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43(2)

「愚かな。あまりにも愚かでございますわ。以前のお姉さまからは、考えられない失態ではなくて」

 双頭のスネイルマンと、獣人化したスネイルマンの間に、ハーミアはワームドラゴンを進めた。どこから取り出したのか、角盃を片手に持ち、高々とかかげた。

「教えてさしあげましょうか、頭までお弱くなった、哀れなお姉さまに。ここに一軒の家があるとしますわね。たとえ空き家になろうと、何者かが棲みつくのと同じですわ。人の棲まない家には、ジャコールやムディンや蛇が棲みつく。スダマなどという、半下級精霊も好んで入り込んでくる。この貝殻もまた、妖魔の森の瘴気を中に集めて、育っていったのです。小指くらいの大きさから、徐々に膨らんで。だから」

「殻を壊さなければ、再生する」

 キッと見上げたまま、ヘレナはつぶやいた。

「そういうことですわ。四匹めだけは粉々に粉砕されましたから、二度と再生できなかったでしょう?」

「どこからそんな情報を」

「お忘れになりましたの? いつだってわたくしは、天性のスパイ。フォルスタッフには、ずいぶん走らされましたものね。ええ、どんな囁き声やつぶやきでも、ひとたび風に乗った音ならば、決して聴き逃しません」

「城壁の外で、それを聴いたというの」

「ほ、ほ、ほ。妖魔の言葉は、さすがにわかりませんけれど、蟻の兵隊を見つけたのです。二匹おりまして、つらそうな顔をしておりました。忠実な兵との評判ですが、しょせんは下っ端。愚痴の一つも、こぼそうというもの。その不注意な言葉が、背負いきれないほどの災いを背負って、帰ってくるとも知らずに」

 ハーミアはもの凄い笑いかたをすると、角杯をひと息にあおり、放り投げた。そうして風の杖を縦に構え、柄に耳をあてると、風の声を聴く仕草を再現した。

(とても我々だけで、三つのエリアはフォローしきれぬな)

 彼女が聴いたミュルミドンの声が、ヘレナにも聴こえる気がした。

(ああ。隊も三つに分断されてしまうし。たとえ大物のアタックに出くわしたところで、救援が間に合うとは思えぬ)

(どこも手薄なのさ。ヤフーまでが、守備兵に駆り出されていると聞く)

(ふん。間抜けな馬男どもが何の役に立つ。それに例の鉱物……)

(慎んだほうがよいぞ。舌は災難を持ち帰るいう。ましてここは、城壁の外だ)

(むしろ、城壁の内側のほうが危険ではあらぬか。不敬罪で幾つの首が飛んだと思う)

(よせ。見るがよい、ばかでかいスネイルどもがうろついている。こんなやつら、城壁の近くではめったに見かけなかったのだがな。一匹なんか、蟲龍に寄生されているではないか)

(ウル・デン・ナ・バブーシュカ。今のところ気が立ってもいないようだし。このままおとなしく、通りすぎちまえば御の字であるが)

(同感だ)

(何しろ、こいつらときたら、中身は瘴気の寄せ集めに過ぎぬからな。貝殻を砕かねば何度も蘇生する。ところが、その貝殻ときたら……)

 二匹の蟻兵は、すぐ近くの物陰で、悪鬼の瞳が妖しく輝いたことに気づかなかった。

 間もなく彼女たちは、どこからともなく聴こえてきた、笛の音に驚くだろう。黒い呪術師の唸り声にも似た、狂おしく、そしてどこまでもまがまがしい音色を。

 むろんその笛の音は、ドラゴンを手なずけ、妖魔たちを凶暴化させるのに、絶大な効果を発揮する。子供が弄ぶ小さな砂時計の砂が、落ちてしまうほどの時間もかからなかったろう。おのれが放った言葉によって、二匹の蟻兵がどんな報いを受けたか、ヘレナは考えたくなかった。

「ひどいことを……」

「あら、お姉さまこそ。蟻に同情していられるほど、優雅な状況だとお思いで?」

 ハーミアが風の杖の先端をヘレナに向けると、三匹のスネイルマンが再び襲いかかってきた。双頭の牙による一撃はかわしたが、四つの腕に捕らえられ、高々と持ち上げられた。疳高く笑い続けるハーミアの姿が、すぐ下にあった。

 憎々しげに、風妖は口の端を吊り上げた。

「ずいぶん、落ち着いていらっしゃるのね。助けが来るとでも、お考えですか? でも、フォルスタッフがすぐには動けないことは、調べがついておりますの。もはやあの男は、魔法使いの廃物に過ぎませんけど。どういうわけか、出しゃばりのじゃじゃ馬が、ついておりますからね」

「ミランダのこと?」

「まったく、お姉さまにせよ、ヴィオラにせよですわ。あんな人間の屑はさっさと葬り去って、自由になればよいのです。まさか三百年近く囚われているうちに、自由の味をお忘れになったとでも? 奴隷の境遇に甘んじているほうが、悦ばしいのですか。そうなのですか?」

「ハーミア、聞いて。わたしは……」

「泣き言は聞きたくありませんわ!」

 まるで泣きじゃくるように、ハーミアの顔が歪むのを見た。次の瞬間、彼女は地面に思うさま叩きつけられていた。

 骨がばらばらになったような激痛。それでもまだ、腕や足が動かせるのが不思議だった。棘鰐のように泥だらけになって這いながら、ようやく顔だけを起こした。が、予想された第二激は迫っておらず、スネイルマンたちは、涎を垂らし、低く唸りながら居並んでいるばかり。

「ご安心くださいな。すぐに殺したりは、いたしません。特別に、時間が許す限り、じっくりなぶってさしあげますわ」

「相変わらず、好い趣味ね」

「ええ。だってお姉さまは、最後の最後まで抵抗なさるでしょう。それがわたくしたち、悪鬼の本質ですものね。それにね、わたくし、ずっと思っていましたの。お姉さまは、なぶられ、苦しめられているときが、一番お綺麗だということを」

「舐めるな!」

 ほとんど四つん這いのまま駆け出した。あさましい野獣の姿も気にならなかった。四本腕が迫ってきたが、燐光を放つ手刀で、二本を切り落とした。けれども、まともに横から、毛むくじゃらの、鉄のようなパンチを食らい、そのまま吹き飛ばされた。

(そう。これが悪鬼の本質だからね)

 地上で何度も弾かれながら、ハーミアの言葉を自嘲的に反芻した。遠のきかけた意識のどこかで、どん、どん、と、単調で、拍子抜けしたような、太鼓の音が鳴っていた。

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