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小奇麗な家である。
優秀な小間使いでも雇ってあるのか、隅々まで掃除と気配りが行き届いている。植木から花壇に到るまで、庭はよく手入れされているし、室内の調度類は、贅沢ではないけれど、趣味のよさをうかがわせた。
控えめにかけられた額縁や、タペストリー。ヤグルマギクの模様のカーテン。淡いグリーンの壁紙などを見るにつけても、住み心地が好さそうだ。上品で教養のある女たちが、ひっそりと暮らしている姿が浮かぶ。そうだ、この家はいかにも女所帯の匂いがした。
ただ奇妙なのは、闖入者のぼくたち以外、家の中にだれもいないことだった。ボレに案内されて、ひととおり、部屋を見て回ったが、だれとも出くわさないのである。毛並みの美しい、一匹の黒猫が、小ホールにうずくまっていた以外は。
「当面は、ここが我々の隠れ家となりますなあ」
呑気そうに、ボレは言うのだ。
「まさか、きみが独りでこの家を調えたわけじゃないだろう」
「ちょいと訳アリで」
いったい、どんなワケがあるというのか。
モグラ殿の趣味が、ここまで繊細だとはとても思えない。ゼモ族は財宝を好むけれど、かれらが棲む穴倉を、飾る習慣はない。ひたすら溜め込んでは、喜んでいるだけなのだ。それに小さいとはいえ、全室を掃除するだけでもボレの手に余るだろう。
かといって、協力者がいるとも考えられない。ボレに女装は不可能。見つかればたちまち八つ裂きにされて、森の肥やしと化すのがオチだ。
ならばこの何を考えているのかわからない、老獪なモグラは、寝込みを襲って、家をまるごと乗っ取ったのだろうか。美しい花壇の下には、哀れな女たちが横たわっているのか。しかし、果たしてここの「強い」女たちが、モグラ一匹の手に易々とかかるだろうか。
「こりゃあ見事なもんだね。反吐が出そうなくらいにな」
二階の一室である。アモン伯爵が、大きなクローゼットを開いて、賛嘆の声を上げたところだ。そこには、女もののドレスが、ずらりと吊るされていた。
「サイズもぴったりですわい」
ボレに言われて気づいたのだが、なるほど大きめと小さめの、二種類のサイズがある様子。小さめのほうは、いやになるけれど、ぼくにぴったり合いそうだ。
ここまで手回しがよいと、不気味極まりない。まるで魔法みたいだ、と、プロの魔法使いらしからぬ感慨を抱いてしまう。ボレにお伽話みたいな魔法が使えるとは、とても思えないが。
午後の日が少しずつ傾きかけていた。もっとも、念のためカーテンは閉めてあるし、そもそも森の梢にさえぎられて、太陽は見えないのだが。窓辺に寄ってくる鳥の動きや、空気の匂いで、それと察せられた。
餌をねだるつもりなのか、いつのまにか黒猫が着いて来ていて、カーペットの上にうずくまり、細めた緑色の目でこちらを盗み見ていた。緋色の細い首輪をつけているが、革よりはずっと硬質で、石にしては弾性のある、不思議な素材でできていた。
「さすがに腹が減ったな。もちろん、食い物も用意してあるんだろう」
考えてみれば、今日は朝から何も口にしていなかった。
蟻人によって、幽閉されていた家から、種を絞る場所へと連行される途中、鉱物人間の襲撃に遭い、ボレの手引きでここまで逃れてきたのだから。腹も減ろうというもの。けれど、ボレは耳を交互に動かした。
「そこまでは手が回りませんで。外で調達する必要がございますなあ」
「カネはあるのかい。この国の通貨がどんなふうになっているのか、知る由もないが」
「あいにく、持ち合わせもございません。なに、魔法使い殿がいらっしゃいますからな。それくらいた易く手に入りましょう」
モグラと伯爵の視線が、ぼくに向けられた。何を考えているのか、だいたい予想できた。ぼくは頬を赤らめたかもしれない。
「任せたぞ美少年。どれを着て行く?」