魔眼と記憶:8話
シアラ神国の王城。
そこには静寂の間と呼ばれる一室がある。
光沢のある白い壁、天井一面に描かれる歴史に語り継がれる神々の神秘的な絵。
静寂王、フィアナ・シフォンの為だけに造られたその一室は僅か7畳。
この決して広くない空間には必要最低限の机と椅子、ベッドや本棚のみが置かれている。
「……」
静寂に、ただひたすら大人しく本を読みふける王の姿がそこにあった。
背中まで伸びるスカイブルー色の美しい長髪、思わず呑み込まれそうになる神秘的な碧眼。
純白のフリルの付いたドレスを着込むその姿は王と呼ぶよりは、まさにお姫様と形容した方がしっくりくる。
「……」
静寂王と呼ばれるフィアナは感情を殆ど表に出さない。
それは王たる者として、自身がこの国に及ぼす存在だと自覚しているからだ。
王とし、王と生きることが生まれた瞬間から決まっていたフィアナはその教えに従い、完璧な王であろうとしていた。
このシアラ神国は遥か以前、この国が設立された時から伝統的な文化の一つとして次世の王は王女と決まっている。
そして王となった者には3つの責任が与えられる。
第1、始祖アダム神に己の全てを捧げ、世界に始祖アダム神を伝える布教活動。
第2、このシアラ神国の広大な美しい自然を守る事。
第3、女を産む事。
幼い頃より厳しく身体に刻み込まれてきた絶対の教えである。
その教えを守り、立派な王となりこの国を守るフィアナ。
この国の先祖代々の王達によって今では始祖アダム神の存在を知らない者はいない。
そして始祖アダム神の崇拝者の数は日々拡大していき、シアラ神国を越え、世界中に存在している。
歴代の彼女達の偉業は今のフィアナにも受け継がれており、世界を相手に演説をこなす日々。
「……」
何千、何万という数を繰り返し読む始祖アダム神の教えが記されている分厚い本。
本の厚さは13センチ、縦30センチ、横24センチ。
その大きな本を小柄なフィアナは暇さえあればこうして静かに読みふけっている。
身体、心、魂、その全てを始祖アダム神に幼き頃から捧げてきた。
フィアナにとってこの本を読む事は何も苦ではなく、魂の浄化であるとも言う。
「……」
今のフィアナは魂の浄化を、この本を読み続けなくてはなかった。
先導者であるフィアナの、静寂王としての心が昨晩から乱れつつあった。
それは昨晩、王城に訪れた一人の考古学者が現れたからだ。
その考古学者は黒髪の綺麗に整えられた長髪を一つに束ね、とても清楚な印象があった。
考古学者は始祖アダム神の信者であり、キッスと名乗っていた。
過激派の凶信者を遥かに凌ぐ知識量、そして清らかな忠誠心を持っていた。
そんなキッスと呼ばれる男がどうしても、先導者であるフィアナに会いたいと申し出てきたのだ。
キッスは始祖アダム神の遺物、アダムの毛という物を発見していた。
それをどうしても献上したくフィアナへの謁見を求めた。
始祖アダム神の遺物を発見し、持ってきたとなれば会わざるを得なかった。
そしてキッスはフィアナにアダムの毛を発見した場所、その時の事、確固たる証明を述べて見せた。
表立って感情に現さなかったフィアナは、その発見されたアダムの毛に興奮してしまっていた。
未だかつて一本たりとも発見できていなかったのだ、無理も無かった。
そして快くそれを献上してくれたキッスと、しばしの間だが始祖アダム神について会話を繰り広げた。
地下の金庫で保管されている新たな国宝、始祖アダム神の遺物の発見によって平常心が少し失われつつあるのだ。
こんな時は魂の浄化で心を落ち着かせるしかなかった。
そんなフィアナの居る静寂の間が慌しくノックされた。
「……どうぞ」
本を静かに閉じ、目をゆっくりと閉じる。
そう短く、透き通る声で告げると、そんな静寂なフィアナとは反対でシアラ神国の漆黒の修道服を纏った男性が勢いよくその扉を開けた。
息を荒げながらその男性はフィアナに報告する。
「ハァ、ハァ、し、失礼します!! た、大変申しがたいのですが……!!」
バツの悪そうな、歯切れの悪い男性にフィアナは黙ってその続きを聞こうと目を閉じたまま耳を傾ける。
「あ、あの、泥棒王がこの国に侵入したと報告を受けました!!」
泥棒王。
その言葉に思わずフィアナの目が開く。
以前、まんまと国宝を盗んだあの男、泥棒王ファウストが再びこの国に訪れてきた。
静寂王の眉間にシワが寄る。
「……国中に、総出で速やかに身柄を確保してください。城や金庫は特に厳重に警備してください」
「は、はい!! 仰せのままに!!」
何が目的でこの城に再びその姿を現したのか不明だ。
だが、今のファウストはあの魔鍵を所持している。
ここで逃すわけにはいかない。
始祖アダム神の遺物を、国宝をこれ以上、盗まれるわけにはいかない。
しかし金庫は前回の反省を踏まえ厳重に改良し直した。
まずフィアナと、フィアナが持つ鍵が無ければ開くハズがない。
いくらあの泥棒王だろうと再びあの金庫に侵入する事は不可能のはず。
だが、何故か。
フィアナは妙な胸騒ぎがして仕方が無い。
何せファウストは魔眼を。支配眼を持っている。
「……ッ」
とても今のこの状況で心を落ち着かせる等、無理だ。
城内は兵達がファウストの確保に慌しくなっている。
どうやってあの金庫を破るつもりなのかは知らない。
しかし、いくら支配眼を持っていようが、こうして兵を総出にすれば全ての兵を倒しながら金庫を開ける事はできないはず。
金庫を開けるにはフィアナの持つ鍵が必要だ。
そして大の男が10人程集まって力を合わせてようやく隙間を生む重い扉はファウストのみの力では開かない。
仮にその扉を開ける為に何人も引き連れてこようと、それ程の数が一気に金庫に辿りつくまでに、全てとはいかないまでも何人かは必ず兵達が捕まえてみせるはず。
「……」
フィアナは前回の手口を思い出す。
ファウストは前回、混乱に乗じてフィアナの前に姿を現した。
そして盗んでもいない始祖アダム神の遺物をあたかも盗み終えたような虚言を吐き、金庫を確認する為に向かったフィアナに自らその扉を開けさせたのだ。
するとフィアナが金庫を開けた瞬間、支配眼を発動させ、瞬く間に金庫の中に保管しておいた国宝を盗み出したのだ。
「ンフフ」
不気味な笑い声がフィアナの背後から聞こえる。
聞き覚えのあるその声。
それに対し、フィアナの身体中の血液が沸騰するように。
「……ッ!」
当時の自分の愚かさに身体が震える。
そして。
前回とまったく同じだ。
またしても自分の目の前に突如現れたその姿に、怒りで身体が震えるフィアナ。
背後を振り向く。
そこには、静寂の間にあの男が、あの時とまったく同じようにその姿を見せていた。
「ンフフ、お久しぶりですねぇ静寂王。少し大人っぽくなりましたか?」
不気味に笑うピエロの仮面で正体を隠し、腰に四本の剣を携えている漆黒のスーツ姿。
不愉快極まりない泥棒王ファウストの登場に、声を自然と少し荒げてしまうフィアナ。
「……貴方という人間は本当に愚かですね。以前とまったく同じではありませんか。またしてもこの私の前に現れて金庫を開けさせようとしている様ですね、ですがこの私が二度も同じ手に引っかかるとお思いで? 馬鹿馬鹿しい、今回の金庫が貴方に破られるとはとても思いません。どれだけ虚言や妄言を吐こうと聞く耳を持つ気になれません。前回のお礼もまだですし、何より今回の貴方には魔鍵を返還して貰わねばなりません。大人しく捕まってもらいますよ」
息継ぎをほぼせず淡々と告げるフィアナ。
それにファウストは仮面の下で苦笑いしてしまう。
「……いやぁ、相変わらずお喋りが始まった途端に饒舌になりますねぇ。しかし、今回は謝罪をしに来ただけですよ」
ファウストの言葉の意味がフィアナには理解できなかった。
前回の盗みに対する謝罪なのか。
そんなもの今更、必要無い。
ファウストがまたしても自分に金庫を開けさせようとしている、それ以外考えられない。
「貴方から発せられる謝罪の言葉には何一つ意味も価値もない事を地獄に向かう途中で自覚するべきです。貴方には神の救いも与えられる事はないでしょう。もしその人生と行いを悔いると少しでも言うのであれば以前、我々の国から盗み出した全ての物の返還と、魔鍵を速やかに渡しなさい。さすればきっと貴方のような人間にも神は救いの手を差し伸べてくれる事でしょう。我々という――なッ!?」
余りにも長いフィアナの言葉に耐えかねたファウストが、胸の内ポケットからある物を見せつけた。
それは淡々と怒りの感情を乗せ、言葉を紡ぐフィアナを黙らせる事すら簡単にしてしまう物だった。
フィアナはファウストの手の平に乗るそれをよく観察した。
それは自分の知るそれと完全に一致している、いや、完全に同じ物だった。
そう確認すると、フィアナの顔はどんどん青ざめていく。
「な、何故……何故、貴方が。それを……ッ!!」
ファウストの手の平に乗る物の正体。
それはアダムの血。
しかしアダムの血はとても血とは形容しがたい物だった。
それはまるで宝石の原石の様な塊だった。
真紅の、燃え上がるような力強さを感じさせる色、それは見事な正方形の立方体となった小さなキューブ。
「だから今回は謝罪に来ただけと言ったではありませんか。すみませんねぇ、ンフフ」
フィアナの身体から力が消え、その場に突っ伏してしまう。
地面に手を着き、大きく瞳を開け、身体を震わせている。
金庫が本当に破られてしまっている。
虚言でも、妄言でもない。
またしても国宝がファウストによって盗まれた。
愕然とするフィアナにファウストは飄々と言う。
「ンフフ、では失礼します。またいつかお会いしましょう静寂王」
そう告げると、支配眼から赤黒い火花のような光を散らすとその姿を瞬時に消してみせた。
何故、どうして。
あの厳重な金庫をどう破ったのだ。
フィアナは床に突っ伏したまま、自身の持つ金庫の鍵があるのを確認した。
「……ッ!! ファウストッ!!!」
珍しく声を大きく荒げ。憎きファウストの名前を叫ぶ。
すぐさまフィアナは立ち上がり、ドレスのスカートを掴み、金庫へと走り出す。
アダムの血が盗まれた。
あれは正真正銘の、確かにアダムの血だった。
という事は金庫が破られた。
あの金庫にはこの国の宝物がいくつも眠っている。
「静寂王!? どうされましたッ!?」
城内を必死の形相で駆けるフィアナ。
それを発見した兵の一人が、そんなフィアナを追いかける。
フィアナは一旦、足を止めて急いで兵に告げる。
「ファウストッ!! あの泥棒王に金庫が破られましたッ!! 貴方は他の兵達にただちにこれを伝えて彼を必ず確保してくださいッ!!」
フィアナの言葉に兵が驚愕した。
ファウストが発見されたという報告から短時間しか経っていないのだ。
この僅かな時間であの金庫から宝物を盗み出したとフィアナが言う、恐らく間違いないのだろう。
兵は改めて泥棒王ファウストのデタラメさに驚きを隠せなかった。
「わ、わかりましたッ!! ただちに他の兵達にも伝えますッ!!」
フィアナが向かう金庫と逆方向に兵は走る。
国宝が盗まれた、これは一大事。
更に今のファウストは魔鍵の契約者だ。
何としても捕まえる必要があった。
「……ッ!!」
歯軋りを交え、息を荒げ走り続けるフィアナ。
自分が王位を受け継いでからこれで二度目だ。
何としてもファウストを確保せねば。
そして、魔鍵をシアラが手中に収めねばならない。
そんな想いを馳せ、ようやくフィアナはシアラ神国の王城にある地下に辿りついた。
途中、何人もの兵に会った。
その都度、ファウストの行方を死に物狂いで追う様に命じた。
しかし、負傷した兵達は一切居なかった。
誰も傷つけずにどうやってあの金庫を破ったというのだ。
「はぁ、はぁ」
「静寂王!? 何故ここに貴女が!?」「お戻りください!! 泥棒王はこの金庫を狙っているかもしれません」
兵が何人も同じような言葉で、金庫の前に現れたフィアナに声をかける。
どうやらまだアダムの血を盗まれた事を知らない様子だ。
「……泥棒王ファウストがこの金庫から確かにアダムの血を盗みました。他の宝物の安否が気になります、金庫を開けます」
「ま。まさか、そんな……」「我々はずっとこの場で警備をしていましたが特に何もありませんでしたよ?」「またしても前回と同じく手口では?」
兵達は各々、金庫の扉を開けようとするフィアナに罠ではないかと助言していく。
確かに前回はそうだった。
しかし、今回は違う。
アダムの血の形やその姿を知る者は少ない。
それを、いくらファウストだろうと完璧に偽造ができるとは到底、思えない。
ファウストが見せてきたアダムの血はまさに本物。
フィアナは自覚している。
自分程の信者が、王が、そんなアダムの血をを見間違えるはずがない。
「……あれは確かにアダムの血でした、どうやってこの金庫の中に入ったのか調べる必要もあります。早くこの扉を開けてください」
厚さ2メートル以上。
大の男が10人程集まって力を合わせ、ようやく隙間を生む重さ。
扉自体とと部屋全体はアラトで開発された最新の特殊合金がコーティングされており、物理的に破壊する事は不可能に近い。
大きく重苦しいその金庫の前にフィアナは立つ。
「……」
そして中央の鍵穴に鍵を差し込んだ。
そんなフィアナの命に兵達は半信半疑ながらも王の命に従い、扉を開けるべく兵達がその扉の取っ手に力を込めていく。
常に10人以上の兵達が、この金庫のある地下を警備している。
それは、こうしてフィアナに命じられた時、いつでも扉を開ける為でもある。
何人もの兵達が一気に力を込めて引っ張る。
僅かな、人一人が通る事のできる隙間が生じる。
フィアナは急いで金庫の中に入る、つもりだった。
「……ッ、これは……ッ」
しかし、身体が動かない。
ふと自身の身体を見ると、いつの間にか縄で拘束されている。
他の兵に助けを求めようとする、が。
「ぎゃああああああああッッ」「うぐあああああああああッ!!!」
断末魔を上げながらその場に全員が倒れ込んでいった。
こんな芸当ができる人間、今はあの男の事しか考えられない。
フィアナは瞳に涙を浮かべていく。
「……ッ、ファウ、スト……ッ!!!!!」
そのフィアナの叫びに、あの笑い声が返ってくる。
「ンフフ」
またしても。
またしても、この男の騙されたという事なのか。
あのアダムの血はフィアナの目を欺いた、完璧なアダムの血のレプリカだったとでも言うのか。
「いやぁ、二度と同じ手口には引っかからないんじゃなかったんですか?」
小馬鹿にしたような表情でファウスとはピエロの仮面越しで静寂王を見下ろした。




