第69話 謎を秘めた力(3)
「この聖地はお前たちジュシエル教徒のものではない。神ザフィエルの選民から盗み取った宝を、いつまでも独占していられると思ったか!」
ゼブラゼノクは川岸に積み上げられていた土塁を凄まじい力で蹴り崩すと、腰を抜かして地面にへたり込んでしまった中年の人夫に狙いを定めて迫る。そこへラシードが駆けつけ、持っていた指揮棒をゼブラゼノクに投げつけてその前に立ち塞がった。
「大丈夫か? 早く逃げろ!」
「は……はいっ!」
普請に動員されていた人々を全て避難させ、工事現場に一人残ったラシードはゼブラゼノクを鋭く睨みつけながら変身の呪文を唱えた。
「変身!」
「やはり現れたか。魔王の仔レオゼノクよ」
湧き立つ黄金の光を外骨格の鎧に変えて装着し、レオゼノクとなったラシードは唸りを上げてゼブラゼノクに攻めかかる。馬の蹄のような刃物の形をしたゼブラゼノクの右手で斬りつけられ、胸の装甲から火花を散らしたレオゼノクは怯む素振りもなくライオンのものに似た左手の鉤爪で同じように斬り返した。
「神ザフィエルによる天罰を貴様に下す。死ね!」
「おいおい……この防衛線は向こうに暮らすヨナシュ人たちを守るものでもあるんだがな。せっかく作りかけてたのを壊しやがって、アレクジェリア軍の奴らに仲間が殺されたらお前のせいだぞ」
相手の口ぶりからしてザフィエル教徒――すなわちヨナシュ人だと察したレオゼノクだが、この川のすぐ近くにはヨナシュ人が多く住んでいる街区もあり、ここで敵軍の侵攻を止められなければ彼らも神聖ロギエル軍に虐殺されてしまうことになる。後先も考えずに暴れているだけか、と相手の無思慮さに苛立ちを覚えつつ、右腕を軽く振ったレオゼノクは再び間合いを詰めて格闘に持ち込んだ。
「ラシード様……やっぱり動きにいつもの切れがないわね」
離れた場所から戦いを見守っていたダーリヤは、レオゼノクの動作が普段より幾分鈍いのを見て取るとつらそうに奥歯を噛み締めた。強い魔力の負荷に肉体が耐えられずに悲鳴を上げているのだ。やはり昨夜の戦いでは無理をさせ過ぎた、と彼女は恨めしげによく晴れた空を見上げる。
「やっぱりバラキエル様のやり方じゃ乱暴過ぎて、ラシード様が潰れてしまうわ。そうなればロギエルとの決戦に利用するどころじゃなくなって、私たちの計画も全て水の泡になる」
これからしようとしていることを正当化する理屈を自らに言い聞かせるように、そう呟いたダーリヤは拳をぐっと握り締める。このような時にいつもラシードを助けに現れるメリッサも今は別の場所で戦闘中らしく、彼女の発する高い魔力がもう一つの魔力――恐らくサディクのもの――と激しくぶつかり合っていてこちらへ近づいてくる気配はない。いつになく不都合な今の状況を呪いつつ、自分がやるしかないと決意したダーリヤは普段の明るく溌剌とした彼女の人柄とは正反対の血走った目で呪文を唱えた。
「――変身」
詠唱と共に、ダーリヤの体から湧き上がった淡いエメラルド色の魔力はやがて物質化し、彼女が着ていた鮮やかな緑の長衣の上から全身を覆う禍々しい魔人の鎧となった。
「ラシード様……こんな私の正体を知ったら、きっと嫌われてしまうでしょうね」
いつか彼には本当のことを全て話して謝らなければいけない。心の中でそう思いつつ、メドゥーサゼノクに変身したダーリヤは醜い老婆のような仮面についた二つの目を光らせ、網膜の表面に魔力を充填して必殺技の光線を放つ態勢に入った。
「たぁっ!」
地面を蹴って跳躍したレオパルドスゼノクは右足を振り上げ、強烈な踵落としをルプスゼノクに叩き込んだ。ルプスゼノクは両腕を顔の前で交差させてそれを防ぎ、両者はそのままの状態で激しく押し合う。
「レオ様をいじめた報い、たっぷり受けてもらうわよ」
「ざけんじゃ……ねえっての!」
ルプスゼノクは怒りに声を荒げ、怪力でレオパルドスゼノクを押し返した。上空へと弾き飛ばされたレオパルドスゼノクは軽やかに後ろ向きの空中回転を決め、着地して素早く体勢を立て直す。
「おいおい、てっきり敵の斥候がラシードをたぶらかして落とそうとしてるのかと思ったらお前も本気かよ。大好きな彼氏をいじめちまって、そりゃ申し訳なかったな」
「危うく彼を自殺に追い込まれるところだったわ。謝っても許さない」
レオパルドスゼノクが発するただならぬ殺気を涼しげに受け流して、ルプスゼノクは牙を剥きながら皮肉げに嗤う。
「あいつは大人しく自殺なんてするような柄じゃねえよ。すぐキレて殴り返してきやがって、あいつと付き合う気ならあの野獣みてえな凶暴性については覚悟しといた方がいいぜ」
ラシードのあの異常な豹変ぶりのことを指摘されたと思ったレオパルドスゼノクは一瞬、自身の迷いを突かれて当惑した。そんな彼女の心情などさして興味もなく、隙ありと見て素早く突進したルプスゼノクは狼のような右手の鋭い爪を突き立てる。
「オラオラどうした! さっきまでの勢いはどこへ行った?」
「くっ……」
実力が伯仲している勝負も、片方が精神面で少しでも崩れれば戦況は一気に傾くことになる。たちまち劣勢となったレオパルドスゼノクはルプスゼノクの容赦ない猛攻に押され、次第に追い詰められていった。
「消えな。ラシードの奴には俺が訃報を届けてやるからよ」
強烈な一撃でレオパルドスゼノクを地面に蹴り倒したルプスゼノクは右手を広げ、掌の上に灰色の光弾を作り出して発射した。痛みを堪えてすぐに起き上がろうとしたレオパルドスゼノクだが、凄まじい速さで飛んでくる破壊魔法の弾丸に対して回避も防御ももはや間に合わない。
「きゃぁっ!」
光弾が炸裂し、地表を抉って大爆発を起こす。派手に噴き上がった炎と土煙が晴れた後には、レオパルドスゼノクの姿はどこにもなかった。
「殺ったか……いや、逃がしちまったな」
確実に仕留めたというほどの手応えはなく、レオパルドスゼノクが爆煙に紛れて素早く逃げたのを悟ったルプスゼノクは悔しげに舌打ちしながら人間の姿に戻る。敵軍の斥候をあと一歩のところで取り逃がしたのも痛恨だが、それよりもメリッサの死という凶報をラシードに届けられなくなったことの方が彼にとっては残念であった。
「まあいい。お楽しみはこれからって奴さ。見てろよラシード」
あっさり殺してしまったのでは面白くないのも確かだ。そう考え直したサディクは、憎いラシードとメリッサの二人をどうやってじっくり料理してやろうかと楽しげに思案を巡らせながら軽快な足取りで去って行った。




