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『剣聖・塚原卜伝 ――鹿島立ちの剣、戦国を渡る』  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


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第四十三話 門前、通してはならぬ荷

 夜に入る前の町には、独特のたわみがある。


 昼の動きがまだ完全には止みきらず、かといって夜の顔へもまだなりきっていない。人の足も、荷の流れも、言葉の調子も、少しだけ浮いている。その“少し”のたわみが、見える者には継ぎ目になる。


 卜伝は、御用商人の倉から新興武家の屋敷へ続く道を見ながら、その継ぎ目を考えていた。


 屋敷の正門は、もう祝いの顔をしている。門前には灯が入り始め、下働きの者たちが客を迎えるための最後の支度に追われていた。酒樽が運ばれ、魚を盛る膳が出入りし、招かれた商人の使いらしき者が何度か顔を見せる。あれは表だ。人に見せるための道だ。


 だが本当に見るべきは、そこではない。


 屋敷の南に回り込む細い道。

 石垣と板塀のあいだを抜け、脇門へ繋がる、あまり人目につかぬ道。

 さらにその奥、内蔵口へ通じる小さな土間。


 今夜、“由緒ある品”を名乗る長箱が通るのは、そこだ。


 宿へ戻る前に、道賢が見てきた道筋は簡潔だった。


 正門からは入らぬ。

 脇門から入る。

 だが脇門の前で留まるわけでもない。いったん塀際の物置小屋の陰へ入れ、そこで中の者と受け手が変わる。

 つまり、門そのものではなく、その直前と直後のあいだに、最後の継ぎ目がある。


「正門で騒げば」

 小夜が言った。

「向こうは“祝いの席を乱す賊”としてこっちを扱える」

「そうだな」

 卜伝は頷いた。

「じゃあ脇門の前か」

 新九郎が問う。

「半分はそう」

 小夜は答える。

「半分は?」

「門の外で荷を止めても、“急に運び手が変わった”とか“具合が悪くなった”とか、まだ言い逃れの形が残るの」

「……」

「逆に門の中へ入れれば、屋敷の理になる」

「だったら」

 卜伝が言った。

「止めるべきは、“門の内でも外でもない瞬間”か」

 小夜はそこで、少しだけ目を細めた。


「そういうこと」

「つまり」

 新九郎が腕を組む。

「脇門のすぐ手前、もしくは入ってすぐの受け渡しのところ」

「ええ」

 小夜が頷く。

「そこで荷の顔が変わる。商人の荷から、この家の“由緒ある品”へ」

「その瞬間を潰す」

 卜伝が言った。


 口にしてみると、それが今夜やるべきことなのだと、はっきり分かった。


 第三章までは、流れを断つことが主だった。

 札が変わる。舟印が変わる。蔵が変わる。

 継ぎ目を見つけ、そこへ刃を入れる。


 だが第四章では、それだけでは足りない。

 今夜止めるべきは、物が動くことだけではない。

 偽りの由緒が、この家の顔として座る、その手前だ。


 だから正門からの正面突破では駄目だ。


 正門は祝宴の顔。

 そこへ斬り込めば、こちらの理が消える。


「忍び込むか」

 新九郎がまた言った。


 小夜がすぐに睨む。


「だから駄目」

「でも脇門の内に入るなら、結局は同じだろ」

「違う」

 小夜はきっぱり言う。

「正面から屋敷に忍び込めば、最初から向こうの理よ。でも、荷の受け渡しの瞬間を押さえるなら話は別」

「どう別なんだ」

「“祝いの席を襲った”じゃなく、“怪しい荷が脇から運ばれていた”になる」

「……」

「つまり、こっちが賊になる前に、向こうの嘘を先に露わにする」

 新九郎は少し黙り、それから鼻を鳴らした。

「分かったような、分からねえような」

「分かりやすく言うと」

 小夜は言った。

「正面から入ったらこっちが悪者。脇で受け渡してるところを押さえれば、向こうの顔が崩れる」

「ああ」

 新九郎が頷いた。

「それなら分かる」

「最初からそう言ってるわよ」

「お前の言い方は理屈が丁寧すぎるんだ」

「あなたの頭が雑なんでしょう」

「ひでえな」


 道賢は、そのやり取りを聞きながらも、脇門の位置を指先で畳へ描いていた。


「ここだ」

 と、その指が止まる。

「門そのものではない。脇門へ向かう最後の曲がり角。荷はそこで一度、道幅の都合で縦に並ぶ」

「縦に」

 卜伝が問う。

「そうだ。二人担ぎの長箱なら、そこでは横へ広がれぬ」

「なら、一人ずつ止めやすい」

「ええ」

 小夜が頷いた。

「しかも、後ろに続く荷も詰まる」

「……」

「そこを正面から食えば?」

 新九郎が言う。

「半分は正しい」

 道賢が答える。

「また半分か」

「残り半分は、その先の受け手を押さえることだ」

「つまり?」

「門の内側にいる者が、“受け取っていない”顔をできぬようにする」

 道賢は言った。

「さもなくば、“外で勝手に騒ぎが起きた”と言い逃れされる」

「……」


 小夜がそこを引き取る。


「だから私は、門の内側の帳面持ちか女中筋を見る」

「危ない」

 卜伝が言う。

「分かってる」

 小夜は言った。

「でも、そこを押さえないと“荷は入ってません”って顔をされる」

「だったら俺は正面か」

 新九郎が言う。

「脇門の外だ」

 卜伝が答えた。

「お前が前を食う」

「食う」

「ただし、押し込みすぎるな」

「……」

「門の中へ深く入れば、それこそ賊になる」

「分かってるよ」

 新九郎は少しだけ不満そうだったが、すぐ頷いた。

「今日はそこで止まる」

「頼みます」

「おう」


 卜伝は、その二人のやり取りを聞きながら、自分の立つべき位置を考えていた。


 脇門の前で新九郎が食う。

 門の内側で小夜が帳面と受け手を押さえる。

 道賢は、逃げ道か、あるいは裏から別に流そうとする継ぎ目を見る。


 では自分はどこか。


 答えはすぐに出た。


 門そのものではなく、門へ至る直前の喉。


 長箱が本当に“由緒ある品”の顔を持つのは、脇門の外ではない。中でもない。その継ぎ目、受け手が変わり、荷の名が変わる、その一瞬だ。そこへ立つ者を止めるのが、自分の役目だ。


「私は」

 卜伝が言った。

「荷そのものの前に立つ」

「前に?」

 小夜が問う。


「はい」

 卜伝は頷く。

「担ぎ手でもなく、門番でもなく、その荷へ最後に手をかける者の前に」

「……」

「誰がそれを“この家の品”へ変えるのか、その手を押さえる」

「いい」

 小夜が静かに言った。

「それが一番いいかもしれない」

「そうか?」

 新九郎が聞く。

「ええ。卜伝が敵を斬りにいくんじゃなく、荷の“名前が変わる瞬間”を見る位置に立つってことでしょう」

「そのつもりです」

「それなら、今夜の意味に合ってる」

 小夜は言った。


 その言葉に、卜伝はわずかに息を吐いた。


 第四章に入ってから、自分の剣はまた少し変わり始めている。

 勝つ剣だけではない。

 守る剣だけでもない。

 流れの喉を断つ剣。

 そして今は、名が偽りの顔へ変わる瞬間を止める剣。


 そう考えると、剣は以前よりも重くなった気がした。

 だが、その重さは悪いものではなかった。


 夕方がさらに深まり、祝宴の灯が一つずつ入り始めた頃、一行は持ち場へ向かった。


 屋敷の正門側はすでに華やいでいる。小さな城下とはいえ、祝いの席となればそれなりに見栄は張る。門前の灯、客の草履、酒の匂い、膳を運ぶ音。笑い声ももう出始めていた。表から見れば、何の変哲もない“家のめでたい夜”だ。


 だが南の脇門へ回ると、空気は一変する。


 灯は少ない。

 声も低い。

 足音だけが妙に気にされている。


 卜伝は、塀の影に身を沈めながら、その暗い道の向こうを見た。


 今夜、ここを通してはならぬ荷が来る。

 そして、その荷はただの箱ではない。

 偽りの由緒そのものだ。


 その時、道のさらに奥で、誰かの気配が動いた。


 人影ははっきりとは見えぬ。だが、こちらを見ている。


 測るように。

 待つように。


 卜伝の目が細くなる。


「……いる」

 と、小さく言う。


 小夜が気配だけで問う。


「誰」

「たぶん」

 卜伝は答えた。

「桐生だ」


 やはり来たか、と思った。


 桐生は毎度、決戦の前に現れる。

 何のためにか。

 こちらがどこまで来るかを見るために。

 誰の顔を守ろうとしているのかを測るために。


 だが今はまだ、そちらへ引っ張られてはならない。

 まず止めるべきは、脇門へ来る長箱だ。


 卜伝は視線を外さず、ゆっくりと刀の柄へ手を置いた。

 今夜、通してはならぬものは、もうはっきりしている。

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