16. 別れのパーティー
「――様、聖女様」
「え?」
「終わりましたよ」
顔を上げると鏡の中には、青いドレスを着た、どこかの少女が驚いた表情で座っていた。
きれいに編み込まれた髪は生花の飾りで一つにまとめられており、顔には柔らかな印象のメイクが施されている。あまりの変わり様に、一瞬自分だと気が付かなかった。
すごい、と美月がはにかむと、後ろに立っていたリリーはおどけた表情で額の汗をぬぐってみせた。
「がんばりましたよ」
「ありがとう」
「ドレスもよくお似合いです。最初にシオン様がお選びになったものですね」
「……うん。そうだね」
美月はリリーの手を支えに立ち上がった。ヒールを履くのにもずいぶん慣れた。もう立ち上がるときに、ぐらついたりはしない。
ふんわりと広がった光沢のある濃紺のスカートが目に入る。シオンが選んだものだ。腰に巻かれたベージュのサッシュベルトも、そして、ドレスには少し不釣り合いな紫の石のネックレスもシオンが選んだ。
彼は、私を見てどう思うだろうか。「なかなか似合うじゃん」と、いつものように悪戯っぽい笑顔を見せてくれるんだろうか。
「……やっとお会いになれますね」
「え?」
「シオン様にです」
振り返ると、リリーは「違いましたか?」と不思議そうに小首をかしげている。
「いや……」
「あ、聖女様。少し失礼します」
頭の花飾りを直そうとする手に従って膝を折ると、背後で小さく笑う気配がした。
「大丈夫ですよ。シオン様にお会いになりたかったんでしょう。見ていれば分かります」
「……うん、会いたいな」
結局、あれから美月がシオンと会うことはなかった。
聖騎士選定の儀の前日に行われる夜会の用意に、魔力の扱いの練習もラストスパートだ。人に会うことも増えた。分刻みで過ぎるスケジュールを死に物狂いでこなしながら、やっとできた空き時間にシオンを探しても、どこにもいない。避けられているんだろうと思う。実際、会ったってどんな顔をしていいのか分からない。
でも、会いたかった。
会って、話したい。「あなたの力になる」と言いたかった。
あの雨の日に、シオンにしてもらったように。
「シオン様も、会いたがっていると思いますよ」
「それは……どうかな」
「あら、そうに決まっています。聖女様とお話されるときのシオン様はいつも楽しそうですから」
「そうだったら、いいな」
自分がシオンといて楽しいと思うように、シオンもそう思ってくれていたら嬉しいけれど。
16.
部屋へと迎えに来たリオルトに連れられ、美月は夜会の会場までの道を進んだ。
所々で会う衛兵たちの表情は、心なしかいつもより気合が入っているように見える。慌ただしく過ぎ去っていく城で働く人々を見ていると、なんとなく自分の足の動きも早くなっていくような気がした。そわそわした空気感に飲み込まれそうだ。
美月は自分を落ちつけるために、深く息を吸った。
「シオンの件ですが」
ふと、リオルトが言った。
「この夜会の間に、あなたがシオンを説得してください」
「……説得?」
「明日の聖騎士選定の儀、わざと負けることのないようにと」
なんでもないことのように発せられた言葉に、美月はリオルトを見上げた。が、その視線が自分に向けられることはなかった。代わりに「動揺しないでください」と注意の言葉が落ちてくる。
「す、すみません。でも、孤児院が……」
「もちろん、分かっています。そちらについては私に任せてください。なんとかなりそうです」
「本当ですか!?」
「声が大きい」
「ごめんなさい……」
「ええ、今晩、所有者と話をしてきます」
「所有者?」
美月は首をひねった。
「所有者はヴィッツでは?」
「いえ……直接、彼が買い取ったわけではないようです。彼の家と近しい商人が実際の所有権を持っているそうです。さすがに彼本人が持っていると、聖騎士になった後、周囲から勘繰られないとも限りませんし」
「そうですか……」
なにはともあれ、これでシオンは孤児院のことを気にすることなく、正々堂々ヴィッツと戦うことができる。
美月がほっと胸を撫で下ろすと、
「へらへらしないでください」
低い声と共に鋭い視線が向けられた。
「要するに今晩あなたは一人なんですよ」
「……はい」
だからなんだと言わんばかりの返事を返した美月に、リオルトは眉をひそめた。口にこそ出さないが、リオルトの目は間違いなく「あなたは馬鹿なんですか?」と問いかけてくる。
リオルトは一度周囲に気を配り、足を止め、美月の耳元に口を寄せた。
「ヴィッツ達に気を付けなさい、ということです」
音量をできる限り絞った声は聞こえにくかったが、警告はしっかりと受け取れた。
「ヴィッツ達は、あなたが“シオンが負ける約束をしている”ことを知っていることを知っているんですよ。彼がどういうつもりでその事実をわざわざあなたに告げたのかは分かりませんが、このまま平和に夜が過ぎるとは思いません。できるだけ、一人にならないように」
リオルトは念を押すようにまっすぐに美月の目を見てから、顔を離した。
緊張でごくりと唾を飲んでから、美月は頷いた。
「……はい」
「よろしい。では、」
辿り着いた扉の前では、正装を身に纏った衛兵たちが、槍を体の横に構えて待っている。
ここから階段を降りて広間へ降りるまでは一人だ。リオルトはすでに足を止め、自分が扉の前に立つのを待っている。半歩分ほど後ろに立つリオルトを横目で見る。
リオルトは先ほどまでのことが嘘のように、驚くほど穏やかな表情をしていた。
「入場後に、また会いましょう」
その言葉に、美月は思わず体ごと振り返った。ボリュームのあるスカートの裾が揺れる。
「リオルトさん、ありがとうございます」
勢いよく頭を下げると、リオルトは目を丸くしたが、すぐに口の端を吊り上げた。
「……まだ早いですよ」
「はい。でも、言いたくなったので」
振り返って、目を閉じ、深く深呼吸をした。扉の向こうからは人々のざわめきが漏れ聞こえてくる。これはさすがに緊張する。けれど、自分の中の魔力ははっきりとそこにある。マナの気配もしっかり感じる。大丈夫。
美月は震える手を握り、一歩一歩前に進んだ。
衛兵の横に立ち、その扉の向こうを睨むように見る。あとはやるしかない。
「聖女様、間もなく扉が開きます」
「……はい」
ゆっくりと開いた扉の向こうに、美月は一歩踏み出した。
◇
割れんばかりの拍手が、自分を迎えた。
豪華絢爛な広間を見下ろすと、数百人の人間が自分を見上げている。気が遠くなりそうな光景だったが、寸前で踏みとどまる。
広間へと続く大階段を降り、国王陛下の席の前でスカートの裾持ち上げ軽く礼をする。国王は穏やかな笑みを浮かべていた。
会場へ向き直ると、照明が落とされる。シャンデリアを見上げると、そこに巨大な氷が現れた。リオルトの作り出した氷だ。
眼下のリオルトに一瞬目をやると、小さく頷かれた。
もう、やるしかない。
リオルトが作った巨大な氷に手を向ける。
目を閉じ、深く息を吸えばその形を感じられる。“正しい形に、正しい場所に……”。頭の中で何度か唱えると、指先が何かに触れる気配があった。意識をマナと魔力の境目に寄せる。
氷が薄い光に包まれ、観客が息を飲んだ。
「消えて……」
目を開け、小さくつぶやくと、氷は弾けるように割れた。四散した細かな破片は光に包まれ、溶けるように消える。まるで部屋の中に、流れ星が降っているかのような光景だった。
「……よ、よかった……」
が、美月にそんなことを気にしている余裕はなかった。緊張感から解放されて、どっと肩が重くなる。よかった。できた。時間はかかってしまったが、とにかくできた。
次の瞬間、大きな歓声があがった。慌てて曲がりかけた姿勢を直し、もう一度礼をする。自分を見る人々の驚きと歓喜が混じった視線は、自分が聖女であることの証明は無事になされたということを教えてくれた。
迷惑をかけ続けた師匠は、どこかほっとしたような表情で拍手をしていた。
これが多少の恩返しになったのなら嬉しい。はやる気持ちを抑えて、美月はリオルトの元に向かった。
「上出来ですよ、聖女様」
リオルトは美月を優しく迎えた。
いつもは棘をはらんだその言葉も、今はどこまでも優しい響きを持っている。
拍手が鳴りやんだ頃、国王が立ち上がった。参加者たちの視線が、引き込まれるように向けられる。
「先代聖騎士と聖女の不幸な死から約半年、多くの者達の尽力により、こうして次代の聖女が迎えられ、明日はついに聖騎士選定の儀が行われる。明日は誰もが、素晴らしい戦いを見せてくれると信じている。今宵はローゼリア王国の益々の繁栄と平和を願おうではないか!」
国王はよく通る声でそう言って、グラスを掲げた。
美月もリオルトに渡されたグラスを受け取って、それに倣う。
参加者たちの盃が高く挙げられると、楽団の音楽が流れ始めた。
「飲まないんですか?」
グラスの水面をぼんやりと見ていると、リオルトに声をかけられる。
「……これってお酒です、よね?」
「ええ、もちろん」
「私まだ17なので……」
「ええ、だから?」
「まだ飲酒できる年じゃないんですよ」
「この国では15から飲酒可能ですよ。ですから、一口いかがですか。おいしいですよ」
「うーん……」
どうしようか迷ったが、結局勝ったのは好奇心だった。
恐る恐る口を付けて、オレンジと赤の間の色の液体を飲む。苦みがやってくるかと思ってドキドキしていたが、口の中に広がったのは柑橘系のさわやかな甘さだ。
驚いた表情を浮かべる美月にリオルトはどこか勝ち誇ったような表情を見せた。
「言った通りでしょう」
「はい、おいしいです」
一口のつもりだったが、結局すべて飲み干してしまった。
「では、行きましょう。あなたに挨拶したがっている方が大勢いますから」
「困ったら助けてくださいね」
「もちろん。安心してください」
そこからは、代わる代わるやってくる人たちへの挨拶で、目が回りそうだった。
リオルトのさりげないフォローがなければ、危なかっただろう。付け焼刃的ではあったが、この一か月で叩き込まれた知識も無駄ではなかったらしい。
恐れていたダンスタイムも、なんとかやり過ごせている。
ダンスが得意ではないというのはやんわりと伝わっているようで、どの聖騎士候補もとても紳士にリードしてくれた。薬室長だという彼の足を、一度だけ思いっきり踏んでしまった時も、きざなウインクで返されて、ほっとすると同時になんだか驚いてしまった。
あのヴィッツでさえ、いや、あのヴィッツだからというべきか、大勢の人の目があるところではとても紳士だった。かなり警戒をしていたが、結局当たり障りのない話をして、人のよさそうな笑顔を張り付けたまま去っていった。見事に肩透かしを食らってしまった。
「さすがに9人連続はつらいです……」
もう足が、がくがくだった。明日は間違いなく筋肉痛だろう。
半べそをかきながらよろめく美月をそれとなく支えながら、リオルトは「もう少しですから」と励ました。
「なんかちょっと頭もふわふわするんですよ……」
さっき飲んだお酒が回ってきたのだろう。気持ち悪さはないが、頭がぼーっとする。
美月はこめかみあたりを押さえながら、助けを求めるようにリオルトを見た。
「がんばってください。それに、最後の相手はあなたが待ち望んでいた相手ですよ」
「え?」
「じゃ、がんばってくださいね」
とんっと背中を押され、よろめきつつダンスの輪の中に入る。
きらびやかなドレスを着た娘達も、見目麗しいその相手達も、今の美月には褪せて見えた。周囲の音が遠くなり、たくさんの人の中で、その人だけが不思議と輝いている。
「……シオン」
輪の中で、礼服のシオンが立っていた。
晩餐会の日のように前髪が半分だけ後ろに流され、甘さのある端正な顔立ちがよりはっきりと分かる。背筋を伸ばし、どこか緊張した面持ちのシオンは、目が合うと少しだけ表情を緩めたようにも見えた。
「早く行ってください」
リオルトの言葉に促され、美月はもう一歩足を進めた。
先ほどまで流れていたテンポの速い曲が、スローテンポの曲へと変わる。照明がわずかに落とされ、会場はしっとりとした雰囲気へと変わった。
作法に乗っ取り、礼をして、互いに歩み寄る。
周囲が抱き合い、ゆっくりと動き出しても、美月はシオンを見上げたまま動けなかった。
あの日、けんか別れのようになってしまってから初めて会ったのだ。会ったらいろいろと言いたいことも、言わなければいけないこともあったはずなのに、全部きれいさっぱり忘れてしまっている。
「……とりあえず、踊ろうか」
「……うん」
シオンの手が戸惑いがちに背に回され、美月は不安げに反対の手を握った。しばらくすると、シオンの白い手袋の間からじんわりと熱が伝わってくる。
音に合わせ、視界の端を色とりどりスカートが揺れる。
美月は握り合った手を見ながら、ぼんやりと心地いいシオンのリードに身を任せた。心地よさを感じるのに、心臓は熱い。ハイヒールを履いた分だけ高くなった視界には、シオンの首筋で揺れる金色が映った。
「……なんかさ」
ささやくような声が降ってきて、美月は戸惑いがちに視線を上げた。
視線を上げた先の、橙色の灯りに照らされたシオンの瞳は、宝石のようだと思った。下から見てもシオンの顔はきれい。きれいだと思うけれど、今は昔ほど緊張していない。その存在をとても近く感じるから。
「……いろいろミツキに会ったら言いたいこととかあったんだけど、全部忘れた」
「私も、実は」
互いに顔を見合わせ、そして小さく吹き出す。
二人の間にあった壁が、一瞬で消え去ったような感覚だった。
「……ダンス、上手くなったね」
「師匠がいいからかな?」
「違いない」
冗談を言うと、シオンが口の端を上げた。と思うと、腰に回った腕に力が込められて体が浮く。声が出そうになったが、鼻と鼻が触れてしまいそうなほどの距離にシオンの顔があって、声も引っ込んだ。そのままぐるりと一周回されて、そっと地面に戻される。
この曲にはそぐわない動きに、美月は驚いた。そしてその直後に恥ずかしさとほんの少しの腹立たしさがこみ上げる。「ちょっと」と強く言うと、シオンは悪戯な笑みを浮かべた。
「びっくりした?」
「したよ」
「美月の驚いた顔面白かった」
「面白かったって、失礼だよ」
いつもの軽口に、怒る気もうせてしまう。「もう……」と自分から出た声は、どこか嬉しそうな響きだった。
「……僕もびっくりした」
「え?」
「きれいで」
いつもより掠れた声の響きは甘い。美月は息を飲んだ。
溶けた瞳がもう一度向けられる。ほんのり染まった頬は灯りのせいなのか、それとも彼のものなのかは分からない。
甘えるように顔を擦り寄せられ、ほんのりとバニラのような甘い香りがする。
「……似合ってる」
「……うん。シオンが、選んでくれたの、だよ」
「似合うなって思ってたんだ」
顔を離したシオンの表情を見て、美月は息が止まりそうだった。
――好き。
ずっと直視しないでいたその言葉が、すとんと胸の中に落ちてくる。もう見ないふりはできない。
――ああ、私は、この人のことが好きなんだ。
たまらなくなって、美月はシオンの肩に額を押し付けた。
「ミツキ?」と不思議そうな声が降ってきたが、返事はできない。
このまま時間が止まってしまえばいいのにと、初めて思った。
彼が好きな気持ちを抱えたまま、日本に帰りたいと思う自分も、それを忘れそうになる自分も肯定して、あなたに抱き着いてただ揺れていたい。こんなに女々しくてずるい気持ちが自分の中にあったなんて知らなかった。ずるいって分かっているけれど、ただこの愛しさに身を任せていたい。
好き。私はシオンが好き。
「……シオン」
抑えきれない気持ちが溢れるように名前を呼ぶと、「ん?」と優しい声が降ってきて安心する。そう、シオンの側は安心する。今まで、こんな気持ちになることはなかった。だから――。
美月は握り合った手に力を込めて、顔を上げた。
「シオン、私、あなたに言わなきゃいけないことがある」
「なに?」
「明日のことなんだけど――」
言葉を続けようとしたとき、音楽が止まり、大きな拍手が鳴り響いた。
周囲で踊っていたペアが、再び一礼をして離れていく。このままくっつきあっているのは不自然だ。「ミツキ、とりあえず」とシオンに促され、美月は一歩後ろに下がった。礼をしてもう一度駆け寄ろうとしたところで、「聖女様」と背後から呼び止められる。
給仕の恰好をした青年が、銀のトレー片手に立っている。
「……なにか?」
自分でも驚くほど不機嫌な声が出てしまったが、給仕の青年は笑顔を崩さなかった。
「ギルバート魔導士長がバルコニーでお呼びです」
「リオルトさんが?」
「ええ、なんでも急ぎの話だそうで……」
急ぎの話、と言われてすぐに思い浮かんだのが、シオンの孤児院の話だった。何か問題があったのかと思うと気が気ではなくなる。
「ミ……どうかされましたか、聖女様?」
「いえ……」
明日の件を先に話すべきか、それともリオルトのところに行くべきか、美月は悩んだ。
しばらく給仕の顔とシオンの顔を見比べて、結局選んだのはリオルトだった。今まで自分を導いてくれた人を、行くべき道を示してくれる人を優先するべきだと思った。
「……カーハート様、後で話があります。戻ったら聞いてくれますか?」
シオンは美月の重い表情に少し驚いたようだったが、すぐにほほ笑んだ。
「もちろんです」
「約束ですよ」
「はい。かしこまりました」
恭しく一礼をしたシオンを名残惜しく見て、美月は給仕の後に続いて歩き始めた。人込みの中を縫うように進み、振り返った時には、もうシオンは見えなくなっていた。




