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第一話

「まあ」

 

 私は、その言葉にビクリとした。

 思いがけず宝物を見つけたような、ウキウキとしたトーン。

 それは、私にとって悪魔の哄笑。

 今度はなんだろうかとびくびくしながら振り返る。


「お姉様、きれいなイヤリングですわね。緑色の石が、とても美しく輝いていますわ」

「あ、これは……」


 ふるふると首を振り、一歩下がる。

 彼女の、その時々で私が大切にしているものを見分ける観察眼は、本当に感心する。

 

 今回は翡翠のイヤリングだった。小さい玉だから目にもとめないだろうと思っていたのに。


「でも、これは、大切なものだから……」


 もごもごと最後は言葉にならなかった。

 だって彼女は、ベアトリスはキラキラした目で私の耳元を見つめていたから。こうなるともう止められない。

 いつものことだ。

 一度欲しいと思えば私の言葉など、その辺りを舞う埃ほどの価値もない。


「お姉様、これ、わたくしにくださいませ!」


 ほらね。



 彼女はベアトリス・デ・トレド。私のふたつ下で、十六歳になる腹違いの妹だ。

 ピンクブロンドの長い髪をふわふわと揺らして私の周りをにこにこ笑顔で回っている。

 何の怪しい呪術かと思うけれど、周囲から見たら大好きな姉にじゃれつく妹の図に見えていることだろう。


 憎めなくて、かわいい。

 青色に輝く大きな目はくりくりとしていて 愛らしく、どこまでも広がる大空のよう。

 少し幼い作りの顔には愛嬌がたっぷり、蜂蜜たっぷりで誰もが表情をとろけさせてしまう。

 なんて、そんな風に見えているんじゃないかしら。


「ね、お姉様。お願い」

「でもこれは……」

 

 首を振り、二歩下がる。もう一歩下がろうとしたところで、コツンと足にクローゼットが触れた。

 そこまで大きな部屋ではない。子爵家の余っている小部屋をドレスルームのように使っているだけだから、逃げようとしてもすぐにいき止まり。


 普通はそれぞれの部屋がドレスルームを兼ねるものなのに、なぜかベアトリスと同じ部屋で管理されている。

 これは、お義母様の言いつけなのだけど、何度尋ねても理由は教えてはもらえなかった。むしろ、尋ねるということは何か後ろ暗いことがあるからだろうと疑われた。

 隠す必要がなければ、同じ部屋にしても困らないはずだと。

 そんなものあるはずないけど、そう言われてしまったら私は、自身の潔白を証明するために同じ部屋で装飾品を管理するしかなかった。

 そして、行事やパーティーに出るたび、私の所有するアクセサリーは数を減らしてゆく。


「そんなこと仰らないで、下さいな」


 純粋な“お願い”に、私は小さくため息をついた。渋々ながらイヤリングを外し、妹に差し出す。侍女が見ているから、断れない。

 もし断れば侍女がすぐにお義母様にご注進するだろう。

 そうなれば強制だ。

 お義母様がご自身の娘であるベアトリスを優先するのは、当然なのだ。

 

 ちらりと見た彼女の宝石箱は、アクセサリーでいっぱいだった。

 大きな宝玉や派手な飾り、精巧な彫刻。私のものは地味だから、逆に目新しいのだろうか。

 

「ありがとうございます、お姉様」

「よろしゅうございましたね。お嬢様」

 

 侍女が妹に近寄り、宝石箱を差し出す。私付きの侍女は部屋の隅で見ていないふりをしている。

 仕方なく私は別のイヤリングを選んで付けた。鏡の中の私は当然ながら辛気くさくて、小さな青い宝玉のイヤリングも似合っているようには見えなかった。

 ベアトリスのような派手さも、かわいさもない地味な黒い髪。

 瞳の色はベアトリスと同じだけど、彼女は晴天で、私は夕暮れ前の暗い青。

 そして、少し浅黒い、砂漠の砂のような肌の色。雪のように白い肌の彼女とは違って、どうしても引け目を感じてしまう。

 

 そんなベアトリスを鏡越しに見ると、両手で雛鳥を抱くかのようにイヤリングを捧げ持ち、上から横から斜め下から眺めていた。

 色々と確かめてから耳に付けるのかと思いきや、何かに思い至ったかのように、侍女が差し出す宝石箱の中へとイヤリングを片付けてしまった。

 私は思わず彼女を振り返り、口を出してしまう。

 

「つけないの?」

「今日のドレスには、あわないかなって……ごめんなさい、お姉様」

「そんな……」

 

 純粋な笑顔が眩しかった。自分の抱いた気持ちが良くないものだと勘違いするほどに。

 今まで何度見た光景だろう。結局、私からせびり取った装飾品はみな、一度も使われることなく宝石箱の肥やしとなっている。


「さぁ、お姉様、いきましょう」

 

 私は、ご機嫌のベアトリスに手を引かれて馬車へと乗り込む。

 気の乗らない王宮へと、馬車は、出発する。


◇ ◇ ◇ 


 王宮に到着した私たちは、係の人に大広間へと案内された。

 王宮自体には何度か足を運んだことがあるけれど、こちらには来たことがない。

 左右の壁には神話や建国物語が意匠タペストリーだったり、知らない人の肖像画や風景画が飾られていて、じっくり鑑賞できないのが残念なところ。

 少し歩いて行き着いた大きな扉を通り抜け、石造りの大広間に出る。それだけで威圧感があった。そこは政治の舞台であり、私たちには縁薄い場所。

 しかも、今夜は王太子殿下主催のパーティーだ。子爵令嬢ていどの私たちなんか、本来なら参加することすら許されない。


「さぁ、イネス。手を」

 

 案内係に代わって私をエスコートする、ハビエル・デ・ソリア伯爵。この方が参加されるからだ。

 私の、婚約者様。


「お願い致します」

 

 軽く頭を下げ、手を差し出す。頭ひとつ分くらい上にあるのはいつもと同じく不景気な顔だった。

 いつも色々と考えているせいだろうか。私はこの方の笑顔を見た記憶がない。

 バランス良く整ったお顔だから残念に思うけれど、彼は婚約者として私なんかにも充分な誠意と礼を尽くしてくれるのだから、これ以上は贅沢だろう。

 

 それに、ハビエル様が色々と手を尽くしたからこそ家を一代で成功を収め、傾いていたご自身の家を立て直し、高級な素材や染色など、あらゆる面で贅沢なものを身にまとう資格を得たのだ。

 漂う強く、良い香りもそう。つやつやしいライトブラウンの髪は収穫間際の麦畑のようで、澄んだ緑の瞳はどこまでも広がる一面の大草原。今夜のイヤリングは、彼の瞳に合わせたものだったのよね。本当に申し訳ないと思う。

 

 翻って私はどうだろう。案内されて席に着き、改めて自分の姿を見る。

 体裁は、整えられている。でも、見る人が見れば分かる素材の安っぽさ。刺繍は単純で染色も均一ではない。どう言い繕ってもハビエル様に手を引かれるにふさわしい服装ではなく、出席者たちの視線が痛い。

 

 このような社交の場に同伴させて頂くと、いつも聞こえてくるのは、ソリア卿がどうしてあんな……、という声だ。

 今をときめくハビエル様なら公爵家からの嫁取りもできるはずなのに、かび臭い子爵令嬢などを選んで、といつも言われてしまう。


 まぁ、それ自体は間違いではないし、うまい言い草だとも思う。

 我が家は代々、文書を扱う家で、“現在”よりも“過去”を見つめてきた。古いものしか相手にしていないのだからかび臭いと言われてもそうだよねとしか言いようがない。

 

 そして、資料や知識を保存するにはお金が必要だ。

 あるていど王家から補助は頂いているらしいけれど、充分ではなくて。

 そこに、商売でたくさんのお金を手に入れたハビエル様が現れたのだから、娘をふたり持つお父様が見逃すはずはない。


 それに、ハビエル様としてもお金儲けは貴族社会において伝統的に好まれる行為ではないから、理由付けが必要だったのだろう。

 歴史的な史料や過去の文書などを保存するために、援助をしたかった。事業の必要性をしっかりと理解しており、そのためにお金が必要だったと言えば?

 ただで援助をするよりも縁を結んで堂々と、と言えばどうだろう。

 あら不思議。なんて崇高な理念をお持ちのお方に早変わり。


 政略結婚なんて、そんなもの。

 私は、私を粗末に扱われないのであればそれ以上、何も言うつもりはなかった。そういう世界だからね。

 そう。今、この瞬間までは。

 

「まぁ、ハビ様ったら」

 

 うふふ、と笑う声にどきりとした。

 今、ベアトリスはハビ様、と呼んだ?

 姉の婚約者に、愛称呼び?

 まさかと思った。

 

「いやいや、そのイヤリング、ベベによく似合っている」

 

 べべ!?

 ちょっと待って。どうしてふたりが愛称で呼びあっているの?

 確かに、ベアトリスは人懐っこく、誰に対しても心を開ける女の子だけれど、これは違うのではないだろうか。

 それよりもハビエル様が妹に笑顔を見せていることが何よりも信じられなかった。


 何も言えない。何を言えるだろう。これは、私の面子が潰されただけだし、家として考えればまぁ、どちらが嫁いでも問題はない。

 ぐっと握り込んだ服の手触りは、ざらざらとしていた。

 

 一気に食欲がなくなり、ナイフを脇に置く。

 ちらりと見たふたりは楽しそうに話をしているけれど、何を言っているのか分からない。聞こえているのに、それが何を意味するかが分からない。

 

 人々の話し声も、意味が解らない。場を盛り上げる音楽が良い音なのは分かる。ナイフが食器とぶつかる音がやけに大きく聞こえる。

 でもそのおかげで、これ以上不快で惨めな気持ちにはならなかったし、舞踏の時間になるまで退屈することもなかった。


 そして私は、音楽が終わるころ、そっと大広間を抜け出した。


 ◇ ◇ ◇

 

 門番の人に頭を下げ、人酔いしたので静かなところで休んでくると伝えて扉を出た。

 廊下を歩き、少しでも大広間から遠ざかるためにひたすら歩く。

 ハビエル様とベアトリスは私の存在なんて気にも留めず、ふたりで踊っていることだろう。

 あるいは、よりよい条件を探して。


 ぶるぶると顔を振ると、少し頭が冷えてきた。よく考えるとこれって、まずい状況なのではないだろうか。


 婚約者を放り出して、どこかに行ったまま帰ってこない令嬢。

 状況がどうあれ、そう言われたら私は反論ができない。あちらにはベアトリスという証人もいる。

 どこかに追放されてしまうだろうか。

 あるいは、どこか田舎のお金持ちの後妻にでも押し込められるか。


 それはそれで、この環境から出られるならいいかもしれない。

 そんなことを考えていたら、見知った場所に来てしまった。

 王宮内の礼拝堂に隣接する書物庫だ。

 何度か王妃様や王女様から召し出され、勉強の手伝いをしたことがある。

 書物や資料の整理を手伝ったこともある。

 そのおかげで私はここの出入りを、いつでも自由に、とまではいかないけれど、緩い制限の下で利用を許されていた。

 とはいえ、こんな夜に空いているはずがないだろう。

 

 でも。

 例えば、大きな木をひとりでは抜くことはできない。それを分かってはいても、なぜか確かめたくなることって、ない? わざわざ木を手を回して、引っ張ってみるみたいな。

 そんな気分で、私は書物庫の扉を押してみた。


 すると、驚いたことに扉が開いてしまった。


「嘘でしょ……」


 信じられない思いで中に入る。当然、真っ暗だ。あ、いや、違う。

 奥の方でぼんやりと明かりが灯っていた。誰かいる?

 廊下を挟んで左右に書架が並んでいて、左奥に、恐らく石畳にランプを置いている。

 ゆっくりとそちらへ向かう。化け物だろうか。でも、化け物が明かりを必要とするのだろうか。そんなことはないからたぶんあれは人間だろう。

 だとすると誰だ? 書物庫の鍵を開けられる人は限られている。

 偉い人ではないだろう。偉い人ならお付きの人がいるはずだから。人の気配は殆どしない。

 近づくにつれ、本をめくる音が聞こえてくる。なら、ここに勤める管理人だろう。守衛さんは本を読んだりしないだろうし。


 そうなると、顔見知りの可能性がある。つまり交渉ができるということ。うまくやればしばらくここにいさせて貰えるかもしれない。

 コツン、と足音が大きく響いた。少し安心したから、警戒心が緩んでしまったのだろう。私が立ち止まったのと同じくらいにページをめくる音が止まった。


「……喜劇の会場は、ここではないが?」

 

 少し、渋めの低い声が聞こえた。

 何を言っているのか、その意味も理解できた。さっき、大広間ではどうしてあんなことになったのだろう。


 それにしても、聞いたことのない声だった。どうしよう。足がすくむ。


「誰もいないのか?」


 明かりがふわりと持ち上がり、廊下へ。こちらに近づいてくる。


「あ……」

「ん? やはり誰かいるのか。もしや喜劇の中から飛び出した迷子か?」


 結局、目の前まで来てしまった。

 ぼんやりと浮かび上がったのはランタンのあかりのような、少しくすんだ金色の髪。

 頑丈そうな顔立ちの男性は、どこか疲れがとれない様子で顎の周囲に無精髭を生やしていた。


 全く知らない顔。すらりと背が高く、深い緑色のゆったりとした服装を着て、腕まくりをしていた。暗がりなので品質までははっきりせず、この人がどのくらいの身分なのか良く分からない。でも、緑の発色がはっきりとしているように見えたから、下位貴族ではないかもしれない。少なくとも自分と同じ、あるいは上の身分として話をした方が良さそうだ。

 

 とはいえ、何から何を、どこまで話したものか。


「ん? ああ、すまん」


 言い淀んでいると、男性が数歩下がった。どうしたことかと首を傾げると、彼は言う。


「怖がらせたやもれんからな。これくらい離れれば、安心か?」

「あ……」


 瞬間、何か色々なものが吹っ飛んで言ってしまった。重く、のしかかっていたものがきれいさっぱりなくなってしまった。こんなことってある? 一晩に二度も、信じられないことが起きるなんて、今日はどんな日なのだろう。

 ごくりと唾を飲み込み、少しだけ勇気を出す。


「ありがとうございます。少し疲れてしまって、外に出たのですが、思いがけず紙の香りにひきよせられてしまいました」

「ふむ……ならば、少し手伝ってもらってもよいかな? 何かに没入すると、疲れも忘れるやもしれん」

「えっ?」

「さ、こっちだ」


 一方的に言い、男性は背を向ける。

 でも、私の足は自然に動いてしまった。前へ、前へと、ランタンに引き寄せられていった。

 

 私には、彼に着いて行かないという選択肢もあった。

 大広間へと戻り、体裁を取り繕うこともできたし、そうすべきだった。

 それなのに、私は、ふらふらとついていってしまったのだ。

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