のお手伝いをしているビオレッタにばったりと会ったのであいさつをする。

 ビオレッタは、この宿屋の看板娘だ。

 確か、もうすぐ七歳になるって言ってたかな?

 この町が作られてから生まれた子で、父親が冒険者ギルドのマスターのドラッケンさんで、母親がこの宿の女将でもあるパープルさんだね。

 女将さんが、ケツァールの鳥人でもあるため、それを受け継いで、ビオレッタもまた、鮮やかな髪の色をしているのがかわいい。

 父親にあんまり似なくて良かったというか。

 この年で、もう、宿屋のお手伝いをしてるものね。

 今も、お客さんに頼まれて、モーニングサービスというか、部屋をノックして起こしに行くお仕事の最中なのだそうだ。


「はい! わたしもお姉ちゃんですから、しっかりしないといけません」


 そう、にっこり微笑むビオレッタには、こちらもほっこりとしてしまう。

 ちょっと前に弟が生まれたばっかりだから、今は嬉しくて仕方ないらしい。

 うん、働き者だ。

 そういう意味では、ドラッケンさんと正反対だよね。

 お辞儀をして、次のお部屋へと向かうビオレッタに手を振って応えて。

 アンジュも、一階にある食堂へと向かう。


 この宿屋の建物自体、この町にある他の建物と比べると高めに作られている。

 と言っても、『塔』とかと比べると、そこまでは行かないけど。

 とは言え、上の階に泊まると、朝、窓から眺める景観とかはすごいんだけどね。

 中庭の花園から、側にある泉で水浴びをしている鳥たちとか。

 宿屋に景色とか必要? って最初は思ったけど、その認識を改めることになったのは、ここの宿のおかげかな。

 少しずつではあるけど、『魔王領』の方でも、そういうのを意識して、宿屋を作り始めたりしてるみたいだし。

 さすがに、『魔の山』の中腹にホテルなる宿屋を作るのはやり過ぎだと思うけど。

 それでも、ちょっとした観光の目玉になってるってのは驚きだけど。

 ほんと、世の中不思議なものが流行るんだね。


「アンジュさん、おはようございます。もう、リッチーさんはお待ちですよ」


「おはようございます、パープルさん。あー……お待ちと言いますか、リッチー、もう朝食を食べてますよね?」


 食堂でお客さんの朝食を用意していた女将さんにあいさつをする。

 で、席の方を見ると、こちらを待つでもなく、にこにこと朝食を食べながら笑顔を浮かべている男がひとり。

 アンジュのコンビでもある、同僚のリッチーだ。

 見た目は大柄で、にこやか食いしん坊という感じで、食べることが大好きな朗らかな性格ではあるのだが。

 一応、ああ見えて、リッチーは『魔王領』の魔貴族のひとりでもある。

 魔豚種のオークキング。

 最初出会った時は、さすがにアンジュもびっくりしたものだ。

 あの『狂豚鬼』のリッチーが新聞記者って、と。

 まあ、その後の社長の言葉で吹っ切れたってのもあるけど。


『ここじゃあ、前の身分とか立ち位置とか気にしちゃダメだからね。今、ここにいるのは、食べ物が好きで、食べることが好きで、それを仕事にしたいってメンバーなんだから。同胞に上下関係はなし、ってね。もちろん、ボクも便宜上は社長やってるけど、それって、責任を負わないといけない者が必要だからってだけだから。たぶん、ボクとかじゃないと、プリムとかに詰め寄られたら、対抗できないでしょ? だから、その辺は仕方なく、なんだけど。そういうわけだから、ボクにも敬語とかいらないからね。大事なのは面白い新聞を作ること。これに尽きるから。ふふ、意外と仲良くすると、こわいだけじゃないってのがわかると思うよ?』


 その言葉通りの商会、いや、新聞社にしてしまったというか。

 リッチーの他にもクセ者はいっぱいいるけど、それでも、アンジュもいつの間にか、そういうのを気にしなくなったというか。

 向こうも受け入れてくれているからだし、もちろん、敬意みたいなものはあるけど、それ以上に、一緒に頑張っている仲間っていうのが強いかな。

 変なことになると、社長が怒るし。


「ええ、待ちきれなかったそうですよ? アンジュさんの分もすぐにご用意しますので、お席の方へどうぞ」


「はい、ありがとうございます。ちなみに、今朝のメニューは何ですか?」


 『翼の夢』の朝食は、日替わりでメニューが変わるのだ。

 これは、長く逗留しているお客さんへの配慮なのだけど、そのため、何が出るかは、朝、食堂に行ってみないとわからないんだよね。

 昨日は、甘いフルーツのパンケーキだったし。

 一昨日は、和風の日ということで、玉子焼きと納豆の朝定食だったし。

 意外と、アンジュもあの納豆が好きなんだよね。

 あの、独特な芳香には、プラスとマイナスの両方の要素が含まれているのだ。その、プラス部分の香りは癖になるというか。

 香りの方面で、社長からスカウトされた身としては、逃げるわけにはいかなかったので、それで食べ続けたら、いつの間にかハマってしまったというか。

 臭みとか、痛みとか、苦しみとか、そういう要素は、裏返ると好みの方へと転じるのだとか。

 それは、ムーサの町のお姉さまで、そういうのが得意な人から教わった。

 負の感情を快楽にしてこそ、とかなんとか。

 さすがに、そっち方面はあんまりわかりたくないんだけど。


「今日は、エッグベネディクトですよ。昨日に引き続き、コロネさん直伝のメニューですよ」


 あ、なるほど、とアンジュは頷く。

 あの、新しい迷い人のコロネさん。

 あの人、甘いものが専門って聞いていたけど、実際、自分の好きな料理については、甘くないものもけっこう知っているみたいなのだ。

 今、女将さんが言ったエッグベネディクトもそのひとつだ。

 前に、この宿屋で、新しい朝食のレパートリーに悩んでいた時、コロネさんが手伝ってくれたとは聞いている。

 そのせいか、ここの宿屋でも、甘い朝食とか、パン工房のフレンチトーストとか、一部のメニューが食べられるようになって、かなりうれしかったし。

 

 さておき。

 女将さんにお礼を言って、リッチーの元へと向かう。


「あ、アンジュ。おはようございます。今日の朝ごはんもぐらうまですよ」


 待ちきれずに食べてしまいました、と笑うリッチー。

 もういつものことなので、アンジュも苦笑して。


「おはよう、リッチー。でも、いいの? それが何皿目か知らないけど、今日も取材が色々とつまってるでしょ?」


 五皿ほど積み上げられた、エッグベネディクトのお皿を見ながら、ちょっとだけ呆れる。

 いや、かなり食べられるのは知ってるけど、取材で味を見たりしないといけないんだから、少しは加減した方がいいと思うのだ。

 言っても無駄なのはわかってるけど。


「ええ。そのための腹ごなし、ですね。あんまりお腹が空きすぎると、味の評価が変わってしまいますから」


「まあ、いいけどね……一応、今日の予定って、まず果樹園の方で新しい果物の品種がお目見えするから、そっちの取材からよね?」


「はい。後は、ピーニャさんのパン工房で、ランチメニューに季節のパンメニューが追加になりますので、そっちのチェックをして、その後でカレーショップの取材。あと、この季節によく合うお酒の選別ということで、バーテンダーのヘレスさんとご一緒して、酒蔵を巡る、とこんなところですね」


「ラーメン特集の方は?」


「そちらは、明日ですね。何でも、塔の方でも特別企画をするそうですので、それ合わせで、取材をさせてもらう予定です」


 なるほど。

 いつもに比べると無理のないスケジュールかな。

 ひどい時は、夜までかかることもあるし。

 そんな感じで、リッチーと今日の予定について話をしていると、女将さんが朝食を持ってきてくれた。


「はい、お待たせしました。本日の朝食です。リッチーさんはお代わりですね?」


「あ、ありがとうございます、パープルさん」


「ええ、今日の朝食もとってもぐらうまーです。パープルさんの作る料理も素晴らしいですねえ」


「ふふ、どういたしまして。では、ごゆっくりどうぞ」


 パープルさんが次のお客さんへと向かうのを見届けて。

 改めて、朝食の方を見る。


 大きめのお皿の上には、エッグベネディクトがふたつと、揚げたじゃがいもとサラダが添えられている。

 それに、本日のスープは野菜のスープ。

 そして、果樹園から届いたフレッシュジュースだ。


 エッグベネディクトというのは、カリッと焼いたパンの上に、ポーチドエッグなる半熟状のたまごなどを乗せたメニューなのだとか。

 この宿屋の場合、パンはマフィン、載せるものはジュージュートンのベーコンに、スピ菜……この町だとホウレンソウかな、それに、たまごとバターベースにマジカルハーブなどを加えたソースをかける。

 そんな料理になっている。

 うん。

 考えただけで、お腹が空いてきちゃったので、早速、目の前のエッグベネディクトを食べることにする。


「うん、うん、やっぱり、美味しいね、この料理」


 半熟状のたまごと、このキレのあるソースが混ざり合うのが、本当に絶妙だよ。

 カリカリのパンと半熟たまご。

 これまた表面はカリッとさせた厚切りのベーコン。

 ホウレンソウは味のアクセントとして。

 そこへ、ソースが絡むと、本当に何とも言えない深みのある味になる。

 ジューシーな肉汁と半熟たまごがパンの染みて。

 朝から、とっても幸せだよ。

 これが普通に朝食べられる宿屋ってすごいよね。

 眠るための環境も素晴らしいし、食事もおいしい。

 しかも、それほど高くないし。

 正直、この食事の質を考えても、もうちょっと宿泊料金を上げても納得できるんだけど、そういうことはしないのだとか。


 この宿屋って、迷い人とか、そういう人たちのための施設でもあるから、一部、町の予算から補助が出ているのだそうだ。

 お金とか、食材とか。

 そういう意味での援助もあったりとか。

 それをしっかり還元しているらしいね。


「ええ。素晴らしい味ですよね。ふむ……もうひとつお代わりをもらうべきかどうか……」


「いや、いい加減にしておきなさいよ、リッチー!」


 そんなこんなで、朝食に舌鼓を打ちつつ。

 アンジュたちの朝は過ぎていくのであった。

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