遊、屋上にて 其の4
そして、遊はもう一つのことに、思い当たるのでした。
「そうだ、柄見先生、英ちゃんへの態度もどうかとは思いますが、和枝さんへの言い方もたいがいですよ。何ですか、あれ。和枝さんに、英ちゃんの悪口言わせるように仕向けちゃって」
「おや、今度はそう来たかい、遊君」
「そう来ますよ、柄見先生。自分で、英ちゃんを悪く言うならともかく、和枝さんに、そうさせちゃうなんて、『聞く人間が”権助提灯”の内容を知らなかったらどうなると思う』、なんて、ひどい誘導尋問もいいところです」
「ああ、それは、和枝君にも、少し言うべきところがあると、先生は思っていたからね」
「それで、柄見先生。昨日、高子さんも部室を出て行って、和枝さんと、先生の二人っきりになったからには、その、”言うべきところ”を和枝さんに言ったんでしょうねえ」
「ほう、そう思うかい、遊君」
「当たり前です。今日、四時間目が終わるとすぐに、あたしは高子さんに連れ去られましたけど、英ちゃんも、和枝さんに連れ去られていきましたよ。すごい勢いで。あの和枝さんの様子、柄見先生が何か吹き込んだに違いありません」
「吹き込んだなんて、人聞きの悪いことを言いうなあ、遊君。ま、実際その通りなんだけどね」
「やっぱりそうだったんですか。それで、柄見先生が、和枝さんに吹き込んだ内容を、教えてもらわないわけにはいかないんですが」
「おお、怖い怖い。遊君、そんなふうな目で、先生を睨まないでおくれよ。教える、教えるから」
「はい、柄見先生。聞こうじゃあありませんか」
「それでだね、遊君。先生は和枝君に、『聞く人間が”権助提灯”の内容を知らなかったらどうなると思う』と尋ねて、それに対して、和枝君は『英子君の落語が滑らかすぎて、逆に、頭に残らない』といったことを答えたわけだけど、はたして、和枝君に悪意はあったと思うかい」
「そりゃあ、あたしの見た感じでは、和枝さんに、英ちゃんを傷つけるつもりはなかったと思います。でも、言った本人にその気がなくたって、そんなの、受け取り方次第じゃあないですか、柄見先生」
「それだよ、遊君。じゃあね、あの時の、和枝君の言い方とか、当人の気持ちはとりあえず抜きにしてね、言った言葉の字面だけで考えてくれ。まず、『落語が滑らかすぎる』というのはどうかな」
「そうですね、落語が滑らかとか、流暢、達者だとかというのは、基本的に誉め言葉だと思います。でも、それに”すぎる”がつくと、やりすぎといった印象がします。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』とも言いますし、単純な誉め言葉ではないような気がします。『落語がうますぎる女子高校生』だと、どこかのアイドルを売り出すときのキャッチコピーみたいですけどね」
「『落語がうますぎる女子高校生』かあ、なかなかうまいことを言うねえ、遊さん。だったら、『頭に残らない』はいかがかな」
「それは、はっきり悪口なんじゃあないですか。いくらやる人の落語が上手だって、お客さんが聞いたそばから、頭から落語の話が抜けて行ってしまうようでは、落語を聞かせているとは言えても、落語を楽しませているとは、とても言えないんじゃあないですか、柄見先生」
「なるほど、落語の場合だったらそうなるかもね。じゃあね、遊さん。例えば、映画だったらどうかな。映画にもピンからキリまであるけどね。映画館から出てきたお客さんがね、『凄かったよね、アクションシーンがびゅうーんで、爆発シーンがどっかーんだもんね。あっという間の二時間だったよ。え、内容? 正義の味方が悪人をやっつけるんじゃあなかったっけ?』なんて言ったら、そのお客さんは、映画を楽しんでいないと思うかい」
「そ、それは、その映画を非常に楽しんだと言えるでしょうけど。何にも考えなくても楽しめるような、エンターテインメントに舵を振り切った、ただ映画館での二時間を、わくわくどきどき過ごしてもらえればいいという映画だって、それはそれでいいと思いいます。そういう娯楽を求めているお客さんがいて、それを提供して映画代を払ってもらうことには、何の問題もありはしないと言いますか……」
「じゃあね、こういうのはどうだい、遊さん。二時間くらい休憩したい人間がいる。場所は、ちょっとした駅の近くだ。人通りがそれなりにある。夏のまっさかりで、とてもじゃあないが、屋外になんていられない。そういう時には、映画館なんて最適なんだなあ。冷房が効いていて、座っていられる。そのうえ、程よく薄暗いから、ひと眠りするくらいにはちょうど良くて、二時間くらいしたら客が入れ替わるから、目覚ましにもなる。立ち見までいるような、繁盛している映画館なら別だけど、まあまあすいているところなら最高だね」
「一休みのために映画館ですが、柄見先生」
「そうだよ。実際、そういうふうに、ご休憩所を兼ねた映画館が、商売として成り立たないわけじゃあないんだ。話題の長蛇の列ができるような新作を公開したりはしなくてね、往年の名画なんか流したりしてる。観客席も小ぢんまりとしちゃって、もちろん、その映画を見に来る人もいるけどね、寝ることを目的としていたって、お客さんはお客さんだよ。当然、効果音がばんばんやかましい映画なんてやりはしない。いかにもうたたねを誘いそうな、物静かな映画を流しているんだ。洋画の字幕版なんていいねえ。何を言っているかわからない外国語なんて、睡眠導入にはうってつけだからね」




