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第十二話 もう嫌だこの人


「あれー? ミルクが切れちゃったぁ」

 いきなりキッチンに移動した母さんが、冷蔵庫を覗きこみながら言った。万葉子ちゃんが両手を頬に当てる。

「まあ、どうしましょう。まだ試していないものもあるのに」

「お兄ちゃん、ちょっと買ってきてよ」

「じゃあ一人で行くのもなんだし、映果も一緒に言ったらいいんじゃないかな?」

 母さんと万葉子ちゃんの声がなんとなくわざとらしいのに対し、芹花はほぼ素のままだった。これが演技なら、うちの妹は女優の才能がある……いや、気のせいか。

 万葉子ちゃんの行動力には恐れ入った。芹花どころか母さんまで取りこんでいる。前回の反省を生かしたらしい。ただ、自分たちの演技力をまったく考慮に入れなかったのと不自然な流れが今回の失敗だな。

 半ば強制的に、俺たち二人は買い物に行かされることになった。

 はあ……気がない相手とこう結びつけられようとするってなかなかのストレスだ。

「まさか、この組み合わせでお買い物とはねー」

「すみませんねえ、子爵家のお嬢様を庶民のスーパーなぞに付き合わせてしまって」

「いいえ。ていうかもう爵位ないし」

 いつかのように一緒に歩く。ここに白川氏がいたら、あの頃の再現になろうか。

 俺の横で、映果さんは大きな帽子の位置を調整している。

「うーん、まだちょっと日差しが」

「ちょっとくらい日焼けしてもいいのに」

「……色白の女性大好きな君に言われても、全然説得力ないね」

 それを言われると辛い。ああ、しまった……。

「芹花さんに見せてもらったよ、彼女の写真。清楚で、色白で、華奢で、可憐で、淑やかで。生まれ変わっても女性の好みって変わらないんだなって感心してしまったよ」

 あともうひとつ、大事なことありますよ。言わないけど。

「別に、俺の好みは関係ないでしょうが」

「智樹さん、本当に私のことぞんざいに扱うね。亮様モードじゃないと尊重してくれない」

「亮様モード発動するからこそ、ですって」

「……もう」

 前世を切り離せって言ったのは、どこのどいつだ。

 スーパーに着いた俺たちは、頼まれたものを順番にかごに放り込む。

 映果さんはあまり縁がないのか、好奇心旺盛な様子できょろきょろと店内を見渡し、うっかり冒険の旅に出そうになった。こういうところはやはり亮様だな。

「コンビニだったら行くんだけど、こういうところはなかなか」

「お手伝いさんいるんですか?」

「うん、通いで。食材とか自分で買ったことはないなあ」

「前世と現世通じて、か」

 かつては俺も使用人を置いて暮らしていたが、今ではすっかりこういう場にも馴染んでしまった。

「元華族って今の時代もそんなものですか?」

「万葉子の家にもお手伝いさんいるけれど、全部ってわけじゃないと思う。今では普通に暮らす家もそこそこあるんじゃないかな」

 正寧時代は、華族などではなくても女中くらいいる家がごろごろあったのに。

 映果さんは苦笑する。

「君はすっかり今の家で楽しそうにやっていて安心したよ。お宅が想像以上にメルヘンで、それは似合わないんだけど」

 俺があまり友人を呼びたがらない理由の第一位はそれだ。

 少女趣味の母さんの主導で、我が家にはそれはそれは可愛いガーデンとインテリアが存在する。無駄に背が高くて無愛想な俺とのギャップがうけたのか、三崎や赤城は何度もそれをネタにしてきた。菊川も最初は苦笑だったな。

「伯母上とはまた違った感じで、魅力的なお母様だよね。さっきもがんばって息子と私のために万葉子の工作に協力して」

「……それはどうも。映果さんは嫌じゃないんですか?」

「もう、さん付けじゃなくてもいいし、敬語ももうそろそろいいでしょ。で、何が?」

「自分が片思いしてるって勘違いされて、外堀埋められそうになって」

 彼女は俺の顔をじっと見上げ、不意にニヤッとする。

「だって……万葉子が可愛いんだもん!」

「はあ?」

 邦彰話をする桧山さんのような表情を浮かべる。

「もう、本当可愛すぎる! 私のためにあんなに努力してくれて、でもちょっと空回ってて、抜けてて。ああー、キュンってするっ!」

 身悶えするかつての主の姿に、ただ絶句するしかない。

 万葉子ちゃん、この人は相当やばいぞ……。

「だから、しばらくは勘違いさせておこうと思って」

「やめてください。迷惑なんで」

「やだ。万葉子が私のためにいろいろ画策してる姿をもっと楽しみたい! 彰寿と違って、あの顔で性格も可愛いって素敵だと思わない? 毎日楽しくて仕方ないの」

「万葉子ちゃんは、彰寿と顔が似てるって言われるのを嫌がってるんでしょう。親友のあなたが……そんな態度でどうするんだ」

「別に彰寿に似てるからってわけじゃないよ。ただ単に、生まれ変わっても私はあの顔が好きなだけ」

 ねえ、と映果さんは背伸びして俺に迫ってくる。

「万葉子はどう?」

「は?」

「清楚で、色白で、華奢で、可憐で、淑やか。まさに君の理想じゃないか! 君、ナルシストだし? ちょうどいいんじゃないの?」

「兄の孫とは付き合えませんって!」

「そんなこと言わずに。端から見れば何の問題もない関係だよ」

「俺としては大ありだ!」

「静かに。大きい人が大声出すと余計に目立つんだから」

 見渡すと、確かに注目されていた。ご近所さんもちらほら確認できた。恥ずかしい。

「まったく。万葉子ちゃんとなんてどういうおつもりですか」

 彼女は唇の両端を上げる。

「あの顔で女の子らしく可愛い性格の万葉子と、中身が元彰寿で今は別人の智樹さんがくっつけば面白いかと」

 万葉子ちゃんに言いきかせたい。友人はよく選びなさい、と。生まれ変わってなければ、枕もとにでも立ったものを。

「あの、ひとつ確認していいですか?」

「何?」

「万葉子ちゃんのこと、恋愛対象として好きなんですか?」

 映果さんは鼻で笑うようにしながら首を横に振る。

「いいや。女の人が好きだったのも、昔の話。今は男の人が好きだよ。万葉子は、単純に自分がいいなって思う顔ってだけ」

 その感覚は、前世も現世も男性として生まれた俺にはよくわからない。

「切り変わったって感じですか?」

「うん、そうだね。じゃないと、女子校生活、いろいろ大変だったろうな。智樹さんは、中高って男子校だったんだっけ?」

「まあ。前世でも男ばっかりだし、わりと気楽でしたね」

 むしろ、共学になった今の大学のほうが何か落ちつかない。

「ふうん」

 妙な笑みを浮かべながら、上目使いで尋ねてくる。

「だから奥手なの?」

「それは関係ないとおわかりでしょう」

 スーパーから出た後も、彼女の万葉子ちゃん推しは続いた。通販番組でもここまでしつこくはないはずだ。

 道端のセールスだったらどうにでもなるのに、妹のクラスメートのお嬢様、しかも中身は亮様となれば振り切れない。

「万が一、俺が万葉子ちゃんのことを好きになったとしても、万葉子ちゃんが俺のこと好きになるとは限らないでしょう。しかも、友人の想い人だと思いこんでるわけだし」

「そんなの私が一言言えばどうにかなるって。ねえねえ、本当にその気ない?」

「ありませんったら。何度も言いますが、寿基の娘で兄上の孫ですよ?」

 言って、立ち止まる。映果さんは首を傾げて、俺を見上げた。

「どうしたの?」

「あなたは、あの子の祖父――兄が今どうしてるのか、ご存知ですか?」

「……寿貞かい。まあね」

 万葉子ちゃんじゃなくても、彼女も知っているはずだ。どうして気づかなかったんだろう。

「今、あの人は……」

 映果さんは帽子を深く被り直す。

「病院と自宅を行ったり来たりだよ」

「え?」

 俺は身を屈めて、その両肩をつかむ。

「病気ですか? 容体は?」

「ちょっと、ごめ、痛い!」

 目の前で顔をしかめられ、思わず力が入ったことに気づく。慌てて離す。

「すみません」

「別に。……もう彼も歳だからね。ちょっと身体が弱っていて……」

 濁される言葉に不安が渦巻く。

「もう、長くないのですか?」

 彼女は躊躇いつつ無言で頷いた。その顔からは、先ほどまでの明るさは完全に消え失せていた。

 数年前、寿基や万葉子ちゃんに会ったときはまだ存命だった里津子さんももういない。俺があのときもう少し、遠慮せずにどうにかつながりを作ろうとしたら、会えたのではないか。

 寿貞兄上とも、そうして何もないまま終わってしまうのか。

 いつも優しくて穏やかで、俺をからかう次兄をやんわりと窘める。そんな長兄との思い出が、ひとつずつ浮かんでくる。

「一応、あなたは今、俺に片思いしてるって設定でしょう?」

 猫のような目で見つめ返しながら、映果さんは首肯する。

「そうだね」

「頼まれてくれませんか」

「寿貞に会わせてほしいって?」

「万葉子ちゃん、あなたのこと応援してくれるなら、俺がどうしてもって言ったなら引き合わせてくれるんじゃないか」

 そこで突然くるりと身を翻し、彼女は我が家への道を歩き出す。

「どうだろう」

 何故そんな態度をとる。

 あなたはいい。あの人の孫と友人で、いつでも近況を知ることができる。

 でも、俺は――。

「お願いいたします。どうか話を通してください。俺にはもう、あの人しか残されていないんです」

 俺はかつて、鈴森家の三男だった。慎重で威厳のある父と、物静かで繊細な母。対照的な気質を持つ二人の兄に囲まれて、幸せな少年時代を過ごした。

 けれどももう、三人が世を去っている。寿貞兄上だけがまだ生きている。

 俺は必死に映果さんに頼みこんだ。

 しかめ面を崩さないまま、彼女はしばらくの沈黙の後にゆっくりと口を開く。

「そこまで言うなら口添えするよ。きっと私が言えば、万葉子も動いてくれるだろうから」

 俺が反応を示す前に、彼女は続ける。

「ただし、ひとつ条件があるの」

「条件?」

 頷いた映果さんは携帯を取り出すと、何やら操作しながら言う。

「来週の日曜日、暇? 午後三時半前後……ううん、二時半あたりから」

 俺は、記憶の中の予定を確認する。

「その時間なら。あまり遅くまでいられませんが」

「大丈夫。そんなに時間は取らせない。付き合ってほしいところがある」

「どこへ?」

「行けばわかるよ。そこに一緒に行ってくれたら、万葉子にお願いする」

 どういう目的があるかはわからないが、今はこの人に頼るしかない。俺の事情を知っているこの人に。

「わかりました」

 俺の言葉に、彼女は安堵と憂いが混じった表情を浮かべた。




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