女王エリスは振り返る
*
初めてあの子の存在に気づいたのは、王立魔法学園への入学を目前に控えた、早春の頃だった。私はいつもの習慣で庭で素振りをしていた。
庭の生垣の向こう、月明かりに透けるような銀色の髪。まだ幼さの残る、こちらをじっと見つめる大きな瞳。振り向けば、慌てて隠れてしまう。
(恥ずかしがり屋さんなのかな?)
明らかにこの辺の子どもではなかった。
その証拠にその子の隣には保護者らしきお兄さんが付いているのが見えたから。
怖がらせないように声をかけようとそっと隠れ場所を覗いてみれば、その姿は溶けて消えてしまったかのようにどこにもいなかった。
まるで御伽噺に出てくる妖精さんのようだと、私は思った。九つかそこらだろうか。あんな小さな子が、なぜこんな時分に、こんな場所に。
(女の子が素振りをするのが珍しかったのかな?)
父さんも母さんも、女は女らしく、なんて事は言わない。勉強が好きで、魔法の素質があるという事で通えるようになった魔法学園だけど、貴族の子どもが多くいる学園に、魔法の素質と成績が優秀な平民なんて、やっかみの対象以外の何者でもない。
何より、私の容姿は金髪碧眼と平民らしくなかった。
私は赤ん坊のときに今の両親に拾われた。その頃、王都では魔物の襲撃があり、そこから逃げてきた貴族家の使用人らしき人が私を捨てて行ったらしい。
引き返してきたりはしなかった。
使用人が捨てて逃げたということは、まあそういう事だ。貴族の落胤か何かだったのだろうという事だったけど、王都から離れた小さな村で、髪色や目の色をどうこう言う人はいない。
けれど、王都の貴族たちはそうはいかないらしい。
見た目からして明らかに訳ありな平民が入るのだ。
素振りや鍛錬を始めたのは、それを心配した元兵士の父さんがいざという時に自分にとって、正しい判断ができるようにと色々と教えてくれた結果だった。
銀色の女の子の事は誰かに打ち明けるのはちょっと躊躇した。上品そうだったし、多分どこかのお嬢様だ。けれど、あの子のきらきらした瞳を思い出すたび、入学を控えて張り詰めていた心が、不思議と緩むのと同時に。なぜか背筋が伸びる思いがした。
*
王立魔法学園への入学が決まった日、私は誓いを立てた。
平民特待生という立場は、平民の中では特別だが、貴族にとっても別の意味で特別だ。それだけで要らぬ不興を買いかねない。侮られれば傍にいる人々にまで害が及ぶかもしれない。ならば、誰にも侮られぬ自分になるしかないと。
それに――もしも、あの妖精さんとどこかでまた合った時、あの、凄いものを見たようなきらきらした瞳で見てもらいたい。
その為には情けない姿や無様な姿を見せるわけにはいかない。
そんな気合十分な私に父さんが言った。
「身を守る術は筋肉に宿る。武器を失い、魔力が尽きた時、残されているのは己が身体ひとつだ。其の為にはきちんと必要な筋肉は鍛えておけ」
私はその言葉を胸に、毎朝陽が昇る前から鍛錬に打ち込んだ。それが、その時の私にできる唯一の準備だった。
*
そうして無事、入学を果たした魔法学園で、私は多くの友達を作り、勉学に励んだ。
学園には通うのが難しい生徒向けに用意された寮があり、そこで知り合った人たちと交流を深めた。
学園生活に心の余裕ができたそんなある日、気がついたのだ。
草むらから垣間見える銀色に。その側にはやはり騎士らしき人が付いている。
間違いない。私の事を見ていた妖精さんたちだ。
気づいている生徒は私の他にも結構いたが、みんな見て見ぬふりをしていた。
寮に帰った際、気づかないふりをしていた友人を捕まえて聞いてみたら、高貴な身分のお嬢様が時折、学園の見学に来ているとの事だった。
学園の許可は取っていて、自由にさせているらしい。
ただし、そのお嬢様は人と接するのが苦手らしく、危険な状況にならない限りは近づく事も声をかける事もしてはいけないとの事だった。
(だからあの時逃げたのか)
私は生け垣から覗く妖精さんの事を思い出していた。
それ以降、学園生活に気合が入り、鍛錬にも熱が入るようになった。
*
そうして過ごすうちに、校舎裏で身分を理由に絡んでくる令嬢たちと対峙したときのことは、今でもよく覚えている。
令嬢たちの言葉は嫌味と嫉妬に満ちたものだったけど、身分を盾にしたところで、こちらを屈服させるには程遠い。細い非力な身体は私の脅威にはなり得ない。
そんな時、目の端に木漏れ日に反射する銀色の光を捉えた。
妖精さん……!
「ちょっと、聞いていますの!?」
肩を掴もうとした令嬢の手を軽く払いのけ、
「なるほど。口先だけの言葉に重みを持たせる為の筋力が足りないようですね」
それだけ返し、私は落ちていた鉄の的を拾い上げた。
妖精さんの存在に思わず力が入り、気合と共に学校の備品を半分に折り曲げてしまった。
落ち着かなければ、と浮ついてしまった心に言い聞かせる。あの子に無様な姿を見せるわけにはいかない。
表情を引き締め、怯えた目をした令嬢たちを見返す。
「お養父様は言いました。時として、筋肉の重みは言葉の重みに勝ると! わたくしには皆様の、そのお言葉だけでは納得いたしかねる部分もございます。 さあ、わたくしを納得させうる更なる筋肉をお示しくださいませ!!」
我ながら、少々熱くなりすぎたかもしれない。けれど、あの瞬間、妖精さんは確かに私を見ていた。
令嬢たちが逃げ去った直後、通りがかった男子生徒に声をかけられた。
公爵家の御子息だ。私は丁寧に受け答えを終えたあと、ちらり、と茂みを見やってみたが、妖精さんの姿はどこにもなかった。
それから、公爵家のご子息が私によく声をかけてくださるようになった。細身の体を気にしておられたようで、私はできる限りの助言をお伝えした。筋肉は裏切らない。それだけは確かなことだから。
*
合同演習で魔物が現れたときも、騎士見習いの彼が剣を構え私を背に庇った。その瞬間、森の陰から控えめにそっと覗く銀色が見えた。瞬間、考えるより早く、私の体は動いていた。彼の身体を押しのけ、杖を握りしめ、力の限り振り抜けば、魔物は程なくして沈黙した。
押しのけた結果か、変な姿勢で座り込む騎士見習いの彼の無事を確認し、木の陰から今なおのぞく目を丸くした妖精さんを確認した。彼女の側にいる護衛がとても羨ましく思えた。
*
魔法の授業で、天才と呼ばれる彼が誇らしげに火球を出したときも、やはり妖精さんは覗きに来ていた。今回は護衛が一人多かった。
妖精さんが注目しているのは私の班。目的は眼の前の天才魔法師だろうか。しかし、また会えた嬉しさに思わず気合が入り、彼の出した火球を握りつぶしてしまった。
決して彼が妬ましかったわけではない。
「あれだけの魔力を消費して、それでは非効率的ではありませんか」
彼が膝をついたのを見て、少し言いすぎたかとちょっとだけ反省した。
その後、学園生活は順調だった。
宰相府への仕官希望の口だけの秀才を成績と拳で打ち負かし、商会の跡取り息子の根性を叩き直し、宮廷画家志望の少年と筋肉について熱く語り合い、幼馴染の辺境伯領の次男と再会を果たした。
その間にも妖精さんの姿はよく見かけた。その分鍛錬には身が入った。
*
三年が経つ頃には、成長期の私自身の筋肉の密度も増え、背が伸び、腕の太さも増した。一回りも二回りもの成長を果たした私の周りには彼らがいた。
若干私が彼らを従えていた感は拭えないが、身分の垣根を超えたまさに友情だった。
やがて私の出自が明らかになり、王家に迎えられた日。目の前に現れた小さな王女様を見て、私は思わず感嘆の声を上げたのだ。
「……妖精さん……!」
妖精さんは困ったように笑っていたけれど、初めて「お姉様」と呼ばれたときは天にも登る心地だった。
*
邪教徒との最終決戦を終え、戴冠の儀が執り行われる日。礼装を纏ったリゼットを見て、心に誓ったのだ。
私の妖精さんは私が守る。と




