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第72話 災厄の古代神話(2)

「スザンナさん! どこにいるんだ?」


 夕陽が沈み、エスティムの街に夜の(とばり)が下りようとしている。行方不明になったスザンナを探して、ラシードは市内を馬で駆け回っていた。


「サウロお兄ちゃん! スザンナさん、いた?」


「いや、十四番街の方まで見てきたんだが、どこにもいないな」


 ミリアムも心配して兄のシメオンと共に家の近所をあちこち探したが、スザンナの姿はどこにもない。暗くなってきた空を見上げて、ラシードは少し思案してから四歳年下の義妹に言った。


「もう夜だ。真っ暗な中で外を歩き回るのは危ないから、お前たちはひとまず家に戻ってくれ」


「でも、スザンナさんが……」


「ここからは俺たちマムルークに任せろ。もしお前やシメオンにまで何かあったら、俺としては耐えられんからな」


 長引く籠城戦による物資の欠乏のために強盗などの犯罪が増え、人々を襲う凶悪なゼノクも数多く出没している今、非武装の民が夜に一人歩きをするのは危険と言わざるを得ない。まだ自分も一緒に探したいと駄々をこねるミリアムを何とか説得して家に帰らせると、ラシードは引き続き部下たちと共に捜索を続けることにした。


「こういう時はどっちの神様に祈ればいいんだろうな。改宗した俺がこんな時だけ願い事なんてしてもザフィエル神からすれば随分と身勝手な話だろうし、かと言ってジュシエル神に異教徒の預言者を救って下さいと祈るのも筋が違う気がするし」


 スザンナの無事を天に祈りたい心境のラシードだったが、どの宗教の神に祈るのもおかしな話に思えて困惑してしまう。少し悩んだ末、結局彼は祈ること自体をやめ、自分の力で何とかするという最も己の(しょう)に合った道を選んだのであった。




「一体どういうつもり? 私が育てた可愛い女王蜂ちゃんを勝手にラビの年寄り連中に引き渡すなんて」


 馬を駆けさせて去ってゆくラシードの後ろ姿を高い屋根の上から見下ろしながら、アスタロトは憮然とした顔で同胞の天使たちに抗議する。彼女の怒りを軽くあしらうように、竜人たちを統率する天使シトリーは冷然と言い放った。


「これ以上、あなたに好き勝手な真似をさせておくわけには行かないということよ。アスタロト。ザフィエル様のご下命により、この聖地における指揮権は以後この私が握らせていただくことになったわ」


 自分たちが仕える神ザフィエルの名を居丈高に突きつけて、アスタロトを黙らせたシトリーは勝ち誇ったように胸を張る。元々、ザフィエル教の正式な指導者であるラビとは別にスザンナに啓示を与え、ラビたちの教えとは異なる独自の宗教思想をヨナシュ人たちに伝えさせていたのはザフィエル自身の意思ではなく、アスタロトの独断によるちょっとした悪戯とでも呼ぶべき行動であった。


「あなたも見てきたでしょ? シトリー。ヒゼキヤたちはザフィエル様がお与えになった聖典の教えをあれこれ拡大解釈して、本来の神のご意思から外れた厳し過ぎる戒律で縛りつけて弱い立場の民衆を苦しめてる。私はそれが可哀想だと思って、あの娘を使ってもっと自由な生き方を人間たちに提示してあげたのよ」


 スザンナを動かし、権威と伝統に囚われて硬直したザフィエル教の宗教改革を試みたのはあくまで善意に基づく正当な行為だったと主張するアスタロトだが、シトリーはそれを意に介さない。


「ロギエルやジュシエルとの戦いが最終局面を迎えつつある今この時に、聖典の細かな解釈など人間たちの好きにさせておけばいいでしょう。それよりもザフィエル様を崇める信徒たちを一つにまとめ、組織的に規律正しく集団行動させられるようにしておくことの方が今ははるかに優先だわ。その観点で見れば、ラビたちの厳格な戒律主義も神学的にはいくらかの誤謬があるとはいえ信徒を統制する上では有用だし、逆に宗派の分裂を招きかねないあなたのやり方は大いに問題があると言わざるを得ないわね」


「所詮、人間たちの幸福なんて二の次ってわけね。まるでロギエルみたいな虐待じみた飼い方で好きじゃないわ」


 せめてもの抵抗として皮肉を吐いてみたアスタロトだが、既にシトリーとその配下の天使たちに現場の実権を奪われてしまいどうすることもできない。ならばせいぜいお手並み拝見とさせてもらうことにするか、と、彼女は不愉快そうにわざとらしく溜息をついた。


「で、ヨナシュ人たちを厳しく統制して彼らに何をさせるつもり? 昔の栄光はいざ知らず、今のこの国ではあの子たちはか弱い少数民族に過ぎない。あのレオゼノクも手駒として抱えているジュシエルとその信者のアラジニア人たちに正面切って戦いを挑むには、正直言ってかなり力不足よ」


 これまではラビの関与を公式には否認しつつ、水面下で信徒のゼノクを動かして密かに破壊工作を進めてきたザフィエル教だが、シトリーはもっと大がかりで過激なことを企てている。アスタロトにそれを指摘された彼女は、隠すこともなく自慢げに新たな作戦方針を語った。


「ザフィエル様の偉大さと強大さをジュシエル教徒たちに思い知らせるため、私たち天使の全面的な支援の下でより大規模な災いをこの街に巻き起こすわ。そう、かつてジェプラーのファラオに対して私たちがしたのと同じようにね」


「ちょっ……まさか、本気なの!?」


 驚愕するアスタロトを嘲笑うように冷静な、そして冷酷な声で、シトリーは恐るべき宣言を発した。


「ザフィエル教の聖典にも記されたヨナシュ人の脱出(エクソダス)の神話。古代のジェプラー帝国を襲った『四つの災厄』を今ここに再現するわ」

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