第43話:日常への調合、そして続く旅路
世界の果てでの決戦から、一ヶ月が過ぎた。
あの日、大陸全土に降り注いだ黄金の光は、人々の記憶に「言葉にできない温かな奇跡」として深く刻まれていた。
荒れ果てた土地には新たな芽吹きが訪れ、人々の心からは根深い澱みが消え、世界は緩やかに、だが確実に再生へと向かい始めていた。
聖シュトラーウス公国の王都では、アルスを「救世主」として称える大規模な式典の準備が進められていた。
国王はアルスに最高位の爵位と、国庫の半分を投げ打ってでも建設するという「国立聖調合研究所」の所長ポストを用意していたという。
だが、その主役であるアルスの姿は、どこにもなかった。
***
「……ふぅ。やっぱり、ここの空気が一番落ち着くなぁ」
柔らかな陽光が差し込む、リーフ村の小さな工房。
アルスは、旅の汚れを落とし、いつもの使い古したエプロンを締め直すと、大釜の火を調整していた。
「アルス! また勝手に出かけて! 村のみんなが、あんたが帰ってくるのを首を長くして待ってたんだよ!」
工房の扉を勢いよく開けたのは、村のまとめ役の老婆だった。その手には、お礼だと言わんばかりの新鮮な野菜が抱えられている。
「あはは、すみません。ちょっと遠くまで薬草を採りに行っていただけですよ」
世界を救ったという事実を微塵も感じさせない、いつも通りの穏やかな笑顔。アルスにとっては、神になろうとした始祖との決戦も、村の牛の風邪を治すことも、等しく大切な「調合」の一部に過ぎなかった。
「……全く。世界中からお前の行方を探す使いが来ているというのに、当の本人はこれか」
縁側の特等席で、リリスが呆れたように鼻を鳴らした。彼女は公国からの誘いをすべて断り、当然のようにアルスの家に居座っている。
「リリスこそ。魔王軍に戻らなくてよかったの? 魔王ゼノスさんも寂しがってたよ」
「フン、あの男にはガウルがついている。それに、私はお前の『監視役』だからな。お前のようなお人好しは、放っておくとまたどこかの馬鹿に利用される」
リリスはそう言いながら、アルスが淹れたハーブティーを嬉しそうに啜った。その背中には、もう禍々しい魔力の揺らめきはなく、ただ穏やかな時間が流れている。
「師匠! お掃除が終わりましたわ!」
そこへ、活動着に身を包んだセレナが、バケツを持って現れた。公国の第一皇女という肩書きを一時休止し、彼女は「修行」という名目で、このリーフ村に滞在することを決めたのだ。
「セレナ様も、本当によかったんですか? お父様、泣いていらしたでしょう」
「『世界を救った技術を継承するのも公務のうち』と、理論武装して説得してきましたわ! それに、師匠の傍にいれば、毎日が驚きの連続ですもの。退屈な王宮暮らしには、もう戻れませんわ」
最強の魔族と、最高峰の皇女。
そんな二人を従えながら、アルスは今日届いたばかりの依頼書に目を通す。
「ええと……『隣町の子供が夜泣きをして困っています』……。よし、それじゃあ今日は、優しい香りの安眠ポーションを作ろうか。リリス、すり鉢をお願い。セレナ様は、このハーブの成分を記録しておいて」
「承知いたしましたわ、師匠!」
「はいはい、わかったよ」
大釜からは、心地よいコトコトという音が響き始める。
かつて無能と蔑まれ、国を追放された調合師。
彼は今、伝説の英雄としてではなく、ただの「村の薬師」として、目の前の一人を救うための薬を作っている。
彼が釜をかき混ぜるたびに、小さな幸せが、黄金の粒子となって窓から風に乗って流れていく。
その光が、かつて自分を見捨てた王都の廃墟を癒やし、立ち直ろうとする人々を支え、世界という巨大な生命を、静かに、健やかに整えていく。
「……アルス。次は、どんな薬を作るんだ?」
リリスの問いに、アルスは窓の外、どこまでも続く青い空を見上げて答えた。
「そうだね。……次は、世界中の人が、一口飲んだだけで『ああ、今日はいい日だな』って思えるような……。そんな、ありふれた、でも最高のポーションを作りたいな」
アルスの【真・調合】が、今日も温かな光を放つ。
救済の聖者の物語は、ここで一旦の幕を閉じる。
けれど、彼の優しいポーションが作り出す未来は、これからもずっと、この世界を癒やし続けていくことだろう。
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