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 年寄りにとって、目覚めの瞬間が最も危険な刻限であろう。そういう意味では、老人たちは日々、生死の境をさまよっていると言える。

 ぼくも含めての話。

 目が覚めると、舞台袖の楽屋のように、たいして広くもない部屋。みょうに少女趣味な壁紙に囲まれ、部屋とは不釣り合いに大きな寝台の、黒光りする木枠の中で、ぼくは身を縮めて横たわっている。

 少女の服を着たまま。暖炉に火の入った部屋は暑いくらいなのに、毛布にくるまって震えていた。

 どこにいるのか、しばらく思い出せなかった。三百年近くも、世界じゅうを飛び廻っていたせいで、重い目覚めの後などは、しばしば、現実とは異なる場所にいるような錯覚を起こす。

 青いカーテンの隙間から、薄明りがこぼれている。朝陽のようには見えない。

 もっとも、この世界では陽光が直接降り注がないため、真昼の光も、どこか夜の匂いを漂わせるが。

 枕元には一脚の椅子。皮も布も張られていない、簡素な木製で、子供用なのか、とても小さい。

 少女人形がひとつ、椅子の上にぽつんと投げだされていた。レースに縁どられたボンネット。色褪せ、埃をかぶった黒い巻き毛。エプロンの下に、紫がかった赤いドレスを身につけたビスクドールは、ぱっちり見開いたガラスの目で、何もないところを凝視していた。

「おはよう、フォルスタッフ」

 莟のような唇を硬く閉ざしたまま、人形が喋る。

 ああ、よくない兆候だ。

 目覚めたかと思えば、これもまた夢だなんて。もし三度めもまた夢であったとき、もはや永久に目覚めは訪れないと、吟遊詩人たちが歌うではないか。

「どんな夢を見たの?」

「女の夢だよ。女の夢を見るときは、決まって哀しい夢なんだ」

 人形は沈黙した。椅子の脚を、細く尖った、小さな陸生の貝が這っているのが見えた。覚えず眉をひそめたが、妖魔の類いではないらしい。

 目を閉じると、ここへ至るまでの光景が思い起こされた。


「アール・ミーム・ミール・ワーフ。偉大なる夜の支配者。暗黒の王の御名において、我は望み、我は求む。炎と血の精霊、サラマンドルの眷属。ミランダをここに召還せんことを!」

 ボーデン夫人の家を走り出ると、ぼくは呪文を唱えた。

 指輪が燃え、炎の渦とともにあらわれたミランダは、けれども悍馬のような精気を忘れたように、沈みこんでいた。

 まさか、ヘレナと同じ症状が、ミランダにもあらわれたのか。一瞬、そう考えずにはいられなかった。いくらハーミアのやり方が「気に入らない」とはいえ、たびたびぼくの味方をすれば、結果的に使鬼の掟を破ることになるのではないか。

「わたしが出る幕はなかったようね。それにしても……あれに気づかなかったとは」

「何を言っている?」

 彼女は答えず、背を向けて飛び始めた。燃え盛るような緋色の髪を、ぼくは慌てて追いかけた。

 裏門から、ぼくたちの家の庭を突っきって、垣根を乗り越えると、壁の一部に、穴が空いていることに気づいた。

 無数の鬼火が舞っていた。

 蒼い炎を背に、棒杭のようなシルエットが、こちらへ近づいて来るのがわかった。異様に背が高く、横にひしゃげた三角帽をかぶった馬面が、爛々と目を見開いていた。その腕には、小間使いの服を裂かれ、ほとんど裸同然になった小柄な女が、ぐったりと抱かれていた。

「ヘレナ……」

「ソレガシ、夜警のベルメエルと申す者。このご婦人が難儀なさっていたので、お送りするところで」

 舌をだらりと垂らし、犬のように喘ぎながら、そのヤフーは言うのだ。

「敵はどこですか?」かろうじて、「令嬢」の演技を保った。

「ソレガシが。撃退したのやらしなかったのやら」

「はあ?」

「とにかく夢中で暴れ申したばかりで、一向に覚えておりませんので」

 いつのまにか、ミランダの姿はどこにもなく、密かに指輪に戻ったらしい。足首に、こつんとぶつかるものがあり、驚いて後退ると、黒猫がぼくを見上げて、可愛らしく一声鳴いた。

 その陰火を想わせる目の輝きに、なぜかぼくは戦慄を覚えた。


「ヴィオラ、きみのしわざだね」

 人形は、まだそこに座っていた。頬がふっくらとして、幼すぎる中に、どこかヴィオラの面影を宿しているように思えた。相変わらず沈黙を保ったまま、けれどもこっくりと、かすかにうなずいたのがわかった。

「ヘレナの夢も、おまえが見せたんだろう?」

 答えはなく、動く様子もない。それが無言の肯定を示しているかのようだ。

「きみにとって、ぼくを殺すなんてことは、そう難しくはないはずだ」

「汝、このまま行けば、また同じ過ちを繰り返すことになろうぞ」

 鬼火が燃えるように、人形の目が輝いていた。声も口調も、ヴィオラのものに違いなかった。

「過ち? 戦争のことを言っているのかい」

「そうだ」

「まさか……今のぼくに、そんなミワは残っていないよ」

 ミランダを一瞬呼び出しただけで、寝台に倒れこむほど、疲れてしまうほどに。

 少女人形は、そのまま宙に浮いた。全身を蒼く輝かせながら、水中にたゆたうように、上下に揺れた。

「近づきつつあるのだ、力に。エニシというものは、何人にも予測できない」

「力? もしかして、ル・アモンが探しているものと、関係がある?」

「これ以上、我が口からは何とも申せぬ。ただ我は、汝が後悔に苦しめられていることを、知っている。だからここではまだ、汝を殺めたくはない」

 自嘲的に、ぼくは微笑んだ。

「簡単には殺さない? もっと苦しめと?」

「どうなりと解釈するがよい」

 蒼い炎が燃え上がり、次の瞬間、少女人形の姿はどこにもなかった。さっきからしきりに、ドアがノックされていることに、ようやく気づいた。

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