世界と断片:裏方と日常
シアラ神国へアダムの血とイヴの壁画を盗む為、ファウストとバッドエンドが旅立つ前日の世界と断片の物語。
いつもの様に、シルビアは一人で酒場に居た。
しかし、今回のシルビアはいつもと少し様子が違う。
カウンターの奥に座り、縦に細長い四角形の眼鏡をかけて険しい表情を浮かべていた。
自慢の金髪の長髪を後ろで括り、先程から何度も溜息を吐いては頭を掻いている。
何枚もの散乱した紙。
シルビアはカウンターに置いていた新たな紙に、何かをペンで書いてはそれをぐちゃぐちゃにして適当に捨てている。
この様な行動が何度も繰り返されていた。
「くそ……明日にはあいつらがシアラに行ってしまう。……何とかせんと」
珍しく焦っていた。
ファウストとバッドエンドがシアラ神国に行く前に、闇の仲介屋であるシルビアはその準備をしておく必要がある。
しかし、一向にそれが進まない。
シルビアが途方に暮れていると、酒場の扉が元気な声と共に勢いよく開かれた。
「姉御~!! 頼まれてた物買ってきたッスよ~!! って、何スかこの荒れよう!? 勘弁してくださいよ……誰がこれ掃除すると思ってんスか……」
ぐちゃぐちゃに丸められた紙が散乱するこの光景に、シルビアから頼まれていた買い物を済ませ戻ってきたリアが溜息を吐く。
しかし、いつもならここで罵倒の一つや二つ吐くシルビアだが、今はその気力がなかった。
「……何だ、お前か……その辺に置いといてくれ」
「え、あ、はいッス……」
珍しく疲れた様子でうなだれるシルビアの姿にリアも心配になってくる。
いつもの様に罵ってもらわないとリアも調子が悪くなってしまう。
シルビアの指示通り、店内の奥にある団体客用のテーブルに両手に抱えた荷物を適当に置く。
それはシルビアが生活する為に必要な日用雑貨や食料だった。
表舞台に滅多に姿を現さないシルビアの変わりに、リアがこうして必要な物をいつも買ってきているのだ。
「……あぁ……駄目だ……」
頭を抱えるシルビア。
こんなシルビアの姿はリアも滅多に見ない。
「さっきから何してんスか、姉御……」
心配の声をかけながら、リアは地面にも散乱しているぐちゃぐちゃに丸められた紙を広げてみる。
すると、そこには意味不明た単語が短く書かれていた。
他の紙を何枚広げてみても、全て意味不明な単語が短く書かれているだけ。
少しリアは恐怖してしまう。
ついにシルビアがぶっ壊れたか、そう思ってしまったのだ。
「あ、あの、姉御……何スか、これ?」
眼を見開き、恐る恐る質問するリア。
そんなリアの質問に、いつもの高圧的なシルビアからはとても想像できない少女の様なか細い声で答えが返ってくる。
「バッドエンドの、偽名が……思いつかないんだ……」
これからシアラ神国へと向かうファウストとバッドエンド。
野宿をさせる訳にもいかないのでシルビアが宿を予約してやらねばならなかった。
しかし、当然ながら世界にその名を轟かすファウストという名前は使えない。
バッドエンドという名前もそうだ。
まだ、世界に明るみになっていないとしても本名を使うのはリスクがある。
なので偽名で宿を予約しなくてはならない。
しかし常日頃から、ファウストは表の世界で活動する時はアヴァロンという偽名を使っているので問題なかった。
問題はバッドエンドだ。
「うわあああああッ!! バッドエンドの偽名が思いつかないッ!!! あたしはどうすれば良いんだあああああッ!!!!!」
シルビアがその場から勢いよく立ち上がり、奇声を発しながら一心不乱となる。
リアはそんなシルビアの姿に戦慄した。
くだらない理由で悩んでいようが、普段見せないその姿にリアは何とか落ち着かせようと急いで駆け寄る。
「あ、姉御ッ!! 落ち着くッス!!! とにかくぶへらッ!!!!!」
一心不乱に暴れるシルビアを制止しようとするが、その拳が無意識にリアを襲ってしまった。
その衝撃でいつもの様に吹き飛ぶリア。
しかし、そんなリアの表情は少し嬉しそうだった。
「はぁ……はぁ、……今日中に、シアラ行きの船が発つまでに、何とか考えないと……」
何とか冷静を取り戻しつつ、席に腰を置く。
しかし何度考えてもしっくりとくる偽名が浮かんでこない。
頭を抱えるシルビアに、何とか身体を起こし立ち上がるリアが提案してみたのが事の発端だった。
「……いてて、一人でそんなに思いつめなくても良いじゃないッスか。何の為に俺が居るんスか。俺も一緒に考えるッスよ」
そんなリアの気を使った言葉にシルビアが顔を上げる。
だが、いつもの様に冷たい言葉が投げられた。
「お前が、か……? あたしに思いつかないものがお前みたいな馬鹿に思いつくとは思えんが……」
今回は悪気が無いにしても失礼な発言に変わりない。
しかし、この程度で動じるリアではない。
「いやいやこう見えて俺、結構ネーミングセンスには自信があるんスよ」
「はぁ……まぁ、考えてみろ」
「そうッスねぇ、例えば……」
馬鹿という単語を特に気にも留めず、バッドエンドという魔鍵の少女を思い出してみる。
何とか少ない脳みそをフル活動させ考える。
先日、千里眼を持つアイズに勇ましく立ち向かっていたバッドエンドの姿がリアの脳裏に浮かんできた。
「はッ!?」
そして、そんなバッドエンドにとても似合うであろう偽名が浮かび上がってきた。
リアは自信満々の笑みを浮かべ、あまり期待していないシルビアに元気良くそれを伝える。
「へっへっへ……驚かないでくださいッスよ? まず、バッドエンドと言えば、あの何者にも屈しない強靭な精神と強さッ!!!」
仰々しい手振りと口調。
もったいぶるリアにシルビアが溜息交じりで短く告げる。
「はぁ、わかった……早く言え」
「む!」
どうせリアだ、大した偽名を思いつくはずもない。
シルビアのその考えが態度に現れ、リアは少し不満を抱きながらも堂々とバッドエンドの偽名を発表する。
「まさにそんなバッドエンドに相応しい偽名ッ!! それは……”アイアン”ッ!! どうッスか!? これ中々の自信作なんスけど」
得意気にリアは、そのアイアンという偽名を自信満々に発表した。
あまりにもそのままだった。
所詮、リアは馬鹿なのだ。
これではシルビアからいつもの様に罵倒されて終わる。
無論、アイアンというこの偽名も却下される。
そう思われたが。
「アイアン……、だと? ……ん? アイアンッ!? お、お前、今……アイアン、そう言ったのかッ!?」
思いの外、予想を裏切る反応を見せるシルビア。
それにリアも気を良くしていく。
「へっへ、どうッスか? 俺も馬鹿にできたもんじゃないッスよ」
鼻と唇の間を人差し指で軽く擦るリア。
そんなリアの姿に、そのネーミングセンスに、シルビアは眼を見開いて言葉を失い動揺していた。
そして、ようやくの思いでその偽名に対する感想を告げる。
「お、お前ッ!! 天才かッ!! どうした!? いつものお前らしくないぞッ!? お前本当にあの馬鹿で豚以上に豚のリアかッ!?」
「やめてくださいッスよ~、あんま姉御にそこまで褒められると気味悪いッスよ~」
「お、おい、他には、他にはないのか?」
「そうッスね~、よし。……グレート」
「あはんッ!! な、何だその素晴らしすぎる偽名は!! 見直したぞリアッ!!」
「……DXってのもあるッスよ」
「お前……神童か何かかッ!? 何故そこまでポンポンとそう簡単に思いつくッ!? こ、これが発想の違いというやつなのかッ……」
あの闇の仲介屋と、その一番弟子。
両者共に、ネーミングセンスに関しては壊滅的でそれは常軌を逸脱していた。
もはや別次元の会話が繰り広げられる。
「さぁ、姉御!! 俺の波に乗っかってくるッス!! 今の姉御なら何か思いつくかもしんねぇッス!!!」
「わ、わかった……よーし……」
シルビアも必死に頭を研ぎ澄ませる。
リアに負けていられない。
こうしてリアがいくつかの偽名を発表し、シルビアも段々とコツを掴んできた。
偽名に必要な事、それはその人物の特徴や性格を細心の注意を払い、素早く発想する事。
バッドエンド、あの可愛らしい容姿、つまりそれを言葉に言い表すと、
「……き、キュート!!!」
「おいおい姉御……どうしちまったんスか!? さっきまでと全然違うじゃねぇッスか!! めちゃくちゃ可愛い名前ッスよ!!! バッドエンドにぴったりッス!!! もしそんな名前の娘が居たら絶対可愛いに決まってるッスよ!!! どこに行けば本物のキュートちゃんに会えるんスか!!!」
「よ、よせ、照れるじゃないか。……フ、認めたくは無いが、リア。お前のおかげだよ」
「うおおおおおおお!!!!! あ、姉御にこうしてまともに褒められたの初めてッスよ!?」
「フフ、大袈裟な奴だ……」
和気藹々とするこの二人。
一応、補足しておこう。
シルビアは特に疲れ果てて壊れたわけでもなんでもない、あくまで素だ。
素でネーミングセンスの感覚がリアと同じで狂っている。
「はッ!? あ、姉御……でもこんな素敵な偽名をいくつも思いついても結局使うのは一つなんスよね?」
その言葉に、舞い上がっていたシルビアは我へと返ってしまう。
確かにリアの言う通りだった。
先程までのネーミングセンスはこの際、置いとくとしよう。
例えどれだけバッドエンドの偽名を思いついた所で結局使うのは一つだけ。
シルビアはその事実に再び頭を悩ませてしまう。
二人にとって素晴らしい偽名ばかりだ。
どれか一つに絞る事はできなかった。
すると、遂にシルビアに神童とまで言わせたリアが再び提案する。
「……ヘッ!! 何を悩む必要があるんスか!!」
「な、何だ、これ以上、何か思いついたのか? 本当に今日のお前はどうしたんだ……」
シルビアのリアを見る眼が完全に変わってしまっていた。
次々と自分には想像できない事を思いつくリアに感動すら覚える。
「世の中には凄ぇ長い名前の人が居るんスよ、なら……」
「お、お前、まさか……」
「そうッス!! 今まで俺達が出した名前、全部を使うんスよ!!!!」
「……今までの非礼を詫びさせてくれ。……もうお前は豚を完全に超越した最高の豚野郎だッ!!!」
「へッ、俺はいつまでたってもただの豚で収まるような、そんな男じゃないんスよ」
そして改めてお互い試行錯誤してバッドエンドの偽名を考える。
今ではこの酒場のマスコット的存在のバッドエンドの為だ。
生半可な偽名等付けられない。
だから真剣に考える。
そして、遂に。
リアが今までの偽名の集大成を発表した。
「グレート・アイアン・キュート・DX!!! これでどうッスか!!!」
考えに考え抜き、最高と思わしき並べ順でリアはこの偽名を発表した。
シルビアも、もうそれ以上は無いと納得し、決定だと言いかけた、が。
「……しかし、どこかバッドエンドにしては華やかさに欠けている気がするな」
「む、言われてみれば確かに……」
改めてバッドエンドの容姿を思い出す二人。
強さと、可愛さを秘めたこの名前に欠けた、何か。
他に何を付ければ良いのか、熱い討論が繰り返される。
その結果、シルビアとリアは、同時に口を揃えて声を上げた。
『エクセレントッ!!!!!!』
エクセレント・グレート・アイアン・キュート・DX。
早速、シルビアは急いで今日最終発のシアラ神国行きの旅客船までリアを向かわせ、無事にシアラ神国の宿の元まで、一通の紙が届けられた。
こうしてアヴァロンとエクセレント・グレート・アイアン・キュート・DXの名前で予約されたのだ。
しかし、ネーミングセンスが壊滅的な二人が考えに考え抜いたその偽名でバッドエンドはシアラ神国を過ごす事となる。
いつもファウストが仕事をする背景には、こうしたシルビアとリアの奮闘があったのだった。




