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 陰火が舞っていた。

 並足で歩を進めるガルシアの蹄が、時おり、乾いた音をたてるのは、しゃれこうべを踏むのだろう。遠く、低い山の稜線が、周囲をもの悲しく縁どっている。

 月はもう沈んだのか。曇った空に、星がまばらに瞬いている。

 無数の、ぼろぼろに錆びた剣が、見捨てられた墓標のように林立している。

 秋なのだろうか。しきりに、虫が鳴いているような気がするが、あるいはこれが、陰火の燃える音なのかもしれない。

 風もなく、マントは重く身の周りに垂れたまま。シンバの歩調にあわせて、淋しく揺れるばかり。一面の、荒野である。

 蒼く揺れる火影のほかに、何かが動いていることに気づいた。黒い、影の塊のようなもの。ぼくはシンバを停めた。

 妖物?

 ガルシアの鼻づらを軽く叩き、その場に留めると、異様な影に近づいていった。どうやら妖物でも野獣でもなく、人間とおぼしい。黒い、ぼろぼろのフードつきマントを着て、身を伏せるように、じっとうずくまっている。

 戦場剥ぎだろうか。

 かれらは合戦の終わった戦場にあらわれ、武器や武具を剥いでゆく。多くは近隣の農民だが、穴から穴へ身を潜めながら、軍隊を追って潜行する、ノブスマと呼ばれる専門職集団もいる。

 しかしここでは、戦が終わって何年も、あるいは何十年も過ぎているのではないか。剣も鎧もぼろぼろに朽ちて、盗む価値のあるものなど、何一つないのではあるまいか。

「何かお探しですか?」

 後ろから声をかけると、肩がびくりと震えた。体型からして、男ではあるまい。振り仰いだフードから蓬髪が食み出し、野獣めいて、蒼く光る目が片方だけ覗いた。

「弔っているのです」

 老婆だとばかり思っていたので、返ってきた声の、意外な若さに驚いた。

 ゾール教徒だろうか。かれらは、野ざらしの死体や骸骨に弔いの呪文を与えて、死者が安らぐ国へ送ることを、使命とみなしている。ぼくは女の肩越しに、そこに横たわるものを覗きこんだ。

 骨だ。雑草に埋もれかけながら、それはみょうに新しく見えた。ぼうっと蒼白い光沢をさえ帯びて、眠ったまま朽ちたように、仰向けに横たわり、虚ろな眼窩で空を見上げていた。

 兵士にしては小柄で、まだ少年のようだ。

 女が骨を洗い、安らかな姿勢に並べ変えたのではないか。ふと、そんな考えがよぎった。

「ずいぶん大きな合戦があったのですね。いつ頃のことでしょうか」

 なかば独り言のように、つぶやいた。骨から目を離さずに、女は答えた。

「およそ、二百年前」

「それは……」

 ぼくの目は見開かれ、声が掠れたかもしれない。思わず辺りを見わたしたが、このような場所に見覚えはない。にもかかわらず、果てしなく散らばる髑髏たちは、ぼくが引き起こした戦争によって死んだ、王国軍の兵士たちのように思えてならなかった。

 言い知れぬ寂寥に、胸を締めつけられた。

 これまでも、罪の意識はあった。けれど、ぼくは過去の巨大な過失からなるべく目を逸らし、逃げ続けてきた。かつて感じたことのなかった、胸をえぐるような孤独感。こんな感情に追いつかれ、呑まれそうになのは、ぼくのミワもいよいよ弱ってきた証拠だろう。

 罰を受ける時は、確実に近づいているのだろう。

「その人の骨だけ洗うのは、なぜですか。あなたと、縁のあるかたなのですか」

 自身の声が、まるで他人が喋っているように、うつろに響いた。女はうなずいたようでもあり、首を振ったようにも見えた。相変わらずじっとうつむいて、骨に目を落としたまま。

「わたしの夫でした」

「名前は?」

「フォルスタッフ」

 あやかし!

 ぼくはマントを翻して、女から飛びのいた。殺気立った遠吠えが、周囲でいくつも湧き起こった。鬼火たちが寄り集まって、何十匹もの狼となり、遠巻きに取り囲んでいた。ぼくは、呪文の彫られた短刀を抜いた。

 そのまま目の前に手をかざすと、五つの指輪が目に入った。五つの? なぜ、失われたはずのジェシカの指輪まで、嵌まっているのだろうか。右手に目を遣れば、薬指にレムエルの指輪がない。そうして五色とも、石はすっかり輝きを失い、死んだようにくすんでいた。

 蒼く燃える狼たちが、低く唸りながら、にじり寄ってくる。女は背を向けたままゆっくりと立ち上がり、こちらへ向き直った。ぼろぼろの頭巾の下で、赤い、異様に艶めかしい唇が、虫のように震えていた。

「刺客か。おまえは、悪鬼だね」

 今度ははっきりと、女がうなずいた。片方の手で、横たわる骨を指さした。

「このような姿こそが、あなたが求める安らぎではございませんか。いつまで価値のない遊戯を、お続けになるつもりですか」

「逃げ続けるのが、宿命だからね」

「だいじょうぶ、かの国ではすべてが平等です。善行をなした者も、恐ろしい行いをなした者も。ですから、何も怖がる必要はございませんわ。誰もあなたを、罰したりはいたしませんから、ご主人さま」

「きみは……?」

 女は両手を頭の後ろまで上げて、フードを外した。それはぼろぼろのマントごと、女の体から滑り落ちた。赤い唇。蒼く輝く目。闇目にも、ぼうっと白く輝いているのがわかる、何も身につけていない裸体……

 懐かしい友を迎えるように、ヘレナは、心もち腕を広げて微笑んだ。

「わたしと一緒に参りましょう。永遠に安らげる世界へ。ご主人さま、あなたは決して、お独りではございません」

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