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43(3)

 これが、「消滅」するときの気分なのか。

 荘厳な音楽ではなく、哀しげなウンディーネの唄声でもなく、ぽこぽこと、こんな間の抜けた太鼓の音が、聴こえてくるものなのか。

 草地に投げ出されたまま、いまだ苦痛に五体を縛られていることを、訝った。人間の死であれ、精霊の消滅であれ、意識は肉体を離れ、むしろ恍惚感に包まれるという。なのに依然、痛みは纏いつき、間抜けな太鼓は鳴り続けている。

 それはたしかに、聴き覚えのある音だった。

「やあ、やあ、遠くにいるヤカラは太鼓の音を聴け。近くのヤカラは目玉で見よ。ソレガシは、偉大なるバブーシュカ女王さまのお膝もと、サフラ・ジート王国の夜警にこの馬ありとうたわれた、ハンサム・ベルメエルなるぞ。いざジンジョウに、勝負勝負!」

 瞬時、ヘレナは痛みを忘れた。

 仰向きに横たわったまま、声のするほうへなんとか顔を向けた。ずり落ちそうな三角帽を、何度も被り直しつつ、肩から吊った太鼓を、もう片方の手でぽこぽこと打ち鳴らし、駆けつけてくる一匹のヤフーが、たちまち視界に飛びこんできた。

「ああ……」

 驚嘆とも呆れとも絶望ともつかない声が洩れた。昨夜、倒れて起き上がれなくなっていたところを助けてた、あのベルメエルに違いなかった。

「可憐にしてか弱きご婦人を、あまつさえ大勢でいたぶるとは、下等な妖魔の所業とはいえ、悪辣無比にして卑怯千万。この正義の化身、ご婦人がたの味方、ハンサム・ベルメエルが目にもの見せてくれようぞ」

「だめ、逃げて!」

 思わずそう叫んだけれど、馬の耳に何とやら。瞬く間にヤフーは駆け寄り、ヘレナのかたわらに片膝をついた。おそらくかれの目には、ぼろぼろに服が裂け、泥だらけで横たわる「か弱き」小間使いが、映っていたはずである。

「おいたわしや! ですが、しばしの辛抱でありますぞ。必ずやソレガシ、あの変てこりんな妖魔どもを、指を一つ鳴らす間に、片付けてしんぜましょう」

「およしなさい。とてもあなたの手には負える相手ではありません」

「ソレガシ、恩知らずの汚名をこうむるくらいなら、皮を剥がれて馬琴にされたほうがましであります。それにこう見えましても、邪念流三振棒術の使い手。我が棒さばきを、とくと御覧じろ!」

 キッと妖魔たちをかえりみて、ヤフーは立ち上がった。それからスパイクつきの金棒を背中から抜くと、両手でぶんぶん振り廻し、砂埃をたてながら突撃を開始した。

「どおおおおりゃあああああっ!」

「ちょ、ちょっと、待って!」

 追いすがろうとしたが、たちまち激痛によって、地面に叩き伏せられた。すると苦悶に喘ぐ彼女の頬に、何か硬い、ざらざらしたものが、ひやりと触れた。一匹の黒猫が、小さな舌で舐めていた。

「あなた……プルートゥ?」

 彼女を覗きこむ、緑色の澄んだ目。小首をかしげて、猫は鳴いた。

 瞬く間に屠られてしまうかと思われた、ベルメエルは予期に反して健闘していた。まるで棒杭が跳ねるように、スネイルマンたちの攻撃を、右に左にぴょんぴょんとかわし、無暗にぶん廻しているように見える金棒が、意外な確率でヒットした。

 ヤフーの目が、見たこともない、緑色の異様な輝きを帯びていることに、ヘレナは気づいた。

「な、なんですの、こいつ?」

 最初は嘲笑っていたハーミアの表情が、しだいに驚きの色に塗り変えられていった。双頭のスネイルマンが、一方の頭を叩き潰されのを見るに及んで、彼女はワームドラゴンごと、後退を余儀なくされた。蒼黒い粘液が、彼女の上に降り注いだのだ。

「何なんですの!? 蟻女たちが小ばかにしていた、たかだか馬人間一匹が。なぜこれほどの力を?」

 ドラゴンの鼻先で、馬面が静かに彼女を見上げていた。

「おぬしが大将であるか? お見受けしたところ、妖魔どもとは毛並みが違うようだが。噂に聞く、悪鬼という御仁か」

「おまえこそ、何者?」

「ソレガシ、さっきも申したとおり、偉大なるバブーシュカ女王さまのお膝もと……」

 よせばいいのに、また長々と名乗りをあげている間に、獣人と四本腕に、左右から挟撃された。ベルメエルは、けれどもまた超人的、いや超馬的なジャンプ力を発揮して、高々と跳ねた。勢い余った二体は、お互いの拳を、お互いの顔面にのめり込ませた。

 咆哮が響くなか、ヤフーは調龍師さながらの身軽さで、双頭のスネイルマンの殻の上にまたがった。

「ちぇすとおおおおおおおっ!」

 金棒を逆さに持って振り上げ、先端を突き立てた。ぐしゃりと、殻の一部が潰れる音が響いた。断末魔が地を揺るがし、打ち割られた部分からは、臓物やら粘液やらが吹き出した。やがて貝殻全体に亀裂が走ると、破裂音とともに四散した。

「うそ……」

 鬼火が乱舞するなか、風妖と水妖の声が、見事にハモった。

 手負いの二匹のスネイルマンは、まるで盲目になったように、おろおろと腕を振り回していた。髪に頬に、纏いつく粘液を懸命にぬぐいながら、ハーミアもまた、ヤフーの姿がどこにも見えないことに気づいた。それをはっきりと捉えていたのは、仰向きに横たわるヘレナの視界だけ。

 言うまでもなく、頭上にあるのは空ではなくて、びっしりと葉を絡ませた森の梢だ。それでも、小鳥の羽では飛びつけないほどの高度がある。ベルメエルは、そこに片腕でぶら下がっていた。

「ちぇすとおおおおおおおっ!」

 奇声に驚いて、振り仰いだハーミアは、たちまち目を見開いた。そこに映ったのは、目を緑色に爛々と輝かせ、自身の真上から急降下していくる馬男の姿だった。

「いやあああああああっ!」

 振り払われた彼女の杖は空振りし、ヤフーはワームドラゴンの口に金棒を叩き込んだ。ツララを薙ぎ払うように、密生した牙が砕け、先端は喉を貫通して、どろどろの粘液とともに、首筋からあらわれた。

(勝負あったわ……)

 吠え狂い、のたうちまわり、間もなくワームドラゴンは、痙攣する肉塊と化した。這うような無様な姿勢で貝殻にしがみつき、震えているハーミアに、ベルメエルがゆっくりと金棒を突きつけるのを、ヘレナは見た。

「降参するがよい。御仁も誇り高き悪鬼の一族ならば、ソレガシごとき下賤の手にかかるのは、名折れであろうから」

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