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「お探しなさい。たとえミュルミドン全兵に命じて、腐葉土の沼底をさらわせでも、徹底的に。さもなければ」
声が途絶え、深い溜め息が洩れるのがわかった。声の若々しさとは裏腹な、疲れきった溜め息。ドールは、真っ黒い深淵を覗きこんだような気がして、思わず身を震わせた。
閲覧の間のひとつ。女王が最も気を遣わずに使用する部屋なので、面会する相手も、ミュルミドン蟻兵などの下っ端に限られていた。現に、市松模様の床の上で、片膝をついてうなだれているのは、蟻兵のオサとおぼしい。オサとは名前ではなく、長官を意味するらしい。
「後々あの者は、我が王国に災いをもたらすであろう」
「しかし、兵をすべて捜索に回すわけには……」
「そなたは、例え話というものを知らぬのか」
「し、失礼を」
「まあ、よいでしょう。一時的にでも撃退したのですから、そなたたち、ミュルミドンの勇敢さは、評価していますよ」
「光栄に存じます」
複眼に覆われているため、「目」の表情はわからないが、オサの声に苦痛のトーンが感じられた。彼女の片腕はまだ再生の途上にあり、ユンバを連ねた包帯に覆われていた。ほかにも、無数の切り傷と打撲傷を負っており、まさに、満身創痍という言葉を体現していた。
「蟻兵の犠牲は、どれほどですか」
「六名が死亡。十三名が重症により隊を離れております」
「そなたこそ、重症とはいいませんか」
「両足を叩き潰されたわけでは、ございませんから。それに男たちを逃した失態が……」
女王が笑い声をたてたので、ドールはまた、びくりと震えた。やはり話し声とは異質な、何千年も生きてきた、妖魔そのものがたてるような。決して広くないこの部屋に、その声は、あまりにも虚ろなこだまを返した。
いったいこの「緑魔宮殿」に、閲覧の間がいくつあるのか、ドールは知らない。女王の小間使いになって二年が過ぎようとしていたが、一度も見たことのない部屋の掃除を命じられることも、珍しくなかった。
サフラ・ジート王国の女王、バブーシュカは、面会という儀式に、異様なまでの執念を燃やした。会う者が変わるたび、面会する部屋を代え、衣装を代えて、自身が最も気高く、美しく見えるよう演出した。
いや、代わるのは、部屋と衣装ばかりではないのだが。
「なかなか旨そうな種だったというでは、ありませんか。妊娠希望の女たちが、さぞ悔しがるでしょう。残りものにありつく、そなたたちも」
屈辱を感じたのか、オサの赤い唇が、かすかに震えた。
「そういう意味で、申しているのではございません。あの男たち、とくに背の高いほうからは、危険なにおいを感じました。何事かたくらんでいるようでしたし、現に、あの男をつけ狙って、例の化け物が現れたとしか、考えられません」
「わかっております。もう、よい。捜索を蟻兵に命じたあとは、そなたも少し休みなさい」
「失われた兵の補充は?」
「繭を作っておきましたから。心配には及びません」
バブーシュカが玉座から立ち上がると、葡萄酒色のマントが、天鵞絨の襞を重たげに揺らした。立ち去りかけて足を止め、女王はドールを見下ろした。美しく、慈愛に満ちた眼差しの奥に、ゾッとするほど、冷たい光がほのめいた。
「オサに新しいユンバを与えなさい。わたくしの医師が、手づから調合した特製の薬草です。ほかの傷も含めて、三日もあれば完治するでしょう」
あとの言葉を蟻兵にかけて、マントをひるがえし、彼女はぶ厚いカーテンの陰に隠れた。すべて、最初から手はずが決められた演出なのだ。ドールはユンバの入った籠を持って、まだうなだれているオサに近づいた。
ドールは、女王に「気に入られなかった」ことを知っていた。気に入られなかったからこそ、こうして生かされているのだと。けれども女王が彼女を家に帰すことは、絶対にあり得ない。生きていたければ、ずっとここで働かなければならないのだ。
いつか「処分」されてしまう、その日まで。