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第十四話 無駄な抵抗はしないに限る


「明後日、四限終わったあと暇?」

 学食の端っこ、窓際のカウンターでラーメンを啜った菊川は、不意にそう尋ねてきた。

 三限に授業がないと、遅めの昼食をゆっくり食べられるから楽だ。

「暇といえば暇」

「じゃあ、カットモデルしない?」

「は?」

 何を言うこの男。

「ほら、この間槙村さんとそういう話になったじゃん。ちょうど姉の後輩が募集してて」

 まったくあの人は。面倒ばかり引き起こす。

 美容院というものは苦手だ。正直、自分でやるのが一番性に合っている。

「ボランティアだと思って。たいした謝礼は出ないけど」

「お前がなればいいじゃん。ていうか、お前みたいな頭になるの嫌だ」

 ヘアカタログにあるような髪型そのままの菊川。

 俺が似たようなことをしても、周囲から何かあったのか心配されるのが関の山だ。下手すると、三崎経由で海の向こうに行ってしまった赤城にまで伝わりそうだ。グローバル規模でネタにされたくない。

「ただのカット。カラーとかパーマはしないからさ。いいじゃん、やってよ」

 今の菊川みたいな髪になっている高山田を想像してみた。俺と同じくらい似合わない。まあ、彰寿も茶髪だのゆるふわだのは似合わない顔立ちではあったが。

「俺の顔立ててよ」

「別のやつに頼めよ。お前、顔そこそこ広いじゃん」

「変身させがいのある人って言われているんだ」

 地雷の臭いがする。ここで飛びこむ判断を下すほど俺とて愚かではない。

「だいたい、俺を変身させてどうするんだよ」

「笑う」

 ちくしょう、お前。

「だったら、芹花を生贄として推薦するよ。あれでも女の子だし」

 二重に恩も売れる。ほくそ笑んでいると、菊川は首を横に振る。

「今回は男でって言われてるんだよ。芹花ちゃんはまたの機会に誘うからさ」

 亮様……じゃない、映果さん並みのしつこさだ。この二人が万が一付き合うことになったら、距離を置くのが賢明だろうな。

 どうも反抗する気力が削がれる日だったこともあり、俺は渋々了承した。

「わかった。ただし、ほどほどにって頼んでおいて」

 もう、どうにでもなれ。

 まだ今朝の夢を引きずってしまっているようだ。そのせいだろうか、メンマを口に放り込んだ菊川に、つい呼びかけてしまった。

「なあ、高山田」

 菊川の沈黙に、昔の名前で呼んでしまったことを自覚する。

「すまん、菊川。ちょっと聞いてくれないか」

「いいよ」

「お前、昔の夢って見るか? 昔って言っても、現世の昔ではなくて前世のこと」

 菊川の無言が、俺の心臓を突く。あるはずのない痛みを感じながら、俺は続ける。

「俺は、今でもたまに見るんだ。家族のこと、亮様のこと、学校での――お前とのこと。ちょうど今朝、お前の夢を見た」

「派手に喧嘩していた?」

「そっちのほうがまだよかった。お前の祖父様が亡くなったときの」

 どちらからともなく溜め息が漏れる。重ねて喋ろうとする自分の唇もどことなく重く感じた。

「……俺たちは銃弾の数ほど喧嘩したが、今思えばあれが一番後味が悪かった気がする」

「俺もあんまり思い出したくないよ。ただ、あれは俺の――高山田の八つ当たりだったな」

 こんな殊勝なことを高山田が言うなんて、それこそ彰寿にとっては夢の中の出来事だろうな。

「ただ、あのときは鈴森という男が本当に、心底嫌いになったね。自分は綺麗事を言いながら、彼らよりもずっと侮蔑にまみれていた」

「お前がわざわざ絡んできたから、それならば侮辱されることを望んでいるのだろう、と判断した」

「……そうだな。でも、後味の悪さを感じていたとは意外だよ。いつも澄ました顔をしていたから」

「お前に対しての罪悪感とはちょっと違うんだ。あの雑草共と同じような人間になってしまった後悔、だな」

 実に鈴森らしい、と力なく笑う声。

「そうそう。俺さ、冬は実家帰るんだよ。ちょうど成人式あるし」

 この場合の実家というのは、もちろん菊川家のことだ。そうか、そう言えば一歳上だった。またもや忘れかけていた。

 菊川は窓の外を見やる。人気はまばらで、深まってきた秋の寂しさがより強調される。

「冬はそれで終わっちゃいそうだから、春になったら高山田の故郷に行ってみようかと思うんだ」

「……かなりの遠出だな」

 新幹線でも何時間かかることやら。

「一緒に行ってくれないか?」

「え?」

 まさかの誘いに、俺は絶句した。

「お前は槙村さんとも前世を共有できるけれど、俺にはお前だけしかいないからさ」

 ここが大学でよかった。こんな会話を芹花に聞かれたらまた誤解されそうだ。

「前に一回行ったけれど、そのときは時間なかったから、あんまり長居できなかったんだ。向こうで確かめてみたいことがあるから、付き合ってくれよ。愚痴の聞き役がほしいんだ」

 何を考えているのかわからないほど、いつも穏やかな笑顔ばかりの彼。今も感情をあまり出していないが、それでも抑えた声にどこか縋るような気配を感じる。

 ああ、そうか。

 前世の記憶を共有できない。自分だけで抱えている。こいつに出会うまで、俺もそんな孤独感を持っていた。

「菊川は、記憶取り戻してからどんな感じで過ごした?」

「え?」

「完全にっていうのは、中学のときだっけ。今の家族に違和感とかあった?」

 彼は箸を置く。

「まあ、小さい頃から何か足りないって思ってた」

「足りない?」

「両親と姉、妹。五人全員いるのに、俺にとっての『家族』がもう数人いない気がした。お前はそういうのってあった?」

 あったとも。

 どうして自分に妹がいるのかわからないと思った。誰かが、智樹ではない名で自分のことを呼ぶ気がした。

 俺がそう語ると、菊川は力なく微笑む。

「わかる。なんか、違うんだよな」

「俺は小六で記憶を取り戻して、理由は納得できた。でも、その代わり、罪悪感があったんだ」

 今の自分の両親は松井の父さんと母さん。それはわかっているのに、鈴森の両親を恋しく思ってしまう。

「だから名門校だとかそういうところに行くってなったとき、まず、親の負担にならないかって思った」

 菊川はわずかに同意の声をあげる。

「よく考えれば、本当に何でそこまでってなるんだけどね。でも、行ったんだ」

「両親が熱心に進めてくれたから。貸与だけじゃなくて、学費免除の奨学金もあったし。それ貰うことで今できる親孝行をしようってなって」

「わかる。俺は公立行ったけど、やっぱり地元で一番のところって思ってた。他に親孝行の仕方なんていっぱいあるのに、勉強がんばろうってなってさ。そこらへん、前世にかなり引きずられてるなって感じる」

 姉さんが言ってた、と菊川は頬杖をついて遠くを見る。

「お前は家族との距離感がおかしいって」

 菊川の姉は、幼い頃より自己主張もなく淡々とした様子で、親を喜ばせようとしながらもどこか距離を置く弟が不気味に思えていたらしい。そして、東京に行きたくて両親に頼みこんだ菊川の様子を見て、そう告げたのだという。

「もともと俺が地味に地味に生きようとしたのを、そんなダサい髪型許せないだの、もっと他人からどう見えるのか気にしろだのうるさくてさ。最初は構わないでほしいと思って煩わしくさえ思ったけど、そのうち何となく楽しくなって。姉さんには感謝してたんだ。だからこそ、その一言がショックだった」

 思えば、いつも俺の話をきいてばかりで、こいつがこういうことを話すのは珍しい気がする。そう指摘すると、いつもの笑み。

「俺は究極の受け身人間だから」

「でも、お前も昔はちょっと違ったんだな。家族とも距離とってたとか」

 菊川は唇の形はそのままで、真っ直ぐ俺を見つめる。

「その話はまた今度。ここでするのはもったいないから」

 そうやってはぐらかすような物言いするのは、いつもの菊川だった。

 ……おかしい、か。俺もやっぱりそうだったのだろうか。昔の芹花の態度を思い出す。

 当初の志望校なら金はかからないし、うちの学校にするにしても別の学科のほうが将来絶対有利なのに。そう思いながらも歴史系に進みたいと言ったとき、松井の両親が見せたのは笑顔だけだった。

 せっかく行くんだから自分の好きなことを勉強すればいい、と。学費だって用意されていた。けれど、素直に喜べなかった。

 わかっている。俺をあの学校に入れたのは息子にはいい環境で勉強してほしいからで、自分たちの見栄ではない。

 勉強ができなかったとしても、きっとよかった。運動ができたり、絵が上手かったり、優しい性格だったりすればいい。何か長所があれば、あの人たちにとっては自慢の息子なんだって。

 でも、俺は……。

 菊川は頬杖を崩さぬまま、テーブルの上に視線を落とす。

「前世の高山田家、現世の菊川家。どちらの家族もさ、いい人たちであればあるほど苦しいんだよね。もしもどっちかが自分の嫌いなタイプだったら、あんまり悩まずにすんだと思うよ」

 ああ、本当にそうだ。

 鈴森の人々への思慕がなければ、未練などなく松井家に順応できたかもしれない。たとえば松井の両親がお世辞にも善人と言えないような人たちだったら、やっぱり迷わなかった。

「そういう点では、俺もお前も恵まれてるな」

 俺の呟きに、菊川はしみじみと言う。

「本当だね」

 高山田家のことは、家族構成と簡単な事情くらいしかわからない。仔細だって全部人伝てだ。親しくなかったし。

「元の家族に会いたいって思ったことはある?」

「もちろん。じゃないと、あんな遠くまで行かないよ……」

 しかし、会えなかった。彼はそう頭を振り、顔は髪に隠れる。

「俺の知る高山田家は、もう残っていない」

「それって」

 帰る家はない。その言葉が、かつての自分が受けたものよりもずっと重くなって、俺の心に落とされる。

「妹が嫁に行って、弟の一人がどこかに養子に出たとは聞いているけれど」

 言葉を切ると同時に、菊川は水を飲んだ。

「だから、やっぱり鈴森家が羨ましいよ。お兄さんはご存命なんだろう?」

「一番上の。二番目は……よくわからないけれど、ずいぶん前に死んだみたいだ」

 あのとき、寿基は何て言ってたっけな。衝撃が強くて、母の次に亡くなったってこと以外は全然覚えていない。

「映果さんに頼んだんだ。もしかしたら、今度会えるかもしれない」

「本当? よかったな」

 嫌味でもなく嬉しそうに言いつつ、彼は首を傾げる。

「でも、何で槙村さん?」

「万葉子ちゃんに直接頼むのは気が引けて。実はさ、あの子、映果さんが俺に気あるって勘違いしてるらしいんだよね」

「ほう」

「だから、それ利用させてもらった。親友の思い人が、彰寿が生きていた頃から革命にかけての鈴森家の話を聞きたがっている。そのほうがまだ、頼みを聞いてもらえるかなって」

 何せ、友人の恋路のためにわざわざ我が家に来て、母さんまでも巻き込んで外堀を埋めようとしてくる子だ。可能性がないわけじゃないと思う。

 あの少女に歳老いた祖父を利用させることになるのはいささか不本意だが、今回ばかりは映果さんを頼らせてもらう。

「槙村さん、親切だねえ」

「交換条件突きつけられたけどな」

「何?」

「今度一緒に出かけることになった。どこへかは言わんけど」

 菊川は唇を歪ませる。

「デートだ。よかったな、彼女ができて」

「嫌だよ、中身がアレだもん」

「そんなこと言ったって、彼女は邦彰妄想はしないだろう」

「もっとタチが悪いんだよ。本当さ、お前に前世での俺の苦労をノーカットで見せてやりたいよ」

 遠慮しておく、と菊川は伸びかかったラーメンに視線を戻す。長話してしまって悪かったな。

「それで、俺の前の故郷行きの話だけど」

「まあ、考えておく」

 元の仇敵は苦笑する。

「上から目線だな」

 俺は数度瞬きをする。もう存在しない高山田家と我が身を思いながら。

「春になったら、という約束には縁がないんだ」

「……そうか。まあ、考えておいて。じゃあ、姉の後輩には連絡しておくから」

「あー、よろしく」

「そうそう、昔の夢の話だけど……俺も見ることあるよ」

「俺は登場する?」

「秘密」

 引き続き、かなり危うい会話をしている気がする。お互いの夢に相手は登場するか、なんて。

「あ、そうだ。この間、お前逃げたせいで、俺、芹花からすごい誤解されかけたんだけど」

「それはご愁傷様でした」

 どの口で言うか。

「腐女子の妹を持つ苦労をお前は知らんだろう」

「そうだね。前世でも現世でも、俺の妹にはそういう趣味はないから」

 それだけは羨ましく思ってしまった。兄としての苦労を分かち合えぬとは、何とも悔しいことよ。ああ、交換してやりたい。俺だって普通の妹がほしい。

 翌々日、菊川に引っ張られるように某美容院激戦区に連れて行かれた。男性には敷居の高い店構えに気後れしていると、菊川がぼそっと言った。

「お前の自宅のほうが、よっぽどだよ」

 どうせ、ご近所でも評判なファンシーハウスだよ。元はボロ屋だったのを格安で買って、父さんと母さんが業者も頼りつつ自分たちで改造した。俺も中学に入ってからは肉体労働要員としてこき使われたが。

 あの家のほうが、か。俺も男だ、ここまで来たからには退けない。腹を括って入店した。

 菊川の姉の後輩というのはとても小柄な女性で、俺を椅子に座らせたのはいいものの、たいそうやりにくい思いをさせてしまった。

 肝心の髪型はというと、さすがに悪くはなかった。しかし、落ちつかない。

 帰宅した俺は、案の定芹花に指さされて笑われた。

「オシャレだけど、何か変!」

 俺は母さんの制止も聞かず、速攻でスタイリング剤をシャワーで落とした。後輩さんには悪いことをした。





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