第52話 妹と夏祭り
まだ少し陽が残っている頃、普段は人の通りもそれほどないその場所には食べ物の匂いが充満し、浴衣の色で華やいでいる。
そう。今日は夏祭りだ。
五織は手に持ったいちご飴をひとくち齧る。
「甘っ」
口に広がる飴の甘さと苺の香りが鼻を通る。
苺自体は少し酸っぱい気もするが、祭りの浮かれでプラマイゼロ――いやプラスだ。
それを理由付けるのは目の前を歩く彼女の姿に他ならない。
彼女の浴衣はネイビー色を主体に大きな白い花が散りばめられたデザインに薄いブラウンの兵児帯がいいアクセントになっている。
加えて、黒の長いストレートヘアは大きな三つ編み束で整えられ、普段は見えない首筋にドキッとさせられる。
その五織の視線を察したのか妹、六叶は五織のシャツの袖を軽く引く。
「お兄ちゃん、さすがに見過ぎ」
「……え。いや……あ。すみません」
「まぁ……わかるけど」
「わかるのかよ」
「だって澪さんも菜月さんも美人すぎない?! 女の私でも惚れ惚れするんだけど」
「俺の横にいないで二人のところ行けば?」
五織の提案に六叶は勢いよく首を横に振る。
「無理無理無理無理無理。あんなところにいたら場違いで――」
「六叶ちゃん! イカ焼き食べようよー」
「ひゃい!」
澪が六叶の手を引くと、六叶は口をぱくぱくさせたまま連行される。
「なんで六叶はあんなに自己評価が低いんだろ」
連行される六叶を眺めつつ、五織は兄心に思う。確かに澪や菜月は美人だが、六叶もそれなりの見た目をしているし、場違いと言うほどではない。
幼稚園や小学校の時もそれなりにモテていたし、澪菜から聞いた話だが、中学でも男子からの告白が絶えないらしい。
「なぁ五織! 俺たちは焼きそばでも買いに行こうぜ」
四暮に肩を叩かれそう言われると、五織は「おう」と返事する。焼きそばに並びに行こうと、チラリと六叶を見れば、少し緊張しいところを見せつつも楽しそうに澪と菜月と喋っているようだった。
その様子を見て、五織は考えるのをやめるとまだ一粒残っていた、いちご飴を齧るのだった。
▶︎▷▶︎
「緑英来るの? いいじゃーん」
「……まだ、行けるかはわからないですけどね」
六叶は頬をかいて自身の進路について話をする。正直、まだまだ学力が足らないため小っ恥ずかしい。
「六叶ちゃんなら全然大丈夫だと思うけどな〜」
「いやいや、全然。私、兄みたいに勉強できないですし」
「今から勉強すれば全然間に合いますよ」
そう淡々と返事したのは菜月だ。美人だが、無表情で何を考えているかわからないため、ちょっと怖い印象を覚える。
「菜月さんって学年一位なんですよね? どんな勉強法をしているんですか?」
五織はこの夏もずっと机に向かっている。そんな五織が勝てないという菜月がどんなことをしているのか単純に気になり問うが、菜月は小首を傾げてキョトンとする。
「わからないことが無くなるまでひたすらやり続ければいいのでは?」
「う……意外と脳筋な回答が」
「あはは。さすが菜月ちゃん」
さすがの澪も少し引いているらしい。一体、どれだけの時間を勉強に費やしているのだろう。
「なんでそんなに勉強できるんですか? 勉強が好きなんですか?」
六叶の純粋な問いに菜月は眉をピクリと動かすと、顎に手を置いた。
「別に勉強は好きではないです……ね――」
続く言葉に躊躇いながらも菜月は表情を少しだけ緩めた。
「今は母の同僚の方にお世話になっている身分なので、高い学費を払ってもらうわけにはいかないんですよ」
柔らかく笑ったその表情に少しの寂しさを感じとり、六叶は口を結んだ。
「……そうなんですね」
そうこうしているうちに順番が回ってくると澪がイカ焼きを買って手渡してくる。
六叶はお礼を言ってそれを受け取ると頭をひとつ齧る。醤油の焦げた香りが鼻を通るが、焦げた部分だけを食べてしまったのか、少し苦く感じた。
▶︎▷▶︎
「遅えなお嬢。何やってんだろな」
陽も落ちきると、会場は更に賑やかになっていた。今日はこの後花火も上がる予定だ。見物客も増えてきたのだろう。
五織達は公園の東屋で休憩し、一人遅れる橘二麻を待っていた。どうやら急用ができてしまったらしく、遅れて来るとのことだった。一応、花火には間に合わせるようにするからと言われているが、その時間もちょっとずつ近づいていた。
「でも8時までまだ一時間あるし大丈夫でしょ」
「そうだね。あ、ちょうどタイミング良く」
そう言って遥は自身のスマホの画面を向けてきた。グループラインに「今から行く!」と二麻から返事があったのだ。
それを見て皆、ホッとしていると、背後から声がかかった。
「五織くん?」
「皇さん」
五織が振り返り、顔を合わせると皇奏乃はとびきりの笑顔を向け、こちらに向かってきた。
奏乃も浴衣を着ていて、くすんだ水色を主体にし、パステルカラーの紫の花が散りばめられたデザインだ。髪も柔らかくウェーブがかかっており、とても似合っている。
「良かったぁ。花火始まる前に会えた」
奏乃は五織の前に辿り着くとホッと胸を撫で下ろす。彼女の後ろには数人の女子がおり「綿菓子並んでるからー!」と声をかけてその場を離れていった。
「奏乃ちゃん、やっほー!」
「あ、澪ちゃん。こんにちは」
澪が五織の後ろからヒラヒラと手を振ると奏乃も手を振り返した。
いつの間に名前で呼び合う仲になったのだろうか。と五織が思っていると、奏乃は恥じらうように自身の後ろに手を回すと上目遣いをして尋ねてくる。
「……えっと、五織くん。どう……かな?」
「すごい可愛いと思うよ」
素直にそう言うと、奏乃は更に顔を赤らめた。
その表情に思わずドキッとさせられてしまい、視線を逸らすと今度は妹の痛い視線が突き刺さる。
「……なんだ六叶」
「べーつにぃー。モテモテだなぁと思っただけですよ」
ツンとした態度で六叶がそう言うと、奏乃が五織の袖をちょんちょんと引っ張る。
「えっと……五織くんの妹さん?」
「あ、うん。妹の六叶」
六叶の方に手を向けて紹介すると、奏乃は六叶の近くに行ってぺこりとお辞儀した。
「皇奏乃です。よろしくお願いします。えっと……六叶ちゃん」
すると、六叶は座っていたベンチから急に立ち上がる。
「六叶です。奏乃さん、良かったら、その……座ってください」
「え? ありがとう。でも六叶ちゃんも疲れてるでしょ。大丈夫だよ?」
「いえいえ、私は浴衣じゃないんで、座ってください!」
「そう? お気遣いありがとう」
奏乃はニコッと笑うとそこに腰を下ろし、隣にいた澪と喋り始めた。
そして六叶はすぐさま五織の元にやってくると、コソコソと耳打ちしてきた。
「また美人が召喚されたんだけど! 近くで見たらめっちゃ可愛いんだけど何なの?」
「何なのと言われても……」
「しかもお兄ちゃんのことめっちゃ好きってオーラ出てるんですけど、何なの? 女の敵なの?」
「それは――」
返答に困っていると、またしても背後から声がかかる。
「こんなところにいたんだ」
五織が振り返ると、「よっ」と小さくを手を挙げたのは周防一縷花だ。
彼女は浴衣風にアレンジされたワンピースを着ていて、高身長でスラリとした一縷花によく似合っている。可愛いというよりはカッコいいという印象だ。
後ろにいる女子は同じダンス部なのだろうが彼女達は普通の浴衣なため、一縷花らしいファッションということなのだろう。
「遥くん、どう? 浴衣風にアレンジしたんだけど」
一縷花は即座に遥の元に寄るとそのワンピースをヒラヒラと見せる。
「え? 手作りなの? すごい可愛いよ。似合ってる」
「……ありがと」
遥が屈託のない笑顔でそう言うと、一縷花はモジモジと顔を赤らめる。そのやりとりを見ていると、また六叶が耳元で囁いてくる。
「遥さんの彼女?」
「うーん……そんなところ?」
付き合ってるかは知らないが、五織もお似合いだと思うので否定はしないでおく。
「四天王揃い踏みだな」
四暮が五織の横に来てそう言うと、五織は「シーッ」と口元に指を添える。だが、六叶は目を細め、四暮の言葉を聞き返す。
「四天王とは? 四暮さん」
「緑英一年生の美人四天王。あ、でももう一人いるんだっけ?」
「木野さんには会ったことないけどね」
いつの間にか菜月がその輪に入ってしまっているのが五織は気になるが美人なのは間違いないため否定しない。
「緑英レベル高いよ……お兄ちゃん」
多分、お前も二年後にはそう呼ばれているよ。と兄心に思うのだった。
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奏乃や一縷花と合流し、写真会が始まったため、六叶はお手洗いに行くと言ってその場を離れた。
手洗いを済ませてスマホを見ると、まだ30分ほど時間がある。戻っても美人四天王に圧倒されて疲れてしまうため、道の端の段になっているところに腰を下ろした。
「強い人だよなぁ……菜月さん」
思い出すのは、イカ焼きに並んでいた時の菜月との一幕。
無表情が少し和らいで見せた笑みと儚さは彼女の強さも裏付けていた。
小さい頃から兄と比較し、自分に自信が持てない六叶とは真逆の存在。そのことがあまりにも眩しく感じた。
――きっとそういうところに兄は惹かれたのだろう。
兄の口から聞いたわけではないが、兄が長らく、しつこく追っている人がいることは知っていた。
わざわざ気にしたこともなかったが、会ってみて話して確信した。
「まぁ、奏乃さんでも澪さんでもいいけど」
恋愛感情云々の話を出せば、他の人でもいい。みんな良い人で、みんな可愛い人達だった。
「あーあ。後に引けなくなってきた」
六叶はグッと背を伸ばす。
今日、ここに来た目的は緑英高校を受験する決意を固めるためだ。緑英がどんなところで、どんな人がいるのか。それが気になったのだ。
「あの人達の後輩になりたいなー」
少ない言葉を交わしたくらいだが、そう思うほどに兄の友達には良くしてもらった。
うん。と自分の決意を固めるように頷くと、六叶は公園に戻ろうと立ち上がる。
すると、向かいからコチラを見てニヤニヤとする男の集団が近づいてきた。
「こんなところで何してるの?」
声をかけられ、六叶はハァとため息をつく。せっかく良い気持ちだったのにナンパされるとはついてない。
「人待たせてるんで」
そう言い切って、六叶がその場を離れようとすると、グイッと腕を掴まれる。
「痛っ……」
「まぁまぁそんなこと言わずにさ。俺ら男だけでつまらなくて」
「知らんがな」と言いたいが、力が強くて振り解けない。
「ほら、あっちに人気のない良いところがあるから。来なよ」
「っ――! やめ――」
腕を引かれ連れていかれそうになるのを必死に抵抗するも、声は祭りの騒がしさにかき消える。
「お兄ぃ――」
「おまわりさーん! こっち〜!」
突如声が響くと、男達は慌てて六叶を解放し、その場から逃げる。その後をすぐに警察が追って行った。
途端、緊張と恐怖から解放され、その場に頽れた六叶の前に手が差し出される。
「大丈夫ですか?」
手首にはピンク色のシュシュがチラつき、指先には綺麗なネイルがされている。
六叶は小さく頷くと、その手を握って立ち上がった。
「ありがとう……ございます」
「いえ、当然のことをしたまでです……違う。口調が戻らん」
そう言って相対した彼女は自身の頬を摘んでそう言うと、ごほんと咳をする。
「えっと、もし良かったら友達のところまで送るけど?」
偽装ギャル。橘二麻はニコッと笑うと、そう口調を砕いて提案した。
お読みいただきありがとうございます!
夏休み編と銘打ってはいますが"妹"がキーワードでもあるこの四章。六叶、澪菜、そして二麻と。意外と妹が多い……




