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ハンサム・ベルメエル自身が語るところによれば、「夜警」とはかれらの自称であるという。
王国によって、制度化されているわけではない。そもそも、この都市国家を守備するのは、ミュルミドンに限られている。ただ、老いたとか醜いとか挙動不審であるとかして、レストラールされたヤフーたちが、勝手にそう名のっているらしい。
女王もまたこれに目をつぶる恰好で、容認している。主人のいないヤフーが、昼間そぞろ歩けば厳罰に処されるが、夜、「高尚な」目的をかかげて徘徊する限りにおいては、勝手次第。それとなくかれらを監視しているミュルミドンを通じて、僅かばかりの賃金も支払われる。
夜市が閉まったあと、街の女たちは誰一人、外を出歩こうとはしない。
強靭な緑の繭に守られながら、闇に包まれれば、内部にも得体の知れない輩がうろつき廻る。謎の千年隠しに、首なし幽霊。とくに妖魔の侵入が頻繁になった昨今では、自称夜警もそれなりに重宝されているようだ。
「実にソレガシ、これまでに十三匹の小妖魔を叩きつぶしましたぞ。蟻兵に死骸を見せれば、一匹につき銀貨一枚もらえますのでな。まして、あのような巨大妖魔を何匹も処分したとあらば、どれほどの褒美にあずかれましたことやら。消えてしまったのが、まことに残念ですわい」
直立不動のまま、この老ヤフーは呵々大笑したものである。
黒猫の背を撫でながら、ル・アモンがしきりに目配せをしている。咳払いして、ぼくは切り出した。
「ともあれ、ぼく……いえ、わたしたちがあなたを雇うことに関しては、何の問題も生じないのですね」
「願ってもない話で」
かれを家に引き入れるにあたっては、もちろんかなり迷いがあった。ぼくたちの正体を露呈させ、危険を招くだけかもしれない。けれど何といっても、ヘレナを救った手際からして、利用価値は高そうである。また、外出時に一匹のヤフーも連れていないことで、奇異の目を向けられることもなくなる。
地上の国で「飼われている」馭者や執事と同様、この国の上流家庭においても、ヤフーは「必需品」なのだ。精一杯の演技で、ぼくは言った。
「早くに母を亡くしましたもので、わたしはご覧のとおり、世間をよく知りません。アモネス先生もまた、書物の知識はおありになるものの、下々の事情には疎くていらっしゃいます」
「ごもっともな話で」
「世間は何かと物騒です。これからも、あなたの知恵をお借りしなければならないことが、出てくるやもしれませんから」
「もったいないお言葉で。俗に、『ヤフーの耳に西の風』と申しますように、ソレガシのアタマの中はいたって空っぽ。生暖かい風が吹き抜けるばかり。ない知恵とアボラガの油は搾っても搾れません。が、しかしながら、お嬢さまをはじめ、目をかけていただいたご婦人がたの御恩にはこの老いぼれ、蛮勇を振り絞って報いる所存でございます」
伯爵のほうを盗み見ると、わざと視線を外したまま、何度もうなずいてみせた。少々危なっかしいが「使える」、というのだろう。ぼくも少々ホッとして、好奇心から尋ねてみた。
「あなたたちは、どこで生まれたのですか」
かれのような老ヤフーはいても、子ヤフーというものを目にしたことがない。当惑したように、ベルメエルは目をしばたたかせた。
「それが、よく覚えておらんのです。気がつけばすでに、でかい図体をしておりまして、蟻の兵隊に行儀作法を仕込まれておりました。失敗をやらかすたび、振り下ろされる鞭の痛さが、最初に覚えていることであります」
「子供時代の記憶がない?」
「ええ。言い伝えによりますと、緑魔宮殿のどこかに“ヤフーの木”があるそうでございます。枝から幾つもの繭がぶら下がり、どんどん膨らんでゆき、やがて中から嘶きが聴こえますと、係の者が棍棒で力任せに叩きます。すると繭がまっぷたつに割れて、一匹のヤフーが生み落とされるのだと申します」
では、ヤフーはもともと森の妖魔の一種で、緑魔宮に取り込むことにより、家畜として調教し、使役しているのだろうか。地上の王国と照らし合わせても、なかなか考えさせられる話だが、ぼくは質問を変えることにした。
「解雇されたヤフーは、みんな夜警になるの?」
家にいるときも、女の子らしいアクセントで話すのは、なかなか骨が折れる。かれのうっとりした目を見れば、ぼくの姿が無力で愛らしく、そしてとても美しい女の子としか映っていないのは、よくわかるのだけど。
「そうとも限りませんなあ。常夜灯に食物を運ぶ者もおりますし」
「街灯に、食べ物を?」
油などの燃料を追加する仕事を意味するのか。地上の街でも、コウモリ男と呼ばれる、黒い外套を着て細長い竿を持ち、夕方になると常夜灯に灯を入れて廻る賤民たちがいる。けれどもヤフーが、こんな詩的な比喩を用いるとは思えなかった。
「ええ。お嬢さまがたはご存じないかもしれませんが、常夜灯どもが一晩燃え続けるためには、プティングを一皿平らげますので。ソレガシどものうちでも、とびきり背の高いヤカラが、しかも高下駄を履いて配って廻ります」
かれらはあぶれ者の割に、夜警とは比べものにならないほど報酬が好い。一般のヤフーの中には、この職に密かに憧れている者も多いとか。
「もちろん、失意のあまり森へ出て行く者も多くございます。かれらのうち、三分の一は妖魔と化し、三分の一は妖魔に食われます」
「残りの三分の一は?」
「蟻兵に処分されるのです」
どこの世界の現実も、あまりに痛ましい。暴力によって、他者を引き裂かねば生きられず、自身もまた、いつか何らかの圧倒的な力によって、生命を奪われなければならない。
こんな世界に眉をひそめながら、ぼくはおめおめと三百年も生きた。
「ひとつ、お願いがございますのです」
「なあに?」
「あのご婦人に、一目会わせていただけませんものか」
もの想いに囚われかけていたぼくは、居場所を見失ったような目つきで、かれを眺めたのだろう。
動物的な無表情の中に、「女主人」の機嫌を損ねたのではないかと気にする、狼狽の色が浮かんだ。ベルメエルが泡を吹く前に、ぼくは作り笑顔を滑りこませた。
「ヘレナのことね。今朝はだいぶ加減も好いようですから、だいじょうぶですわ。それにあなたは、彼女の恩人ですもの。拒む理由なんて、ございませんことよ」