竜撃ちの誤算
竜は単純に発破や爆破音に誘われただけではなかった。
不自然な――おそらくは昨日の戦闘で聞いた砲撃に近い――炸裂音を不審がって、その理由を、敵を求めて、崖上へとやって来ていたのだ。
ギブスは思い知る。
発破の原理を知らずとも痕跡を辿り、あっさり火元は見定められた。発破を仕掛けたステファンが潜む擬装陣所を目掛けて、竜が咆える。
やや距離があっても、ギブスの身体はビリビリと響き、耳の痛みを覚えるほどの狂った大音量。威嚇でありながら、直に魂を殴りつけられる感覚を覚える攻撃にも等しい衝撃だった。
間近で咆哮を浴びる形となったステファンはひとたまりもなかった。
言葉にならない叫びをあげ、弾き飛ばされたような勢いで陣所から飛び出す。足元はおぼつかず、すぐに転び、それでも必死に這いずり逃げ、叫び、背後を顧みて、絶叫した。
咆哮を収めた竜は首を伸ばし、倒れ込んだステファンを見下ろす。
ステファンは狂乱の体で地面を掻きむしって、蹴って、身を起こさんと藻掻くも、乾いた土埃が虚しく舞い上げるだけ。
「た、たた隊長、助助助、助けて、助け、たすけ」
悲鳴に混じり、助けを求める声が漏れた。
離れた暗がりで息を潜めていたギブスは、目が合った恐怖の表情にぞっとする。
眼球が飛び出さん勢いで目は見開かれたていた。吹き出した汗でびっしょり濡れた蒼白の顔面に乱れた髪が貼り付いている。極限まで叫び、開かれた口は顔と不釣り合いに大きい。
一目で取り返しのつかない錯乱だと知る。
「ああッ、あッ、あああああああああッ、ああああああぁ!」
壊れかけの魂が発した軋みとも言える悲鳴に重なり、竜がゆっくりと身を乗り出す。
無造作に出した脚先が、腹這いで足掻き逃げていた身体に覆い被さる。鋭い爪を持つ長い指の間から、憐れな頭と肩口が垣間見える格好になった。悲鳴に絶望と苦痛が混じった「ぎゅぐっ」という声ならぬ音と血の塊を口から吐き出し、ステファンは呆気なく事切れた。
竜は脚下で広がっていく地面の赤黒い染み、原形を留めた頭を興味深そうに見下ろし、喉をごくりごくりと鳴らしていた。
ギブスには、その様子は竜が嗤っているように見えた。
「ぅぅぅぁぁぅむぐぅぐぅぅあっぁぁっ」
背後から聞こえた苦し気な唸り声が、ギブスを傍観者から当事者に引き戻す。共に潜んでいた砲手の一人にも咆哮の影響が及んでいたからだ。
副長は叫び暴れる砲手に覆い被さって、手ぬぐいを口に丸めた捻じ込んでいる。
ギブスも砲手の両足を抑える手助けをしながら、低く押し殺した声で副長に命じる。
「絶対に声を出さすな。今、奴に見つかったら俺らもステファンの二の舞だ」
「はっ、はっ然る、然るるるべくッ」
副長らしからぬ、珍妙な返答にギブスはぎょっとする。
止める間もなく、副長は腰の銃を抜き放ち、砲手の顔に向けて全弾を発射した。陣所のなかで派手に響く銃声、漂う硝煙と血の臭い。薄暗がりのなか。永久に声を出させなくされた砲手の身体だけがぴくぴくと動いていた。
「馬鹿……お前ッ!」
「あなたた隊長が、の、やっていいって、ご指示ィ通りですよぉ! わたっぼく僕は悪くない! あなあなたが言ったんだからぁ! 僕は! 僕は!」
自らの正当性を喚き散らす副長の目玉が左右に小刻みに揺れていた。興奮に震えた唇の端から涎が一筋垂れた。
「副長、お前……」
副長も、ステファンらと同じく竜の咆哮に正気を奪われていた。
突如、陣所を激しい衝撃が襲った。
身体にぶつかり、当たって、降りかかる何やら、舞った土埃にむせる。陽の光をギブスは感じる。擬装の覆いが……と思い至った時には遅かった。
ギブスは頭上からの視線を感じた。
目の前にあるのは深緑の色をした鱗の壁。
鱗を辿り、見上げて、行き着いた先には大きく裂けた口。見下ろす金色の瞳。
爛々とした金色を見つめたまま、ギブスは掠れ声で「冗談だろ」と絶望を呟いた。
*
目的地の崩落と竜の飛来がきっかけで引き起こされた住民達のパニックは、それを上回る恐怖によって、強制的に鎮静化していた。
広々とした荒野のあちこちに居る人々は立ち竦み、へたり込み、這い蹲り、それぞれの絶望を露呈させる。崖上の竜を一様に見据えて。
ユーリィは崖上の竜を、次いで、まだ土煙が漂わせる大岩と土砂の山を見遣った。
「派手な発破で竜を呼び寄せ、砲撃のような爆発音で攻撃性を煽る。露骨ですが効果は抜群。しかも、岩が崩れ落ちた下には目指す洞窟があって、というところでしょうか」
「そう、です。あの辺りに、確か洞窟が」
コディは焦燥と怖気で荒くなった息で、ようやく答える。
「でもっ、こ、ここまでしますか? まさか、あの人、僕らを本気で殺そうとッ!?」
「さあ、私には。ですが、この荒野から誰一人として逃がさぬ意志を持って仕掛けを張られたことは明白です。……そして、実際にそう成り得るでしょうね」