歓迎会 其の3
「もう、夜が明けた」
和枝の『権助提灯』が終わりました。遊も英子も高子も、素直に拍手を和枝に贈ります。確かに、技術的に言えば、つたないところがあるかもしれはしませんが、昨日の『群・環・体』を思えば、自分達にも理解できる落語を、和枝がしてくれたというだけで、喜ばしいものなのでした。
「やっぱり、一時間かそこらの稽古じゃあ、とても、英子君のようにはいかないな。僕の『権助提灯』は途切れ途切れの、舌ったらずもいいところだ」
それを聞いて、怜先生が意味ありげな顔をして、和枝に尋ねるのです。
「ほう、和枝君。そんなに、英子君の落語は和枝君のそれより、出来がいいかい」
「ああ、立て板に水とは、まさにあの事だな」
それを聞くと、英子は実に、満足げな顔をするのです。ですが、怜先生は、なおも、なにか含みを持たせた言い方をするのです。
「そんなに、とめどめもなく、落語をやられては、話の内容が掴みにくいのではないかな」
「それなら問題ないよ。僕は、昨夜、『権助提灯』を何度も稽古したからね、あらかじめ、内容を知っている話なら、少しくらい駆け足で話されても、特にどうということはないさ」
「じゃあ、もし仮に、『権助提灯』の話の流れを知らなかったら、どうなっていたと思う、和枝君」
「ああ、そうだったら、話の内容は、さっぱり頭に入ってきやしなかっただろうね」
和枝の、突然の告白は、英子のとって、思いもよらない内容でした。
「何ですって、和枝、どういうことなの」
「どういうことって、言葉通りだよ。英子君は、実に達者に落語をやるなあと思って。あまりに、流暢過ぎて、落語が、左の耳からそのまま、右の耳に通り過ぎていくというか、そうだな、頭に入らないということじゃあないな。頭に残らない、と言った方が適切だな。よくもまあ、ああも口が回るものだよ。素直に感心してしまう」
「お、お褒めにいただき、恐悦至極に存じます、和枝さん」
「どういたしまして、英子君」
和枝は、英子の口の滑らかさを素直に褒めているつもりなのですが、怜先生の誘導尋問に乗ってしまった結果、英子には、悪口にしか聞こえなくなってしまったのです。結果、英子は、ものすごく悔しそうな顔をしながら、言葉だけは、過剰すぎるほどのお礼を和枝に言うのでした。そして、和枝はそれを、額面通りにしか受け取らないのでした。さらに、怜先生は、高子に水を向けます。
「まあ、高子君は、憎たらしい英子君の至らない部分を、何とかして暴いてやろうと、全精力を注ぎ込んで聞いていたみたいだからね。多少テンポが早すぎたところで、問題なく、内容を把握できただろうさ。それにしても、なんとなしに聞いている人間には、ろくに伝わらずに、悪意を持って聞いている人間には、しっかり、技術の高度さも、その内容も伝わっちゃうなんて、これは皮肉な話だねえ」
怜先生の言葉は、ただけなしているだけではなく、よく聞くと、褒め言葉であるようにも解釈できるのですが、英子にはそんなことわかりやしません。ただ、自分の落語が酷評されているとしか、英子には思えないのです。その上に、怜先生は、遊にまで、話を振ってしまうのです。
「それでは、遊君、仮定の話だが、この海応学園の文化祭は、一般公開されているが、そこで、この教室で、寄席をやったとしよう、一般客を呼びこんで、そうだな、三十人から、四十人と言ったところかな。そこで、今、英子君に高子君、そして和枝君がやった落語と同じことをしたとしよう。どんな結果になるかな。ううん、そうだなあ。文化祭という、浮かれ騒ぎの中だったら、高子君の落語が、一番お客さんにうけるんじゃあないかなあ。なんと言っても、高子君はこの海応学園のスターなんだからね。じゃあ、最下位は誰になっちゃううんだろうねえ」
怜先生は、非常に残酷な質問を遊にするのでした。遊は、そんな質問にとても答えることはできません。しかし、その表情を見れば、遊が考えていることは、一目瞭然なのです。そして、英子は、そんな遊の顔を見て、全てを察してしまったのです。英子は、そのまま、落語研究会の部室を、飛び出して行ってしまいました。それを見た、遊は、怜先生に猛然と食ってかかるのでした。
「柄見先生、酷すぎます。なにも、あんな言い方しなくたっていいじゃあないですか。あれじゃあ、英ちゃんの落語が、まるでだめってことになっちゃうじゃないですか」
「ほほう、その言い方だと、遊君は、英子君の落語にも、評価すべきところがあると思っているみたいだね」
「そんなの当たり前です。そもそも、これは落語研究会の歓迎会です。そこで、落語が好きな人をターゲットとした話をして、なにが悪いって言うんですか」
「となると、英子君の落語は、ある程度落語をわかっている客になら、非常に好評になる、と言うことなのかな」
「柄見先生だって、そんなことわかっているんでしょう。だからこそ、『権助提灯』の内容を知らなかったらどうか、とか、文化祭で、通りすがりの、落語を聞きにきたわけではない客相手だったらどうか、とか言ったんじゃあないですか」
「だけどね、遊君。遊君だって、英子君の『権助提灯』を聞き終わった時に、不安そうな表情をしていただろう。遊君は、英子君の古典落語を聞くのは、これが初めてだろう。それで、これは万人向けじゃあない、と思いはしなかったかい」
「それはそうですけど、落語研究会の仲間内で、万人向けじゃない落語をして、何が悪いって言うんですか」
「いいや、ちっとも悪くなんかない。申し分ないよ。先生も、英子君の落語は非常に高く評価している。それなりに落語の素養がある客が相手だったら、あれ以上の古典ができる人間は、そうはいないとね」
「だったら、柄見先生、どうしてあんな、意地悪な言い方を……」
「じゃあ、遊君。今、先生と話したようなことを、英子君と話してきてくれるかな。英子君が、落ち込んだ時に行く場所は、決まっているんだ。ほら、入学式の前日の、例の場所だよ」
「そ、それって、どういうことですか、柄見先生」
「ぐずぐずしない。さあ、行った行った。ああそうだ、先生個人の見解として、英子君は、古典も上手だが、自分の作った創作を、自分で演じることにも長けている、と伝えておいてくれ。むしろ後者の方が先生は好きだとね。遊君が、英子君の、古典と創作をどう思っているかは知らないがね」
怜先生は、事の成り行きが楽しみで仕方がないようですが、この先どうなるかも、大方の見当がついているようです。そんな怜先生に、遊は一言言わずにはいられないのでした。
「柄見先生、あたし、まだまだ、先生には言い足りません」
「へえ、そうかい。じゃあ、後でたっぷり聞いてあげるから、とりあえず、英子君のところに急いでくれないかなあ」
怜先生が、言い終わるのを待たずに、遊は、英子の後を追っていくのです。部室には、怜先生と高子、そして和枝が残されました。そして、怜先生が苦笑するのです。
「やれやれ、こっちはこっちで大変だなあ。先生、ただ今、絶賛憎まれ役だからなあ」




