忠臣
その年の夏は太陽が低く飛んでいるようだった。サバロ村の養老院ではわずか十七日のあいだに老人が五人、立て続けに日射病で死亡し、彼らはみな死ぬ直前に「光がパチパチ弾けている」とつぶやいていた。真っ白な壁からの照り返しは人間の目を平手打ちにし、教会では司祭たちが、中流の婦人が中庭で行水をしても、神の御心に反しないと宣言しなければいけなかった。
退職判事でリンバー村の紳士地主であるフェアファックス氏とその妻はリューンで開かれるウェルシャン夫人の晩餐会に出席するために夜明けごろに駅馬車に乗ったのだが、何もかもがついていなかった。リンバー村からリューンへ向かう最短のポートン街道で盗賊が出たため、馬車は大きく迂回してハスバルムを経由していかなければならず、おまけに馭者は正午までにリューンの城門をくぐるためにがたつく道を大急ぎで走らせたので、リューンの駅馬車発着場で降りたときには夫妻はくたくたになっていた。
フェアファックス氏は喉が渇いた。こういうときは身分の上下を問わず、エールやビールで喉を潤すものだが、フェアファックス氏は健康のために清涼ポーションを飲みたかった。もし、ポートン街道を通って、リューンに着けば、そこはオーレリス通りであり、きちんと瓶に詰めた一等品の、若干氷属性を付与させた清涼ポーションを売る錬金術工房がいくつかあるが、ハスバルム経由でリューンに入市すると、そこは庶民街であり、清涼ポーションを売るような酒場や料理屋がなかった。それどころか、ウェルシャン夫人の屋敷は遠く、夫妻は困り果ててしまった。
「わたしはエールを飲みますよ」
「わたしは飲まない。健康によくない」
「飲みなさいな。倒れてしまいますよ」
「出かけなければよかったな」
「それは無理ですよ。彼女のお父さまは仲人をしてくれたんですから」
「言ってみただけだよ」
太陽が低く飛んだ分、天啓も降りやすくなったのか、夫人は、このあたりにパシュレという、村の領地で長年、作業監督をしていた老人がいたことを思い出した。二十年以上、夫妻に仕えたが、百歳になる伯母がリューンに家を遺して亡くなったのを機に移住したのだが、ふたりはパシュレにウェルシャン夫人への迎えを頼む言伝か案内を頼むことにしたのだ。パシュレの家は合唱隊ギルド館の裏手にあり、通りとは共同中庭で隔てられていた。
パシュレの漆喰塗りの家の戸を叩くと、赤く焼けた顔の老人があらわれた。
「ありゃあ! おらの目が暑さで狂っていなきゃあ、目の前におられるのは旦那さまと奥さまじゃあねえべか」
事情をきくと、パシュレは胸を叩いて、快諾した。
「難儀したんですなあ! でも、このおらを思い出してくれたことはお互い幸運でさあ。ウェルシャン屋敷がどこにあるか知ってるんで、すぐにひとっ走り行ってくるだ」
「パシュレ。ここに清涼ポーションはあるかい?」
「ぬるい井戸水があるだけでさ。そこの居酒屋でひとっ走りして、エールでも買ってくるべ?」
「ないならいいんだ」
「わたしはもらうわ」
「へい。じゃあ、ちょっと行ってきますべ」
フェアファックス氏は清涼ポーションに固執はするが、世慣れた人だったので、夫人のエールとパシュレの酒手も含めて、一シリングを渡した。
「確かに頂戴しましたべ。じゃあ、ひとっ走りしてくるべ」
パシュレは日よけの麦わら帽をかぶって、錫製のビール壺を手に外に出た。パシュレの家は農場の監督をしていたときの杵柄でものはきちんと整理してあり、紙くずひとつ散らかさずに掃除されてあった。ただ、椅子がひとつしかないので、フェアファックス氏は椅子を夫人にゆずり、自分は寝台に腰かけた。抜け目のないパシュレは四つある部屋のうち、ふたつを自分で使い、残りは他人に貸して家賃をとっていた。
パシュレは中庭を横切り、通り沿いにある居酒屋のスイングドアを押した。壁沿いに狭いテーブルを置き、中央を踊るための嵌め木床にした店で夜になると若者たちが集まるが、昼の、日の高いうちは地元の老人が二、三人、壁によりかかって、ブドウ酒をなめていた。パシュレは店主に銀貨を見せた。
「この壺にエールを入れてくれ。おれにはジョッキでビールだ。泡でごまかすなよ」
「おれが一度でもごまかしたことがあるか?」
「ないが、癖みたいなもんだ。おれが農園で暮らしてたころ、何を話しても、同じことを二回言う変な癖をしたやつがいた」
ビールを飲み干し、壺に蓋をし、干し肉をひと切れ口に放り込むと、パシュレは店主にたずねた。
「瓶はあるか?」
「ここを何だと思ってるんだよ」
「ただの瓶じゃなくて、ボトルって呼べるようなもんだ。茶色のガラス瓶だ」
「あるが、何に使うんだ?」
「まあ、ちょっとな。コルクはあるか?」
パシュレはボトルに水を入れ、コルクでしっかり栓をすると、バケツにボトルを入れて、もう一度、居酒屋の裏手に出て、隣家の裏庭にこっそり入ると、植えた芋を踏まないように注意して、裏口のそばにある砂の山を崩し、ボトルが完全に埋まるくらいの砂をバケツに入れ、居酒屋に戻った。
「ビターを少しふった水をくれ」
ボトルが埋まった砂がしっとり黒く湿るまで水をかけて、カウンター裏の日陰に置かせた。
「また、取りに来る」
エールの入った壺を夫人に渡すと、パシュレはまたひとっ走りした。
太陽は輝き、人はわずかな日陰を求めて、建物の壁にへばりついていた。日なたに唾を吐くと、鋭い音を立てて消えてなくなった。暇そうな男たちの一団が集まり、黒いガラスを空に向けて、太陽を眺めていた。そのうちのひとりの老人が繰り返し叫んでいた。
「魔法使いどもが太陽の裏を飛んでる!」
「何を叫んでいやがる。太陽が低く浮いてるんだから、魔法使いどもが太陽よりも高い場所を飛んでても不思議はねえだろうが」
「やつらはなんで燃えちまわねえんだ?」
「氷のポーションを全身、塗りたくってるんだよ。ちゃんとケツの穴にもな。でなきゃ、ケツから火を吹くハメになる」
暇人どもめ、とパシュレは軽蔑し、道を急いだ。
ウェルシャン夫人の屋敷の門番とは飲み友達だった。
「なんだ、あんたか?」
「なんだはねえだろうが。このクソ暑いなか、来てやったんだぞ」
「こっちから来てくれなんて頼んだ覚えはねえよ。だいたい今日は晩餐会があって、お客たちはもうサロンに集まって、甘ったるいリキュールみたいなことを話してる」
「それなんだがな、おれの元の主人知ってるだろ?」
「あんたがいつも冗談の種にしてるやつか?」
「そうだ。そいつとそいつの女房がここに招待されてるんだがな。なぜか、そのトンチキふたりがおれの家の近所に迷い込んじまって、どうやってお屋敷まで行ったらいいかわからんときている。それで迎えをよこしてほしいって話でおれが行ってやることにしたのよ」
「ちょっと待ってろよ」
門番がもうひとりの門番に槍を預け、屋敷へと走っていった。
しばらくして戻ってきたが、少し厄介なことを伝えないといけないと言い、
「フェアファックス夫妻は招待されてない」
「どういうことだよ?」
「ウェアファックス夫妻は招待されている]
「あー、馬鹿野郎め」
「書いたやつが間違えたんだ。招待状の宛名と署名は本人が書くからウェルシャン夫人に言えよ」
「じゃあ、ひと言モノ申してやるから通せよ」
「通さねえよ」
「そりゃそうだよな」
「どうするんだ?」
「さあな、考えてない。まあ、もうちょっと金を引っ張る手をつくってはあるんだ」
パシュレは何かいい策がないかと考えることはしなかった。そんなことは、太陽の後ろを飛んでいく魔法使いを眺めるよりも無駄なことだった。
酒場に戻ると、湿った砂に埋めた瓶を取り出した。ひんやりしていた。念入りに砂をふき取り、自分の家へ戻った。




