魔眼と記憶:2話
ファウストは驚愕していた。
部屋に帰ってきたバッドエンドに先程の事を詫びようとしたが、開口一番に飛んできた言葉が強烈なものだった。
「ワタシに気安く話かけてんじゃねぇよ豚」
だった。
殺意を剥き出しに飛んできたその言葉にファウストは大きく眼を見開いた。
何かの聞き間違いかと思い、もう一度優しく声をかけてみたが。
「ブヒブヒうるさいんだよ豚」
バッドエンドらしくない初めて見せるその態度に戸惑いを隠せないでいた。
「あ、あの……バッドエンド? さっきの話なんですが――」
ファウストの言葉はすぐ遮られた。
片腕を刃に変化させたバッドエンドがそれをファウストに突きつけてきたのだ。
「あんま馴れ馴れしくそう何度も鳴かないでくれるかな?」
余程、怒らせてしまったのか。
ファウストはただそれに無言で首を縦に振った。
「返事はブヒだろ?」
「ぶ、ブヒ……」
思わず豚の鳴き声で返事をさせられてしまった。
それからというもの、居心地の悪い状態が続いている。
豚の鳴き声でしか喋る事を許されず、バッドエンドは二つあるベッドの片方でずっと枕を抱え、背を向けて寝ている。
何度かブヒブヒと話しかけてみるが無視されている。
この状況に居たたまれなくなり、部屋を後にするファウスト。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ブヒヒ、ブヒブヒブヒヒブヒブヒ……って、馬鹿か私は!! 今ここにバッドエンドは居ないでしょうがッ!!」
船の甲板の上で、一人寂しく海に向かってツッコミを入れるファウスト。
「まさか、あそこまで怒っていたとは……」
あの時、素直に薬を飲むか、一言説明できていればこんな事態は起こらなくて済んだ。
後悔する。
今更、ちゃんと説明しようにもバッドエンドは聞く耳を持たない。
挙句の果てに豚の鳴き声で喋るよう強要してくる始末。
「ただでさえ、こうやって船に乗らされて気分は最悪だというのに……はぁ」
深いクマが目立つ眼で海に視線を向ける。
改めてこうして見ると確かに感動を覚える景色だった。
「……イヴの壁画、さてさてどうしてやりましょうか」
今回の依頼の品であるイヴの壁画を盗む事でこの鬱憤を晴らそうと目論むファウスト。
イヴの壁画といえば芸術を愛する者達の間で知らない者はいない程のもの。
人間の始祖として伝えられるアダムと呼ばれる神が愛した存在、それがイヴと呼ばれる神だ。
アダムの姿は人間の男性、そしてイヴは人間の女性という姿で人々に信仰されている。
そんなイヴの姿は一目で人々の心を浄化してしう程、美しいものだという。
ファウストは実際にその眼でイヴの壁画を見た事は無いが、その美貌は芸術家問わず知れ渡っている。
「イヴの壁画が到着するのはアダム降臨祭の最終日……間に合いますかねぇ」
シアラに着いたとしても、イヴの壁画をすぐ盗むわけでは無かった。
今、イヴの壁画はシアラには無い。
アダム降臨祭の最終日にシアラに運ばれるのだ。
今回はイヴの壁画を盗む事だけが目的ではなく、もう一つの目的があった。
静寂王、フィアナ・シフォンが厳重に保管している、アダムの血。
嘘か誠か遥か遠い時代、この世界にその姿を現した神の血がシアラ神国の王城にて保管されているという。
リアを通して闇の仲介屋であるシルビアに舞い込んできたこの二つの依頼は、ファウストに任された。
「……シルビアも相変わらず人使いが荒いですねぇ」
昔、ファウストはシアラ神国の王城に盗みの為、侵入した経緯があった。
そして盗みの対象である代物を無事手にしたまでは良かった。
しかし、危うく命を落としかけた危険に遭っていた。
苦い記憶が蘇る。
「今回はあの金庫も、より厳重に強化されてるでしょうし骨が折れそうですねぇ。……骨が折れるだけならマシすが」
前回、苦戦しながらもこじ開けた金庫。
だが一度破られた金庫をそのままにしておくわけがない。
より、強固に頑丈にしてあるに決まっている。
今からそれを想像すると余計と気が滅入る。
しかし、こちらも今回は一人ではない。
バッドエンドという強力な魔鍵を引き連れて挑む。
だが、その肝心のバッドエンドとの関係がもつれつつあるこの現状に危機感を覚えるファウスト。
「どうしましょうかねぇ、ホント。ある意味、今のバッドエンドの心をこじ開ける方が難しい気がしますよ……」
今も部屋でファウストに対する怒りを募らせているに違いない。
素晴らしい景色は人に感動を与え、その悩みすら吹き飛ばすという言葉を信じて、こうして甲板まで足を運んできたが何も解決される事はなかった。
「やはり一度ちゃんと話を聞いてもらうしかないですねぇ……」
ファウストはズボンのポケットから小袋を取り出す。
バッドエンドがファウストの為にわざわざ貰ってきてくれた酔い止めの薬が入った小袋。
それを見つめる。
どんな気持ちでこれを渡してきたのか、いくらファウストでもわかる。
ただファウストの事を想い、元気になってもらってこの景色をゆっくり一緒に眺めたかった。
そんな気持ちに自分の言葉が悪く、結果的にバッドエンドを傷つけてしまい怒らせてしまった。
「はぁ、豚の鳴き声だけでどう謝罪すればいいんですか……」
そう言って、中身の無い小袋を海に投げ捨てた。
ファウストは絶対に他人を使用しない。
だがバッドエンドを信用しない、そう言ったつもりはなかった。
「こんな時、リアが居てくれれば……」
リアはシルビアによく豚と罵られ、豚の物真似を強要させられていた。
その物真似は凄まじいクオリティーを誇り、引くほどだ。
遂には豚野郎という絶対の称号をシルビアから授けられ、他の豚に退けを取らない豚より豚らしい豚となっていた。
そんな彼がもしこの場に居れば、ファウストに豚の鳴き声での謝罪方法を簡単に伝授してくれたに違いない。
「クッ、こうなる事がわかっていれば私もシルビアの元、豚としての訓練を積んでおくんでした……ッ!!」
だが、それこそ自ら豚と罵られる事を要求し、豚野郎としてシルビアに扱われる事を望めば、変態王という不名誉な称号に拍車が掛かってしまうリスクが伴う。
愕然と地面に突っ伏し、両手で頭を抱えるファウスト。
「わ、私はどうしたら良いんだッ!!」
甲板の上、一人の男が絶望の叫びをこの大海原に響かせていた。
どうやら相当疲れているのが見て伺える。
そんなファウストの視線に、もうすぐその先にシアラ神国が大きく見えてくる。
間もなく旅客船が港に到着する。
「……はぁ、いよいよバッドエンドの怒りが静まる事なく到着してしまいますね」
そう言って、豚の鳴き声の練習をしながら部屋に戻る。
気が重くなる。
人語で話しかければ無視され。
かと言って豚の鳴き声で話しかければ無視され、更にそれがしつこくなると刃と変化したその腕がファウストに向けられる。
しかし、間もなく旅客船は港に到着していまう。
バッドエンドに降りる準備を指示しなければいけない。
実際以上に重く感じる扉を開け、両手を擦りつけながら、眠っているバッドエンドに声をかける。
「あ、あの、バッドエンド……そろそろ着くみたいなんで、その、降りる準備を……」
無視されるか、刃が飛んでくる。
そう心構えをしていたファウストだがバッドエンドはその予想を裏切るものだった。
枕を抱きしめるその小さな身体がピクッと動いた。
それに続き、一瞬だけ楽しみを隠せないといったような満面な笑顔に変えた。
だが、すぐさま先程までと同じ態度に戻る。
「何で人間の言葉喋ってんのさ、豚は人間の言葉は喋らないよ」
そう言ってベッドから不機嫌そうに起き上がり、ちゃんと自分の荷物を整えた。
それが終わるとバッドエンドは自然とファウストの荷物もまとめ始めるが、すぐに我に返りその作業を中断した。
ファウストはそんな様子を見て、本当にバッドエンドは怒っているのか疑問を抱きながらも少しホッとした。
「ンフフ。さぁ、忙しくなりますよバッドエンド。せっかくですし降臨祭も楽しませてもらいましょう」
そう優しく微笑みかけるファウストに対して、少し困ったような表情を浮かべるバッドエンド。
そしてすぐさま罵声を浴びせる。
「だ、だから、豚だって……その、言ってるじゃないか」
ファウストに背を向けその表情を必死に隠す。
しかし、その表情は確かに満面の笑顔だった。
遂に、泥棒王ファウストと魔鍵バッドエンドが信仰国家シアラ神国に現れた。




