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城塞の扉は、留め金が外れて今にもばらばらになるか、そうでなければ、ほとんど朽ちかけた材木がたちまち土塊と化して、崩れ落ちそうに見えた。それでもかろうじて戸を閉ざしている姿は、百年の間、侵入者をかたくなに拒み続けてきたかのようだった。
片方の金輪にヘレナが手をかけ、手前に引いた。ギイと鳴ると同時に、ニセホコリタケの胞子を想わせる大量の粉が舞い上がり、ぼくはマントで顔を覆った。ぽっかりと口を開けた闇の底から、冷気とともに、異様な臭いが忍び寄ってきた。
「ものみな腐りゆく、か。吟遊詩人の言葉を借りれば、そんな臭いだね」
「つまり?」
「死臭というやつさ」
いい加減、この臭いには倦み始めていたところだ。今もどこかの戦場では、野干どもが燐光の色に目を輝かせ、腐肉に群がっているだろう。ダーゲルドの参戦によって戦は長期化し、予想をはるかに上回る犠牲者を出した。張本人であるぼく自身が、この状況の中で、呆然と手をこまねいている有様。
世界で最も罪深い人間。そんな自覚があるのなら、ここで喜んで屠られるべきなのだろうが、往生際をわきまえずに、じたばたと死を先延ばしにしている。運命が、なかなかひと思いにぼくを押し潰さないのは、これが一種の罰だからかもしれない。
ぼくはポーチから蛍石を一つ取り出した。呪文を唱え、二本の指で軽く撫でると、ぽっと蒼い炎を燃え上がらせ、掌から舞い上がった。その後ろから、ぼくたちは砦の中へ足を踏み入れた。
「水の音がする」
岩肌の露出した、意外に滑らかな地面を踏みながら、誰に言うともなしにつぶやいた。滴る無数の水滴を、広大な水盤が一つ残らず受け止めているような音。
「古代神殿の廃墟で雨宿りすれば、ちょうどこれと似た音が聴けるだろう。最も、ここは砦の最下層部だから、雨が洩るとは思えないが……あ」
靴底がぐしゃりと、何かを踏みつぶす感触。硬質だが、炭化したように脆かった。さっそく蛍石が舞い戻ってきて、ぼくの足元を照らす。ヘレナが気遣わしげに声をかけた。
「どうかなさいました?」
「さっそく、これだよ」
見れば半分潰れたシャレコウベが、虚ろな眼窩でぼくを見上げていた。そのほかの部分や、衣類・甲冑の類いは、どこにも見当たらなかった。
「番兵のものでしょうか」
「さあ。頭蓋骨だけっていうのが、何とも厭な感じだね。悪意ある何者かが、わざとぼくたちに踏ませるために、置いたようでもある。勘ぐりすぎかもしれないけど、そう考えてしまわざるを得ないほど、なんとも、凄まじい妖気だよ」
我知らず、こめかみを押さえていた。
ひどい耳鳴りがして、水の滴る音が、頭の中で割れんばかりに響くようだ。音の余韻は頭痛を伴いながら、人間の呻き声や、得体の知れない化け物の声と化してゆく。
受信するミワの強弱を調整することも、魔法使いにとって必要な技術だ。もしも全てを受け止める一方であれば、ぼくですらひと溜まりもない。ミワを細分化し、押し寄せてくる波長に対し、脆弱な部分には鍵をかけ、必要に応じてブロックしなければならない。
よく人里離れた神殿の廃墟などで見かける、狂った巫女や魔法使いは、多くの場合、この技術をおろそかにしたなれの果てである。
洞窟のような暗い通路がしばらく続き、視界が唐突に開けた。
「こいつは……」
いびつな円形を成す空洞の半径は、五十マリートに達するだろう。もちろんこれほど広大な空間を、たった一つの蛍石の灯りで見わたすことは不可能。中心に、巨大な松明のようなものが燃えているため、一望のもとにできたのだ。
ぼくたちは、反射的に身構えた。ダーゲルドか、その手の者が先回りしていたと、誰だって最初に考えるだろう。
足元から十数マリート下には、湖水が黒々と横たわっていた。そして大木の梢ほどの高さを覆う岩石の天井から、巨大な氷柱のような岩が無数に垂れ下がり、先端から水面へと、水滴が滴り落ちるカラクリ。
四方八方から、切石を用いた細長い橋が、水の上に幾つも掛け渡され、荒屋敷の蜘蛛の巣のように錯綜しながら、松明の燃える中心へと収束していた。そこは人工的に築かれた、円形の広間なのだ。おそらく、仮面をつけた男女が二十組ほど踊っても、足を踏まれる者は一人もいないだろう。
水上の広間に高々と据えられた、三つの篝火。炎の色はどれも橙色ではなく、巨大な陰火が燃えるように、蒼いのだ。