世界と断片:魔鍵と日常Ⅵ
ファウストは意識を失う前に考えていた。
何故、谷底へと落ちるバッドエンドの元に自らも飛び込んでしまったのかを。
飛び込む瞬間、何ら躊躇する事なく身体が勝手に動いていた。
自らの命を危険に晒してまで誰かを救う、それはファウストらしくない行動だった。
だが、バッドエンドと出会ってからの僅かな日々の中でファウストは無意識の内に何かが変わりつつあったのだ。
過去の自分と重なるバッドエンド、最初はそこから抱く哀れという感情しか無かった。
しかし、今日というたった一日だけでそれも変わりつつあった。
世界から忌み嫌われ続けた魔眼を持つ自分に対して、バッドエンドは普通に、それ以上の態度で接してくる。
思わずこちらの方が恥ずかしくなってしまう程に好意を寄せてくる。
とても甘ったるく、ファウストの穢れた心を溶かしてくる。
今日だってそうだ。
自分が買ってやった服を、本当に嬉しそうに着て感謝するバッドエンドの姿。
そんなバッドエンドの悲しむ顔を見たくない、そう思った。
「……」
気がつけば支配眼を発動させ、バッドエンドをしっかりと抱きしめていた理由がようやくわかった。
あれだけ喜んでいた服が傷つけば、バッドエンドが悲しむと思ったから。
本当はそれだけではないが、ファウストは気づいていない。
バッドエンドの存在がファウストにとって大きな存在となっている事を。
「……ぅ、……っ、バッド、エンド……? ッ、痛ッ」
バッドエンドのおかげで遂に意識を取り戻すファウスト。
身体中が冷たい。
眼を開けてまず自分の身体を確認すると上半身が裸にされており、濡れた衣類でいくつも身体を巻かれて出血を抑えられていた。
骨が折れた箇所も布越しに錆びた金属の棒や板が布で巻かれ固定されている。
そして汗を大量に流すバッドエンドの必死な姿が飛び込んできた。
「ファウストッ!! ……良かっ、た、……よ、良か、っ、た」
ようやくファウストが意識を取り戻し、自然と何度目かわからない涙が再び溢れ出てくるバッドエンド。
自分の為に涙を流してくれる少女のそんな姿に、ファウストは切ない微笑みを浮かべる。
「……何、です、これは……?」
自分の身体に巻きつけられているこれらの物を一体どこから持ってきたのか気になるファウスト。
バッドエンドは涙を拭い、鼻水をすすりながらそれらを拾ってきた方角を指差す。
「すっ、すんっ、あそこにいっぱい落ちてたんだ……」
この谷底は不法投棄がよく行われており、登山家達も頭を悩ましていた。
しかし、そのおかげでバッドエンドはファウストの応急処置に必要な道具を揃える事ができた。
更には一部の岩壁から天然水が少し湧き出ていたので、そこで古びた衣類や金属を丁寧に洗ってからファウストに巻きつたのだ。
自分の悪運の凄まじさに思わず溜息交じりで笑ってしまうファウスト。
「そう、ですか……感謝、しますよ……」
何度か自分の身体を確認してみるがとても動けそうにない。
だが、こうして生きている。
それは全てバッドエンドのおかげ。
本来ならば誰からも涙を流してもらえず、誰からも命を狙われる立場である自分を救ってくれた。
嬉しかった。
しかし、バッドエンドの様子が少しおかしい。
「何で、お礼なんて言うのさ……ワタシは君をこんな危険な目に遭わせた、お礼なんて言わないで……」
恐らく重体であろう怪我を負っていたはずの自分を、ここまで何とか回復させてくれたバッドエンドに感謝の気持ちを伝えたが。
バッドエンドから返ってきた言葉の意味がよくわからないでいるファウスト。
だが、次のバッドエンドの言葉でファウストは全てを理解する。
「……ワタシとの、契約を……解除してくれないかな……」
まだ全身が痛む中、ファウストは眼をそっと閉じて溜息を吐く。
そして痛みを必死に堪えながら口を開く。
「はぁ、……一応、聞いておきましょうか。……何故です」
すると、ファウストが二度と見たくなかったあの表情を浮かべるバッドエンド。
ギルバルドの邸で見せたあの儚げな表情。
「ワタシが……魔鍵が何て言われてるか知ってる?」
勿論、知っていた。
何度か魔鍵に纏わる嘘か本当かわからない奇妙な噂はファウストの耳にも入っている。
「……魔鍵は不幸を運ぶとか……そんなんでしたっけ?」
「そうだよ……だから、契約を解除して欲しいんだ」
そう告げて、バッドエンドは右手を刃へと変える。
魔鍵との契約は契約者の刻印を消すか、その命を奪うしかない。
バッドエンドはこの場で刻印の刻まれたファウストの右手を斬り落とすつもりらしい。
今のファウストならそれも容易い、バッドエンドはそう思っていた。
「ンフ、ンフフフフ」
だが、そんなバッドエンドに対して不気味な笑い声をあげるファウスト。
「私もナメられたものですねぇ。この私が、はいそうですかと黙って右手を差し出すとでも思ってるんですか? ……ふざけんな」
思わず素の一部が出てくるファウスト。
それでも、バッドエンドは止まらない。
例えファウストに嫌われようが、自分のせいでファウストに不幸な結末は迎えて欲しくなかった。
固い決意を胸に秘め、もう覚悟している。
「……今までありがとう、……ごめん、ね」
「……」
感謝と謝罪の言葉。
まるで最期の言葉の様に感じる。
ファウストはバッドエンドの覚悟が本物である事を確信する。
それでも、そんな覚悟は認めない。
「やれやれ……あまり私を見くびらないでくださいよ……」
ファウストの支配眼が赤黒い火花のような光を発する。
まさか、その怪我でバッドエンドを力づくで抑えつけようというのか。
バッドエンドはファウストのそんな行動に、驚愕し、叫ぶ。
「む、無茶しないでッ!!! 安静にしててよッ!!!」
しかし、これから右手を斬り落とそうとしているバッドエンドの矛盾した叫びにファウストは、止まらない。
重体のファウストがその場から姿を消した。
バッドエンドは慌てて辺りを見渡す、何処からとも無く現れるであろうファウストに細心の注意を払う。
またこうしてファウストの身体に余計な負荷が加わってしまう。
「くッ、」
バッドエンドが涙を流すと、その身体が岩壁へと力強く叩きつけられてしまう。
だが、魔鍵であるバッドエンドは岩壁に触れる箇所を刃へと変えていたのでダメージは無い。
そして、すぐ目と鼻の先に激しく息を荒げるファウストの顔が現れた。
ファウストの吐く息がバッドエンドを不安にさせていく。
「ファウスト……」
バッドエンドの左肩を岩壁に強く押しつけ、今にも崩れ落ちそうなファウスト。
しかし、何故かバッドエンドの方が先に力が抜けていった。
「っ!?」
ファウストがバッドエンドの唇を奪った。
バッドエンドは身じろぐが、受け入れてしまう。
刃が右腕へと戻っていく。、
だがそれでも依然とファウストは一切の抵抗を奪うように、バッドエンドの唇を離さなかった。
そんなファウストの行動が、今のバッドエンドの決意を大きく鈍らせてしまう。
やはり、無理だった。
これ程、大好きなファウストの元から去る事はバッドエンドにできなかった。
だからこそ。
これ以上、ファウストを傷つけてしまう事に耐えられない。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
ようやくバッドエンドの唇を解放したファウスト。
息苦しそうに岩壁に抑えつけたバッドエンドの身体に抱きつくように倒れ込む。
当然だった、身体の至る箇所の骨が折れている。
その状態で支配眼を使用してしまえばこうなる事はわかっていた。
それでも、それでも今のバッドエンドには自分の圧倒的な力を誇示する必要があった。
その為ならば自分の身体などいくらでもくれてやる。
「無茶……しない、でよ……」
自分の身体でしっかりと衰弱したファウストを受け入れるバッドエンド。
その身体は汗まみれだった。
バッドエンドがそんなファウストを抱きしめて涙を流していると、ようやくファウストが何とか息を整えて大きく告げる。
「自分から逃げるな……私から逃げるな……ッ!! 私はあの高さから落ちて死んだかッ!? 私は弱いかッ!? 私は不幸かッ!? 私は……私は貴女と出会って幸せだッ!!!」
ファウストの全力の言葉。
魔鍵である自分と出会って幸せ。
その言葉にバッドエンドは改めてファウストを強く抱きしめ、涙を流したまま目を閉じ、ファウストの頭に顔を埋めて叫ぶ。
「ワタシ……、ファウストには救われてばっかり!! 今まで、道具としか見られなかったワタシに……ッ!! ファウストはッ!! ファウストは希望をくれたッ!! ファウストはこんなワタシを優しく側に置いてくれたッ!! ファウストの事、大好きでいさせてくれるッ!!! ……こんなに幸せな事、初めてなんだッ!!! だから……ありがとうッ!!! 幸せになってくれて、ありがとうッ!!! 本当に、ありがとうッ!!!!!」
ファウストは黙ってそんなバッドエンドの言葉を耳にしていた。
今まで何度も感謝するバッドエンドが気に食わなかったファウスト。
しかし、それはただ単に自由を与えた事に対するものだと思っていたから。
だが、こうしてようやくバッドエンドの本当の想いを知る事ができた。
この少女は今まで、どれ程の闇を抱えて生きてきたのだろうか。
ファウストは特別何かをしたつもりはなかった。
それでも、バッドエンドにとっては特別だった。
「……ンフフ。私は泥棒王ファウスト、何だろうが私の命は盗れない。……だから安心して側に居てください」
「はい……。我が主様の仰せのままに……」
魔眼と魔鍵という世界を揺るがす二人の絆はこうして深まった。
バッドエンドの日常。
それは全て、かけがえのない日常だった。




