魔眼と記憶:7話
太陽が昇り、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
深いクマが刻まれた眼を真っ赤に張らせた、漆黒のスーツを着込んでいるファウスト。
容赦なく降り注ぐその朝日の光にとても参っていた。
ファウストは昨夜、遂に一睡もできなかったのだ。
それは過去の忌まわしき記憶や支配眼を恐れてではない。
原因は一つ。
バッドエンドだ。
バッドエンドが何度も何度も、肌を露出させた薄い布地の寝巻き姿でファウストにその身体を密着させてきたからだ。
そんな過激な姿とスキンシップの嵐が脳裏からまったく離れず、仮眠をとろうにも邪魔してきたのだ。
「……ンフフ。……勘弁してくださいよ。貴女のおかげで本当に仮眠すらできなかったじゃないですか……」
頭を抱え、まだ眠るバッドエンドの愛らしい姿に眼をやる。
一緒のベッドで眠る事を拒絶され続けたバッドエンドは、ようやくファウストの抵抗に折れ、しぶしぶ諦めてようやく一人で寝てくれたのだ。
それでも、昨夜の出来事も相まってファウストはバッドエンドを変に意識してしまい仮眠すらとれなかった。
その結果、こうして朝を迎える事態となってしまった。
「んん~……アヴァロン~……えへへ……」
そんなファウストを他所に幸せそうに寝言を呟くバッドエンド。
口元から涎をだらしなく垂らしている。
どうやら魔鍵も夢を見るらしい。
そんな殆ど人間の少女と変わらないバッドエンドにファウストは溜息をつく。
しかし、その口元はどこか嬉しそうだ。
「さて……」
そして幸せそうに眠るそんなバッドエンドを起こさないよう、静かに動き始めた。
そろそろ予定の時刻なのだ。
急いで準備をしなくてはいけない。
カーテンを少しだけ開け、部屋の窓から外を眺めて確認する。
外の風景は、早朝ともあって人気がまったく無く、静まり返っていた。
しかし、ただ一人だけ。
天才詐欺師の姿がそこにある事を確認した。
窓からその姿を見つめるファウストに気づくと、手を振りながら見つめ返してきた。
キースだ。
「……」
キースの姿を確認し、これからアダムの血が保管される金庫へと向かおうとするファウスト。
部屋の窓側からバッドエンドを起こさないよう、静かに部屋から去ろうとする。
予め準備しておいた、古びたピエロの仮面と剣が入ったいつもの仕事用の細長い袋をゆっくり持ち上げた。
それを肩に静かに担ぎ、ドアノブに手をかけたその時。
背後から心地良い声がした。
思わずその声にファウストの表情が緩む。
「……気をつけてね。降臨祭……楽しみに待ってるぜ」
どうやらファウストがこの部屋を去ろうとする気配を感じ取ったらしく、着崩れしたバッドエンドがむくりとベッドから起き上がっていた。
目を片手の甲で擦り、口元の涎を拭っている。
まだ眠たそうに、ぼんやりとしている。
だがそんな状態でも、申し訳無さそうな表情を浮かべていた。
今回の盗みのターゲットであるアダムの血と魔鍵であるバッドエンドの接触。
崩鍵へと変貌する恐れがあるバッドエンドは、今回のこのアダムの血を盗む仕事に同行できないからだ。
ファウストは今回のバッドエンドの同行を絶対に許さない。
それも全ては、バッドエンドを想ってのファウストの優しさだった。
万が一への対処でもある。
しかし、ファウストの手伝いがしたくてこのシアラ神国に一緒に訪れたにも関わらず、結果的にその役目を果たせない事をバッドエンドは悔やんでいたのだ。
そんな申し訳無さそうな様子のバッドエンドにファウストは優しく告げた。
「やれやれ、起こしてしまい、しまったか。……とにかくパジャマをちゃんと直せ。それと、降臨祭が始まる夜までには戻るから安心してくれ。お前が気を病む事は何一つ無いさ」
バッドエンにそう言って笑顔を見せた。
そう告げて、部屋から静かに出て行くファウストをバッドエンドも優しく微笑み見送った。
バッドエンドはそんなファウストに安心して、幸せそうな表情で再び眠りにつくのだった。
「ありがとう、アヴァロン。待ってるよ」
部屋を出たファウストは気を引き締め、暗がりの廊下を歩き進める。
その中、一つの不安に悩まされていた。
それは突如、バッドエンドの前に現れたジャズの存在だ。
未だファウストの前にその姿を現さないジャズの存在が、ファウストの心に不安を植えつけている。
バッドエンドが崩鍵に変貌する事を恐れているなら、警告すべき相手はバッドエンドではなくファウストではないのか。
何故、バッドエンドの不安を煽り、肝心のファウストの前に姿を現さないのだろうか。
「相変わらず回りくどい男ですねぇ……」
昔からそうだった。
我が子の様に、親身になってあらゆる事を教えてきた伝説の泥棒王ファウストとは対照的で、ジャズはこの世界で生きる為に必要な事、大切な事を全て遠まわしに教えてきたのだ。
そんな彼の性格をファウストは好きではなかった。
しかし、それは全てファウストを想っての事。
自分で考え、気づき、行動する事の大切さを教えたかったのだ。
ファウストもそれには気づいている。
今回もきっと、ファウストに何かを気づかせようとしているに違いなかった。
ジャズの意図を模索しながら、その答えがわからないまま、宿のフロントを通り過ぎて外に出た。
眩しい朝日の光がファウストの眼を容赦なく襲う。
片手で眼を庇うように覆い、その姿を現す。
するとキースがファウストに近づいてきた。
「へっへっへ、待ちくたびれたぜ~。ほら、依頼は完璧にこなしておいたよ」
気だるそうに、昨日と同じ不衛生な格好をしたキースが脇に抱えている小包みをファウストに見せる。
それを光に順応していく支配眼で見つめて口をつり上げる。
「……ンフフ、流石は天才詐欺師。頼りになりますねぇ」
「へっ、当然の事を言われてもこれっぽちも嬉しくないね~」
キースが差し出す小包みを受け取るファウスト。
そして、すかさず中に入っている物を確認するが。
「……」
その中身に言葉を失い、眼を大きくさせ驚く。
呆気にとられ、キースに無言のまま視線を送る。
「へっへっ……アンタが言いたい事はわかるさ、僕もビックリしたが確かにそれで間違い無いぜ」
「なるほど……想像していたものと違ったので少々驚きました」
今回の金庫破りに必要なアイテムを大事に胸の内ポケットに仕舞い込むファウスト。
まだ完全に信じきっていない様子のファウストにキースが不満気に言い聞かせる。
「へっ、何度も言うがそいつで間違い無い。もしアンタが今回の仕事に失敗しちまったら僕にも責任が出てきちまうからな……あの人を怒らせる真似なんて僕にはできない。だから無理だろうが信用してくれ」
過去に何度かシルビアを怒らせ、実際に殺されかけた経験を持つキース。
そんなシルビアの命で動くファウストの依頼は、引き受けた時点で完璧にこなす必要がある。
「……ンフフ、わかりました。これは有難く使わせもらいますよ、大変ご苦労様でした」
キースの肩に手を置き、感謝の言葉と共に今回の依頼の達成を労う。
「へっへっへ、なぁに、アンタに比べりゃ大した事ないさ。……まったく、アンタには関心させられるよ。よくそれだけあの人にコキ使われて命があるもんだ」
ノイタールの辺境の地にあるあの酒場で、ファウストとバッドエンドの帰りを今も待つシルビアの姿が浮かぶ。
裏の世界の上位に君臨する彼女。
一応そんなシルビアと親交の深いファウストはキースに言う。
「ンフフ、まぁ、あの美貌ですからねぇ。多少の無茶は叶えてあげたくなっちゃいますよ。それに……私を誰だと思ってるんですか。命を簡単に落とすなんてまず有り得ない」
伝説の泥棒王ファウストの実力はキースも重々承知している。
そしてシルビアもそんなファウストを認めている。
だからこそ自分のすぐ手元にファウストを置いているのだ。
「へっへっへ、あの人からの仕事が多少の無茶だって? 冗談きついぜまったく。絶対アンタみたいなタイプはいつか女が原因で人生を狂わせるよ」
その言葉はファウストの胸を的確にぐさりと刺す。
「ンフフ、何を今更。生まれてこのかた狂いっぱなしの人生ですよ私は。……まぁ、こんな人生も中々どうして案外捨てたもんじゃありませんよ」
ファウストはこの世に生を受けた時から始まっていたこの人生に後悔はしていない。
かつての泥棒王ファウストに救われた時から、この世界に対する不満は消えうせていたのだ。
「そうかいそうかい、僕にはまったく理解できないねぇ。ま、頑張りなよ。……へっへっへ、僕はフィアナちゃんの怒った可愛い顔でも想像しておくよ」
シアラ神国の国宝をまたしても盗まれてしまう静寂王、フィアナ・シフォンの顔をファウストも思い浮かべてみる。
普段から、常に無表情で寡黙を貫くあの少女がどう怒り顕に表情を歪めるのだろうか。
それが実に楽しみであった。
「ンフフ、お任せあれ。貴方の事もちゃんと伝えておきますよ。久方ぶりに彼女に会うのが楽しみになってきましたねぇ」
不気味な笑みを零す二人の犯罪者。
そしてファウストが口元を歪めながら遠くの王城を見据える。
「今日は降臨祭の初日、せっかくの祭りだ。そろそろ私は行きますね」
そうキースに告げ、肩の細長い袋を揺らし、王城へと向かうファウスト。
そんなファウストの背後に、一つ疑問ができたキースがその疑問を投げかけた。
「ん~? アンタ、祭りなんて別に好きじゃなかったろ?」
それに振り返らずファウストが手を振りながら答えた。
「ンフフ、好きになったんですよ」
アダム降臨祭を楽しみにするバッドエンドを想い、頬を優しく緩めながらそう答えた。




