2:起きてはいけない
何やら始まってしまった怪談話、もとい恐怖体験お披露目会。
何でこうなったんだ、と思いながらもこの二人、怖い話が大好物なのである。
だからむしろどんとこい状態なのだが、ランチも注文しなければいけないし、と思ってメニューを開き、お冷を飲みつつふと麻由奈が口を開いた。
「ねぇ、質問なんだけど」
「うん」
「何で、帰りにだけトイレが気になったの?」
「え?」
「扉空いてたならさ、入ってきた時にも気付くじゃん。あんたそういうの目ざといし」
言われてみて、確かにそうかもしれないと夏美は考えた。何であの時は気が付かなかったのだろうか。
「緊張してた、とかじゃなさそうだし。それに、トイレの前通ったんなら開いてたら閉めるでしょ」
友人の指摘はごもっとも。
廊下にトイレがあったのだから、扉が開いていたのであれば絶対に気付く。そして気付いたら絶対に夏美は閉める。そういうところはかっちりとしているのだから。
「なっちゃん、小さい頃からそういうのめっちゃ細かいしねぇ」
「言わないで」
はっはっは、と目の前で笑っていた麻由奈だったが、そういえばさー、とあっけらかんとした様子で口を開いた。
「私も怖い経験しちゃったのよ、ついに!」
「それは誇らしげに言うことではない」
冷静に夏美はツッコミをいれたが、先ほども述べたようにこの二人、怖い話が大好物なのだ。怖い経験をした、と言うのであれば是非とも聞かねばならん、と夏美はずい、と前のめりになってからにま、と笑う。
「まぁいいわ、聞かせていただきたいんですが」
「なっちゃんの話からしたら怖くないかもしれないんだけどね」
そう前置きをして、麻由奈は語り始める。
「大学院生の頃の話なんだけどね」
いやあ、あれは怖かったなぁ、と麻由奈はしみじみと思い出し始めた。
かつて、麻由奈は大学院生で、大学院の修了要件に「修了までに学会で2回は発表しておくこと」という条件があったのだ。
何とも面倒だ、と思っていたが彼女は工学部に在籍しているゴリゴリの理系女子というもので、卒業研究も色々と企業に手を貸してもらっていたりもする。
学部で卒業すればよかったのに、その先に進んでしまったのだから、研究成果を発表するのは至極当たり前の話であろう、と言うのが学校側の言い分らしい。
まぁそれならば仕方ない、と真面目にコツコツと実験を繰り返し、時には協力企業の人と教授も交えて会議をする場に参加させてもらったりと、色々な経験を積んでいた。
そんな中でのある日のこと、同期が「あ~」と間延びした声で呟いたので、麻由奈は「何さ」と問いかけた。
「あのさ、姐さん。俺そういえば発表してねぇや」
「せーーーーんせーーーーー! 我が同期が何かやばいこと言ってまーーーーーす!」
ゼミ室から出て行こうとした教授の背中に遠慮なく声をかけた麻由奈により、同期でもある彼は悲鳴をあげたのだが時すでに遅し。
何で早く言わねぇんだ!!と結構な勢いで怒られてしまって、急遽参加受付をしている学会を探せば、運悪く出てきてしまった某学会全国大会。
それだけはいやだ、と抵抗しているようだが、ここで発表していないとさすがに卒業までの期間を考えると残り時間的にちょっとまずい。毎月毎月ほいほい開催しているものでもないから、一回逃すと次は何か月後だ、ということもあり得る。
なお、小さいものであれば来る人は少ないし、発表したところでめちゃくちゃきつい質問が飛んでくることはあまりないのだが、全国大会ともなれば話は別。
素人質問で恐縮ですが、とニコニコ笑顔で手を上げてくる猛者が勢揃いしている恐怖の場なのだ。
とは言え、きちんと準備さえしていれば何ら問題はないのだが、彼は嫌だ嫌だ、と駄々を捏ね始める。
「いや、発表してないあんたが悪いんだから諦めな?」
「嫌だ! 姐さん発表して!」
「え、別にいいけどそうしたらあんたどこで発表すんの。私もうすでに1件発表してんだから、発表したら修了の要件満たすことになるので、割とラッキーではあるけど」
「裏切り者!」
「裏切ってないし、いつでも表だし」
はっはっは、と笑っている麻由奈を見ていた教授は「こいつ小さい学会でしれっと発表してるからな。はよ覚悟決めろや」といつもの調子で言っている。
「おい、事務課行って色々用紙もらってこい。俺はこいつに申し込み手続きさせるから。ところでお前もいくか?」
「全国大会の場所ってどこです?」
「仙台」
「牛タンとだだちゃ豆食べたいので、私絶対に行きます」
それでいいんですか!?と後輩からツッコミを受けるが、麻由奈はしれっと学会の要項を後輩に見せる。
「多分これなら聞きたい発表とかあるからね。お土産買ってくるから」
「行ってらっしゃいませお姉様、お土産に日本酒お願いします」
「おうさ、任せて」
そんな軽口をかわしている間にも、同期の彼は教授の監視のもとで申し込みを続けている。何で俺が……と同期はとっても悲しげにしているが、それは仕方のないこと。
諦めろ、と言ってから泣く泣く申し込みをしている同期を見ながら、「さて行かねば」と立ち上がった麻由奈は事務課に向かい、教授の言っていた書類をもらってきたのだった。
ゼミ室に戻ってみれば、同期が泣く泣く発表資料の概要を作成していた。締め切りギリギリで申し込む形になってしまったので、まずは概要を提出じゃ!と教授に言われ、なかなかなタイトスケジュールの元に必死で作業をしていたのであった……。
そうして、出発当日。
発表練習にもきちんと付き合い、到着して翌日に発表を控えている同期は何だか顔面蒼白。
「何で」
「胃が痛い……」
「まだ出発すらしてないってのに」
「俺は発表がマジで苦手なんだって……」
「壇上に立ったら逃げられないんだからまぁ頑張って」
「鬼!」
いつものやりとり。
これをしていると、教授が車で二人を迎えにきてくれた。さすがに場所が場所なだけに、空路を選んだのだ。移動にあまり時間をかけたくなかったし、疲労感を考えれば一番飛行機が楽だ、と言われたものの時間に余裕を持って移動をしなければいけないことだけが難点ではあるが。
「ほれ、乗れー」
「ありがとうございまーす!」
「お邪魔します……」
「おい、何であいつあんなに暗いんだ」
「発表嫌だ、って言うてます」
「今更?」
教授の愛車の中は誰が何と言おうと、教授が絶対的なルールである。
よって、喫煙車となっているのだが、こちらに煙を吹きかけてくるような人ではないので、麻由奈が助手席。同期は後部座席、と分かれて座る。
なぜこの席なんだ、と同期をつっついたら「姐さんは先生に愛されてるから!」ということらしい。
決して贔屓されているわけではないし、単に普段から朝イチで学校にやってきて後輩の面倒を見て、実験に付き合い、薬品の発注をしたりもしているから、教授とよく話しているので会話に抵抗がないだけのこと。
ええいおばか!と車に乗り込む前に彼のことを勢いよく蹴っておいてから、車で空港へ移動、あれこれ手続きも済ませて目的地へと飛んだのであった。
到着してしまえば、あとは大体いつも通り。
まずはホテルに荷物を預けてからチェックインを先にしておいて、会場まで向かう。バス一本で行けるので便利だね、と教授や同期と話しつつ、同期の発表の会場のチェックもしておいた。
いよいよ顔色が悪くなってきている同期を見て、教授と麻由奈は「あかんコイツ」という認識のもとで頷きあい、明日の発表に向けて美味しいものでも食べようか!と一旦ホテルに戻ったのだった。
「うう……発表いやだ……」
「流石にもう腹括れや」
「諦め、って大事よ」
「うわああああああああああ」
おいおいと今にも泣き出しそうな同期を横目に、麻由奈は教授に言われた通りに注文をしていく。
しっかりと名物も堪能しつつ、お酒好きな教授は日本酒をたらふく飲んでベロベロ状態一歩手前。それを見ていた同期もやっと冷静さを取り戻したのか、「うわぁ」とか言いながら注文して到着していた料理に手をつけていった。
さすが、という美味しさを堪能しながら、明日は発表本番だし、麻由奈自身もしっかりした状態で発表を聞きたい。いくつか聞きたい内容もチェックしていることだし、早めにホテルに帰ろう、と教授に提案したところ、上機嫌な教授からはとんでもない返事が飛んできた。
「俺まだ飲むから、お前ら帰ってなさい。ああそうだ、朝食付きのプランだから、明日は朝7時に朝食会場で集合な」
「え」
「いや先生飲み過ぎでは」
「大丈夫大丈夫、あっはっは」
けらけらと上機嫌で笑いながら、教授は夜の街へと意気揚々と繰り出していってしまった。
「……ホテル、帰るべ」
「うん」
ふらふらと二件目に歩いていく教授を見送ってから、二人はホテルに帰る前に最寄りのコンビニに寄って、お茶を買ったりお菓子を買ったりした。
ホテルの部屋はたまたま隣同士だったので、万が一がお互いに起こってしまった場合、壁を叩いて合図しよう、と少しだけふざけてから各々部屋に戻った。
「さて、ちょっと時間あるし……小説読んでからお風呂入って寝よう」
麻由奈はうきうきな様子でベッドに寝転がって、持ってきていた小説を読む。
普段とは異なっている環境だし、早めに寝なければいけないと思いつつも小説の内容が面白くて次から次へと読み進めていき、ページを捲る手が止まらない。
だがしかし、23時を回ろうというところで我に返って、入浴を済ませてからスキンケアをして、髪も乾かしてベッドにもぐりこんだ。
移動などで疲れていたこともあってか、そのまますぐにうとうととしてきた。
ああ、これは寝つきがめちゃくちゃ早いなぁ……と思い、睡魔に身をゆだねる。すっと目を閉じれば、後は夢の世界に入る――はずだった。
「(……あれ)」
目を閉じてから、どれくらい経過したのだろうか。
ふっと意識が上昇したものの、目を閉じたままで何となくすごしている。
「(……?)」
何があったのか、おかしなことでもあるのだろうか、と思っていたが、何故だろうか。『目を開けてはいけない』と、自分で自分に言い聞かせているような気がして、いいや、間違いなく己に言い聞かせている。
開けるな。
そのまま、目は閉じていて。
「(何でだろう)」
自分で自分に言い聞かせている内容を、自分自身で聞いているような感じが妙だなぁ、と思う。だが、指示された通りに目を固く閉じている。
そうしなければいけない、とでも言わんばかりに。
「(でも今何時か気になるし……)」
そうだ、確か携帯電話を枕元に置いたんだ。時間を確認しよう。きっと慣れていない場所で、疲れとか緊張とか、色々なものがどっと出てしまって、気分が高ぶってしまったからいきなり目が覚めてしまっただけなんだ。
――と、思っていた。
ふと感じた、何かの気配。
顔の前に、『何か』がいるのだ。
「(だめ)」
そう。
だから、起きてはいけないのだ。
目を閉じて、掌を自分の顔に向けて少しづつ近づけていけば、鼻先に触れるか触れないか、の位置くらいになったとき、何となくぞわりとした感覚というか、むず痒い感じというか、そういったものがある。
それを、今まさに感じている。
「…………っ!!」
駄目。開けないで。起きないで。動かないで。絶対に、何があっても駄目。動いてもいけない。
手も動かすことが出来ず、ただ、仰向けで寝ているだけ。
ただ、それだけ。
だがしかし目を開ければ、そこにいる『何か』と遭遇してしまう。
「(そう、駄目なんだ。目を開けたらいけない)」
何度も何度も自分に必死に言い聞かせている内に、じとりと背中に嫌な汗をかいてしまう。ああ、折角移動の疲れをシャワーとはいえきっちり流したというのに、どうしてまた汗を――いいや、冷や汗をどっとかいているのか、と考えて見たものの原因なんて分かりきっている。
「(…………お願いだから、目を開けないで。私)」
じっと、見られている。
それも、女に。
目を開けていないから、誰に覗き込まれているのか、どんな体勢で向こうがどうやって覗き込んできているのかとか、知ってしまうわけにはいかない。
少しだけ距離があったような、そんな気がしていたのだが、その距離がじわじわと近付いてきているような、そんな感じ。
生温い息がかかっているような感覚すらあって、とんでもない嫌悪感が襲ってきている。
はー、はー、と息を吹きかけられているかのような嫌悪感に、ぶわっと鳥肌までもが立ってしまった。
「(こわい)」
今まで感じたことのない、途方もない嫌悪感と恐怖が同時にやってきている。そうだ、同期に助けを求めよう。もしかしたら気づいてくれるかもしれない、と思ったけれど目を閉じていることに必死になりすぎて、体の動かし方すらわからない程、恐怖に支配されてしまっている。
「(お願いだから、どこかにいって。消えて)」
そう、必死に願い続けた。
得体の知れない存在は、ずっと顔の前、おおよそ数センチというところにずっとい続けている。
ここに執着されたところで何もできないんだから、勘弁してほしい。だがしかしそれが通じるのであれば、きっととっくにこの存在は消えているだろうから。
「(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!!)」
ずっと凝視され続ける感覚、目を開けてはいけないという命令にも似た何か。とてつもない圧迫感にただひたすら耐えて、耐え続けた麻由奈はふっと意識を失ってそのまま眠りについてしまったのだった。
「……朝」
はっと目を覚ませば、何の問題もなく目を開けられる。
だがしかし、きつく目を閉じていたから、とても目の周りが強張っているようなおかしな感覚に襲われ続けていたが、今日は学会の発表を聞く日だし、教授や同期と朝ごはんを食べることにもなっている。
「準備するか」
のそのそと起き上がり、枕元で元気にアラームを鳴らしてくれている携帯を確認し、停止させる。
眠気はないが、頭をスッキリさせたくて、一旦シャワーを浴びてから朝食会場へと向かったのだった。
なお、昨日何時にホテルまで帰ってきたのかわからない教授であるが、昨日のべろんべろん具合はどこにいったのか、というレベルで大変シャッキリしており、学生コンビは何で……と真剣に悩んでしまったのであるが、それはまた別のお話というか何というか。
「あ、そういえば」
発表も無事に終わり、息も絶え絶えな同期を引っ張りながらホテルに戻ろうとバス停に向かっていると、教授がふと口を開いた。
「お前ら、怖い話平気か?」
「俺平気っす」
「私も」
何だろう、教授がこんなことを言うなんて、と首を傾げた二人に対して、教授は手にしていたペットボトルの水を飲んでから、静かに語る。
「さっきなぁ、知り合いの先生から言われたんだよ。俺らが泊まってるホテル、こっちじゃ出る、って有名なんだと」
「え」
「はい!?」
いきなり何をしれっと話しているんだ、と麻由奈も同期の青年もギョッとするが、教授はのほほんとしたいつも通りの口調で続けていった。
「なんでもなぁ、女の幽霊らしいぞ。夜中にじーっと覗き込んできたり、入れて、とか訳のわからんことを言ってくるそうだ」
あっはっは、と言う教授と、何すかそれ、と呆れ笑いを浮かべている同期。
もしかして、と思って麻由奈は恐る恐る口を開く。
「それ、入れて、とか言うのに答えちゃったら……どうなるんですか」
「あー……」
もう一口、水を飲んでから教授は静かな口調で続けた。
「そりゃお前、言葉の通りだろう。『入られる』んじゃないのか?」
でもまあ、そんな体験する訳ないか!と教授が笑っていると、駅方面へのバスがやってきた。
起きなくて、目を開けなくて良かった。そう麻由奈は思いながら、どうか二度と遭遇しませんように、とだけ強く願う。
もう、あんな思いはしたくない。お金を積まれてもごめんだ、と。
「っていうことがあって」
「何それこわい」
「でしょ」
「私の話が可愛いレベルじゃないか!!夜寝る時怖いじゃん!」
「いやそれ、こっちのセリフでもあるのよ」
ごめんごめん、としれっと語り合っている二人は、ランチメニューを見て何を注文するかを決める。
色々なメニューはあれど、せっかくならば日替わりランチにしようと話し合い、食後の飲み物とデザートは被らないようにして、店員に注文をした。
「って言うかさ、まゆちゃんも結構な体験してるよね」
「何せ、お化けと初遭遇なんだよ、いやあびっくり!」
「平和だこいつ」
「いや、仕事中にあれこれ心霊体験するなっちゃんに言われたくはないんだよ」
さすがの幼馴染コンビ、会話のテンポは大変良い。
良いのだが、この二人ががっつり話しているのは、お互いの恐怖体験。あんなことがあった、こんなことがあった、と和気藹々で話しながらも、そこそこ奈恐怖を体験しているのである。
「しかし旅先での体験かぁ……」
「そう。今までは何もなかったんだけどね、いきなり」
「良かったわね、目開けなくて」
「絶対に開けない、っていう強い意志のもと耐え続けた。でもあれはやばかったわ……」
「でしょうねぇ」
自分がそんな思いをしたら、うっかり開けてしまいそうだ、と笑いながら話す夏美を見て、麻由奈もついつい笑ってしまう。
そうしていると、ランチについているサラダが運ばれてきた。
彩りも綺麗で、野菜も新鮮そのもの、なサラダを食べながらふと夏美が口を開いた。
「あ」
「何」
「そういう系、あるある」
「そういう系、って」
「あんたのとはちょっと違うんだけど、別の意味で『入ってくる』話」
ええちょっとやめてよぉ……と顔を顰める麻由奈をスルーして、夏美は語り始めたのだった。




