15. 立ち上がるとき
15.
「消えない……」
美月は冷や汗を流した。
目の前には銀のトレーに乗せられたリオルトの氷。一番初めに消したそれと同じくらいの大きさのものだ。
ここ最近の練習により魔力を使う速度も、大きなものを消す力も確実に成長していた。が、今、はその成長は見る影もない。
「……どうして……」
自分の中の魔力の存在も、大気中のマナの存在もはっきりと感じ取ることができる。力を使おうとしている実感もある。それなのに、全く力が使えなかった。
「……“どうして”?」
「ヒッ」
一連の流れを、正面から無言で見つめていたリオルトがゆらりと立ち上がった。
「どうして、と聞きたいのはこちらですよ」
どす黒い顔色のリオルトが、美月の肩に手を乗せた。触れられた部分が氷のように冷えて、ぶるりと震える。
「愚鈍な速度ではありましたが、素晴らしい師匠の元順調に成長していたあなたの魔力の扱いが、初日以下に戻ってしまっているとは……まったく、どうしてでしょうねぇ」
顔を覗き込まれ。美月は引きつった笑顔を作った。が、リオルトの絶対零度の目を見ると、その笑顔も一瞬で消える。目をそらして、小さく固まるしかできない。
棘のある言葉が、遠慮なしにぐさぐさと刺さる。
「いいんですよ、魔力を使えなくなることはままあることです」
リオルトはまるでミュージカルの出演者のように大げさに言って、美月から離れた。
「例えば一番大きな原因は病気やケガです。肉体的に問題があると、使えなくなることが多いです」
「な、なるほど?」
「もしや!? あなたは病気をしていたり、どこかに怪我があるんですか? それは大変だ。今すぐ医者を呼びましょう!」
「い、いや、そういうことでは……」
本気で医者を呼ぼうとしているのか、扉に向かったリオルトを美月は慌てて制止する。
と同時に、再び鋭い視線が飛んでくる。
「ではまさか!? 魔力が使えなくなる呪いでもかかっているんでしょうか。……おや、ですが、この国一の魔導士である私が見ても、そんな魔術はかかっていないように感じますねぇ~」
受け取り切れない嫌味に、美月は「うう……」と呻いて心臓の辺りを抑えた。とんでもない圧迫面接に、心が折れる寸前だ。
リオルトはその隙を見逃さず、勢いよくテーブルに腕を置いてたたみかけた。
「では魔力が使えなくなる理由は一つです」
眼前に迫ったリオルトのナイフのような目を直視できない。
「集中できていないんですよ」
「……いやいや、私はいつも真剣で」
「集中できていないんですよ。魔力の扱いは意外に繊細なものです。初心者であればあるほど、その影響は大きい。例えば近しい人間の死や、なにか大きな重圧がかかったとき、なにか心配ごとがあって集中力を欠くと、一時的に魔力を使えなくなることがあるんです」
リオルトの唇が曲線を描く。
「身に覚えがあるでしょう」
それは、疑問ではなく確信めいた言い方だった。
「昨日シオンと話した後から様子が変ですね。なにかあったんでしょう。いえ、あれほど泣いていたんです。“別に何も”で私に話が通じると思いますか?」
思いません。
そんなことは美月だって分かっている。昨日は時間も時間だったし、取り乱していたこともあって、それほど執拗に理由を尋ねられなかったが、いつまでも流すわけにはいかないだろう。こうして生活に支障が出てしまっているんだから、尚更だ。
けれど……
「……め、目にゴミが入っただけですから」
そっぽを向いて、ごまかすように立ち上がる。とりあえずこの場所から出て、違うところで作戦を立てよう。もうそれしかない。
美月は早足に部屋の扉へと向かった。「待ちなさい!」と腕を引かれるが、それも振り払う。「お腹が痛いんですよ! 保健室に行くんです!」と自分でもよく分からないことを口走ってしまい後悔するが、もうやり切るしかない。この城に保健室があろうがなかろうが、とりあえず部屋から出なければ、ヤバい。
焦る気持ちを抑え、美月が扉に手をかけた、その瞬間だった。
「言っておきますけど」
行く手を塞ぐようにリオルトの手が扉に置かれた。内心舌打ちをしつつ振り返り、すぐそばにあったリオルトの表情を見て、冷や汗が噴き出した。
はたから見れば、いわゆる壁ドンだ。学校で回し読みした少女マンガのワンシーンを見て、友達とキャーキャー言い合ったのを覚えている。
が、今目の前にいるのは青筋を浮かべ氷の笑みを作ったリオルトで、壁に置かれた手の周囲はバキバキに凍っている。違う意味でキャーキャー言ってしましそうな恐ろしい絵面だ。
「いいんですよ、私に隠し事をしたって、ねぇ、聖女様?」
「は、はひ……」
「魔力を完璧に扱えるようになり、目前に迫った聖騎士選定の儀前日の夜会でのダンスも、立ち居振る舞いも完璧で、文句のつけようもなければ、いいんですよ」
壁についた手と反対の手の甲がゆっくりと美月の頬を撫でる。その手のあまりの冷たさに、鳥肌が立った。
「で、今のあなたは?」
「魔力の扱いは70点……ダンスは50点、くらい、ですかね?」
「なるほど」
にっこりと効果音が付きそうないい笑顔のリオルトにつられて、美月も「へへ」と引きつった笑みを浮かべた。
頬を撫でていた手がゆっくりと離れる。
「甘い!」
「いっ!?」
強烈なデコピンを撃ち込まれ、美月は涙目でその場に蹲った。
「魔力の扱いは50点、ダンスにいたっては30点がせいぜいですよ。そんな半人前聖女が、隠し事をして気を散らせている場合ですか?」
「お、おっしゃる通りです……」
「じゃあ、とっとと吐きなさい。何を隠しているんですか?」
しゃがみこんで視線を合わせるリオルトを、額を抑えたまま美月は見た。
言って楽になりたい気持ちと、言ってはだめだと思う気持ちで、中途半端に開いた口からなかなか言葉が出ない。だってこれはシオンの問題だ。
「……吐け」
「うっ……」
どすの聞いた声に促されても、決心がつかない。
リオルトはしばらくの間、視線を泳がせる美月を見ていたが、ついに大きなため息をついた。
「はあ……めんどくさいですね」
「ご、ごめんなさい」
「いいですか。あなたが何を言っても、私は受け止めます。自分で抱えきれないものを抱えようとするんじゃありません。私はそのためにあなたの側にいるんですから」
「リオルトさん……」
「はい。じゃあとっとと吐いてください」
「……せっかくちょっと感動したのに。台無しですよ、リオルトさん」
美月は小さく吹き出した。
腕を引かれて立ち上がった時には、さっきまでのような迷いはなかった。
◇
「……なるほど」
口元に手を添え、難しい顔で話を聞いていたリオルトは、美月が話し終えるとぽつりとそう言った。
夜の色が濃くなった窓の外を見て、椅子の背に預けていた体を起こすと、すっかり冷めた紅茶に手を伸ばす。
「……まあ、シオンになにかあることは薄々分かってはいましたが、そういうことだったんですね」
「そうなんですか?」
「おかしいことが多かったので」
リオルトは紅茶を一口飲んでカップを戻すと、足を組み直し美月を見た。
「あなたはおかしいとは思いませんか?」
「……なにがですか?」
「いくら問題があったとはいえ、シオンがずっとあなたの側で魔力指導の手伝いをしていたことに」
「……え?」
「シオンは聖騎士候補の一人です。いくら聖騎士選定の儀が実力勝負だとはいえ、他の候補者達からしたらおもしろくないですし、あなたがシオンに好意を抱いて聖騎士にしたいと言い出さないとも限りません」
「……た、確かに」
言われてみれば、その通りだ。
ヴィッツは、自分の家は聖騎士になったことで力を持つようになったと言っていた。その座を巡り、過去には問題も起きているとも聞いている。そんな中で一人の人間を、仕方がないとはいえ、特別扱いするのがあまりいいことだとは思えない。
「あなたの魔力を引き出すためにシオンを魔力指導としてあなたの側につけたいと上に申し出た時、私は却下されるだろうと思っていました。まあ、許可が降りても、一度きりだとか、そういう制限があるだろうと。それがやけにあっさり許可が降りた。不思議だったんですよ」
「つまり……」
「シオンが勝ち残らないことを、ルーゼンロード家の息がかかった者たちは、あらかじめ知っていたんでしょうね」
リオルトは立ち上がり部屋の灯りを灯した。
手伝おうとする美月を手で制して、そのまま壁に背中を預ける。銀色の髪が、柔らかな光を受けて揺れた。
「……シオンは、聖騎士にあこがれを持っていました。知っていましたか?」
「ええ、なんとなくは……孤児院で聞いたので」
「彼には才能がありました。剣の扱いも、魔力の扱いもです。少し使い方を教えたら、あっという間に花開きました。元々の気質もあって、すぐに出世しました。それに伴ってシオンを疎ましく思う者も増えました」
リオルトの伏せた長いまつ毛が、頬に影を落とす。
「……『次の聖騎士はシオンかもしれないな』と冗談でも言われるようになった頃、先代の聖騎士と聖女様が事故でお亡くなりになられて、その言葉は冗談では済まなくなりました。剣と魔力の実力だけなら、彼は間違いなく優勝候補ですし、本人も前向きでした」
美月は膝の上で手を固く握った。
「ある時から、妙にこだわらなくなったと思っていたんですが……孤児院を人質に取られていたなら納得できます」
「シオン……辛そうでした」
思い出すのは、苦しそうに叫んだシオンの姿。
痛々しいその姿に、美月は眉根を寄せた。
「でしょうね」
「でしょうね、って……」
「シオンは今、あなたに好意を持っていますから、八方塞がりなんでしょう」
「…………は?」
素っ頓狂な声を出し、美月はリオルトを見た。
リオルトは不思議そうに小首をかしげた。「それは何の“は?”なんですか」と聞かれるが、聞き返したいのはこちらだ。
「え? こうい? え?」
「……どうみたってそうでしょう」
「え……え?」
「改めて言いましょうか。シオンはあなたに並々ならぬ好意を持っているんですよ。あなたのことを愛しいと思い、自分のものにしたいと思っているということです」
「う、うわー!」
美月は両耳を塞いて頭を膝に押し付けた。貝のように世界を遮断して、それ以上はやめてくれと言わんばかりに、あーだとかうーだとか意味のない言葉を漏らす。
リオルトはそれを見て呆れたように言った。
「そういう青臭い反応はやめてください。あなただって思い当たる節はあるでしょう」
……ある。
ネックレスや、赤く染まった彼の頬が脳裏によみがえる。思い当たる節はあるのだ。それでも「まさか」と思っていた。あんなに完璧な人間が、まさか自分のことなど、と。
「……とにかく、シオンはあなたに好意を持っている。持ってしまったという方が近いかもしれませんね。だから、あなたがヴィッツの元に行って泣く姿を見たくないんです。そのためには自分が聖騎士になるしかない。けれど、聖騎士になったら孤児院は即、取壊しでしょうね」
取壊しならまだいい方で、それこそ火を付けられても、あの彼なら簡単にもみ消せますから。
物騒なことを付け加えて、リオルトは美月の様子をうかがった。美月は変わらず体を折ってはいるが、もうその耳は塞がれてはいなかった。
前髪をかき上げて、ため息を一つ。
「……シオンは私には弱音を言いません」
ぴくりと美月の肩が揺れた。
「でも、あなたには言ったんです。シオンは自分で抱えきれなくなった思いを、ミツキには吐き出すことができたんですよ」
リオルトは言って、窓の向こうを見た。
夜に染まった空に、部屋の灯りが揺れている。窓に映った自分は少し疲れた顔をしていた。正面で頭を下げた美月はそのまま動かない。
「リオルトさん」
くぐもった声が聞こえ、リオルトは窓の向こうを見たまま「なんですか」と答えた。
美月がゆっくりと体を起こす。
「……私、シオンの力になりたいです」
リオルトは口の端を持ち上げ、美月を見た。まっすぐに見た彼女の両目には、力強い光が宿っている。




