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『剣聖・塚原卜伝 ――鹿島立ちの剣、戦国を渡る』  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


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第三十八話 小城下、笑わぬ門番

 海沿いの道を半日ほど下っただけなのに、町というものはこうも顔つきを変えるのかと、卜伝は関所の手前で思った。


 前に見えているのは、城下と呼ぶには小ぶりで、宿場と呼ぶには骨のある土地だった。


 海に沿って伸びる街道を受け止めるように、まず木戸と柵がある。大きくはない。だが雑な造りでもない。門柱は海風で白く乾いているのに、縄も板もよく締められていた。そこに立つ門番は二人。槍を持ち、町へ入る者の荷と顔を、順に、そして思った以上に丁寧に見ている。


 笑わぬ。


 それが、この土地の第一印象だった。


 門番というのは、よそ者へ愛想よくする者もいれば、むやみに威張る者もいる。だがここの二人はどちらでもない。愛想もなく、高圧でもない。ただ、余計な感情を表へ出さず、入ってくる者の値打ちだけを見ているような顔だった。


「嫌なところだな」

 新九郎が小さく言う。

「まだ入ってもいないのに?」

 小夜が横から聞く。

「だからだよ」

「どういう理屈」

「入る前から“中を見せる気がない”顔してる」

「……」

「分かるだろ?」

「ええ」

 小夜は短く答えた。

「分かるわ」


 関所の向こうには、町が見える。


 海沿いの中継地らしく、宿屋や茶屋のほかに、塩や干魚を扱う店が並んでいる。だが港町ほど雑多ではない。道は比較的まっすぐで、商いの家も、どこか“好きに騒ぐな”と言われて育ったような整い方をしていた。さらに奥へ目をやれば、小高い場所に小さな城か館のようなものがあり、その裾に武家屋敷らしき白壁と黒塀が並んでいる。


 町全体が、その高みを向いている。


 誰がこの土地の顔か、最初から決まっている町だった。


「城下というより、城の息が先に届いてる町ね」

 小夜が言った。

「ええ」

 卜伝も頷く。

「港町とは違う」

「前の町は、商いが大きくて、その奥に城下が張りついてた」

 小夜は続ける。

「でもここは逆。まず“お上”がいて、その下に宿場や商いが置かれてる感じ」

「だから門番もああなのか」

 新九郎が言う。

「愛想より先に、“お前は何者だ”って顔してる」

「その通りでしょうね」


 道賢は、そのやり取りのあいだも門番を見ていたが、やがてぼそりと言った。


「この町は、金より顔を見て動く」

「顔?」

 卜伝が問う。

「身なり、荷、連れ、歩き方、口の利き方」

 道賢は答えた。

「何を持っているかより、何者に見えるかを先に量る町だ」

「気に食わねえな」

 新九郎が言う。

「お前さんは、そういう町で最初に嫌われる顔をしておる」

「何だと」

「否定できないわね」

 小夜が即座に続けた。

「おい」

「だって本当でしょう」

「どこがだ」

「全部」

「ひでえな」


 そうしているうちに、前の旅人の検めが終わった。次は卜伝たちだ。


 門番の一人が、声を張るでもなく言う。


「どこから来る」


 道賢が一歩前に出る。その胡散臭い坊主が出ると、たいてい話がややこしくなる気もしたが、この手の場では妙な落ち着きが役に立つのも事実だった。


「海沿いの町からだ」

「どこへ行く」

「先の宿を取り、商い筋を見、必要なら内陸へ折れる」

「商いか」

「見て歩くのが癖でな」

「坊主がか」

「坊主だからだ」


 門番は少しも笑わなかった。だが、道賢の返しに腹を立てた様子もない。むしろ“こういう類もいる”という顔で流している。もう一人の門番はそのあいだ、卜伝たちの荷と顔を順に見ていた。


 卜伝は、見られていると感じた。


 荷の重さ。刀の差し方。小夜の着物の質。新九郎の肩の厚さ。誰が主で、誰が従か。そういうものを、短い時間で測っている目だった。


「長居はするな」

 門番が最後に言う。

「騒ぎも起こすな」

「心得ておる」

 道賢が答える。

「心得ていない者ほどそう言う」

「その通りだ」

 道賢は平然としていた。


 それでも通された。


 町の中へ足を入れた瞬間、卜伝はまた別の硬さを感じた。


 前の港町にも沈黙はあった。だがあそこは、商いの顔の奥に沈黙があった。ここは違う。最初から、沈黙も秩序のうちに組み込まれているようだった。


 通りを歩く町人たちは、忙しくはあるが慌ててはいない。声を張る者も少ない。魚を売る女も、塩を運ぶ男も、余計なことを言うより前にまず周りの目を見ている。宿の主も、旅人だからといって過度には愛想を見せない。必要な分だけ笑い、それ以上は出さぬ。


 値踏みする町だ、と卜伝は思った。


 人も、荷も、言葉も、すべて一度は量られてから中へ入る。


「港町より喋りにくそう」

 小夜が小声で言う。

「ええ」

 卜伝が答える。

「表からもうそう見える」

「見える、じゃなくて、たぶんその通り」

「同感だ」

 新九郎が言った。

「こういうところは、ちょっとでも妙な顔したらすぐ目立つ」

「あなたは普通にしてても目立つのよ」

「どういう意味だ」

「分かるでしょ」

「最近お嬢さん厳しくないか」

「前からよ」

「ひでえ」


 宿は、関所から少し入ったところに取った。港に近すぎず、城下にも近すぎぬ、いわば中程の場所だ。こういう土地では、それが一番いい。奥に寄りすぎればすぐ目をつけられるし、表に寄りすぎれば流れの深いところが見えにくい。


 荷を置いたあと、一行はいつものように自然に役割を分けた。


 小夜は宿の女中や茶屋筋から空気を探る。

 新九郎は荷役や魚場の男たちの輪に混じる。

 道賢は表の通りと奥の道、その両方を見る。

 卜伝は人と荷の流れを、言葉ではなく目で追う。


 それぞれが町へ散ったあと、卜伝はまず宿の前の通りをゆっくり歩いた。


 小城下というのは、規模が小さいだけに顔がよく出る。大きな城下なら、道も人も多く、多少の異物は紛れる。だがここでは、誰がどこへ向かい、何を持ち、どの顔で歩いているかが見えやすい。よそ者の自分にそれが見えるということは、向こうにもこちらが見えているということだ。


 だから無理に追うのではなく、流れの筋を頭へ入れる。


 塩問屋から港への道。

 宿場側から城下への道。

 城下から関所を抜けて内陸へ折れる道。

 そのどれとも少し違う、目立たぬ荷の通る道。


 しばらくして、町の奥――城下へ向かうほうから、ふたつの小荷駄が出てきた。


 荷は大きくない。


 木箱が一つ、長い包みが一つ。担いでいるのは小者風の男と、下働きらしき者。付き添いは二人。ひとりは町人のような格好だが、もうひとりは明らかに武家の小者だった。大げさな護衛ではない。だが、その組み合わせ自体が妙だ。


 城下から出る荷なら、普通はもっと露骨に武家の手が出るか、逆に御用商人へ引き渡してから町人の顔をする。だが今の荷駄は、そのあいだを曖昧にしている。城下のものとも商いのものとも、どちらとも言える顔だった。


「……」


 卜伝は、通りの脇に積まれた塩俵の影からそれを見た。


 何が引っかかるのか、最初は分からなかった。だが、数歩歩いてから、ようやく気づく。


 荷そのものの大きさに比べて、手の掛け方が丁寧すぎる。


 重いから慎重なのではない。

 壊れ物だからでもない。

 人目にさらしたくないから、雑に扱わぬのだ。


 そう気づいた時、木箱の側面が一度だけ陽を拾った。


 卜伝の目が止まる。


 小さな印。


 浅く、控えめに、しかしたしかに打たれている。


 河口で見たあの印と同じ系統だ。真壁そのものの印か、それともその流れの内側でだけ通じる印か。そこまではまだ分からぬ。だが、少なくとも“普通の荷ではない”と告げるには十分だった。


 卜伝は、荷駄が角を曲がるまで目で追った。


 城下の中へ入るのではない。

 むしろ城下から出て、関所の外側へ近い方角へ向かっている。

 つまりこの町は、ただ受け取るだけではない。

 何かを抱え込み、何かをさらに別の流れへ渡しているのかもしれぬ。


 その時、後ろから小夜の声がした。


「見つけたの?」

「ええ」

 卜伝は振り返らず答える。

「何を」

「印です」

「どこ」

「今通った小荷駄」

 小夜がすぐ隣へ来る。

「……あれ?」

「見えましたか」

「最後だけ少し」

「同じです」

「河口の?」

「はい」

 小夜は少し黙り、それから言った。

「やっぱりこの町、ただ締まりがきついだけじゃない。流れの途中でもある」

「そう見ます」

「ええ」


 小夜は荷駄が消えた先を見たまま、低く付け加えた。


「城下と宿場と関所。その三つが重なってる町って、たいてい誰かが“通す荷”を選んでるのよ」

「通す荷」

「入れる荷、出す荷、見なかったことにする荷」

「……」

「つまり、ここはそういう選別の場所かもしれない」


 卜伝はその言葉を胸へ留めた。


 関所。

 城下。

 宿場。

 海沿いの流れ。


 この小さな土地に、それら全部が寄り集まっている。ならば、ここで名を買う者の顔がさらに濃く出てもおかしくない。


 卜伝はもう一度、荷駄の消えた道を見た。


 小城下は笑わぬ。

 だが笑わぬからこそ、何を通し、何を止め、何を隠すかがはっきりしている。

 そして今、その中に真壁の流れの印がたしかにあった。


 物語は、またひとつ奥へ入ったのだと感じた。

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