第51話 妹ということ①
――繰生六叶は繰生五織の妹である。
それは紛れもない事実であり、覆すことのできない現実だ。六叶の立場から言わせれば、それはもはや呪いとも呼べる事実である。
さて、繰生五織もとい、兄と言えば、頭脳明晰、運動、芸事や美術、音楽の才もありながら、その癖、人当たりも良いという天才を絵に描いたような人間。と言うのが他人から見た評価だろう。
だが、繰生六叶もとい、妹の立場で言えば、兄を天才と呼ぶのは間違いだ。
天才になろうとする、ただの負けず嫌いの凡人。それが兄である。
もちろん、なんでも努力すればある程度の実力がつくのは天から授かった才能と言えるが、兄は器用な人間と呼ぶには相応しくなかった。
――でもだからこそ。だからこそなのだ。
兄が天才であったなら、妹はこんなに苦労していない。だって天才なら比較されたとしても『天才だから』で済ませられるからだ。
圧倒的な差を目にした時、人はそれに対して対抗する気を無くしてしまうように、兄が天才であったなら妹は自分は『凡才だから』と片づけることができる。
だが、兄は凡才だった。
ただし、同じ凡才であっても妹と違うと言えるのは、兄は『負けず嫌い』だったということだ。
確かに兄は幼少期から優秀な成績を収めてきた。だが最初からなんでもできたわけではない。
『〜くんはもっと上手に出来てた』
『〜ちゃんはもっと上手に出来てた』
そう言いながら、机に向かっていた姿。ボールを蹴り続けてた姿。バットを振っていた姿。早朝から走っていた姿。お風呂で歌っていた姿。絵を描いていた姿。ギターのコードを練習していた姿。プログラムを組んでいた姿。母に料理を習っていた姿。
数えればキリがないほどのそうした姿を妹は見てきたのだ。そして、いつの間にか兄は人に『天才』と呼ばれる人間へとなっていた。
ただ一点『負けず嫌い』でなかったために妹はそのまま置いていかれ、いつしか兄と比較されれば『凡才』は『出来損ない』へと評価されることとなった。
そんな状況に妹は抗おうとした。特に大きなもので言えば小学生の時のあの出来事だろう――。
▶︎▷▶︎
小学四年生になった頃だったか。クラスの友達から言われた一言がきっかけだった。
『六叶ちゃんって五織さんの妹なんだね』
当時、その言葉の意味を深く考えることはなかった。当然、兄が兄であることは当然の事実であり、兄の妹が自分であることを否定する必要などない。
六叶はもちろんそれを肯定したが、その言葉の後に続いた言葉は『だからか』だった。
それまで六叶はクラスで一番というわけでもないが、勉強も運動もそこそこ出来る。という部類であり、それなりの成績を収めていた。
だが、その『だからか』という言葉はそれから呪いのように六叶にまとわりつくようになる。
どれだけ良い成績を出したとしても、繰生五織の妹『だからか』で片づけられ、少しでも悪い成績があれば繰生五織の妹『なのに』とまるで自分が落ちこぼれのように扱われる。
六叶がどれだけ努力したとしても繰生五織の妹『だから』と評価されることがなくなり、次第に六叶は全てのことがどうでも良くなった。
兄がいる限り、自分は天才でいることが当たり前になるのだと。そう気づいた六叶は途中で諦めることが多くなり、遂ぞ『出来損ない』の烙印を押されてしまった。
だが、一度その烙印を押されてしまえば楽だった。
最初の頃は先生から「どうしたの?」「兄のように頑張りなさい」と言われるのがウザくてしょうがなかったが、一年も経ち、諦められて本当に『出来損ない』になるとそうやって言ってくる人間もいなくなったからだ。
でもそれも一時でしかなかった。
六叶は気づいたのだ。もしこのまま兄と同じ中学へと通えば同じことになると。だから、六叶は両親に提案した。
「私立の中学に行きたい」
それから両親はすぐに動いてくれて、六叶は塾へと通うことになった。
しかし、その塾は兄が辞めた塾だった。考えてみれば当たり前だろう。兄が入っていた塾なら色々と安心できるし、手続き諸々も慣れたものだ。
結果、そこも繰生五織を知る者ばかりで六叶は呪いは続くばかりだった。
だが、六叶はそこでは諦めなかった。ここで諦めてしまえば、また中学で三年間という長い間呪いに付き纏われるのだ。そう思うとこの塾という短い時間なら頑張れる気がした。
そうしてまた一年。とうとう六年生になった六叶だったが、成績は思ったようには伸びなかった。
というのも、四年生から塾に入るまで勉強をサボり続けていたために、基礎がかなり抜けてしまっていたこと、加えて勉強への意欲がなかなか湧かず、勉強する癖をつけるのが難しかったのだ。
だが負けじと六叶は頑張っていた。
そして、夏の判定模試でとうとう志望である星蘭女子学園にA判定が出た。
「……やった」
ようやく努力が報われたと六叶はその判定模試の紙を握り締める。もちろん、ただの判定ではあるものの、目に見えて努力の成果が出たのだ。嬉しくないわけがなかった。
その上機嫌のまま六叶は家に帰ると、早速とばかりに両親に見せつけた。
「すごいじゃない! 六叶!」
「おお、すごいな」
二人とも手をあげて喜んでくれた。
出来損ないとまで言われ、しばらくずっと両親には心配をさせてしまっていた。「だからもう心配しなくて大丈夫」と六叶は口を開こうとした――。
「ほら、六叶は大丈夫って言ったじゃないお父さん。やっぱり努力できるところも五織譲りなのよ〜」
「――――」
開こうとした口がキュッと結ばれ、胸にはグッと痛みが伴う。何かが割れてしまったと。そう表現できるほどの心の痛みが喉から出ようとしたモノを塞ぐ。
――気づけば六叶は家を飛び出していた。
壊れそうな感情を振り落とすように無我夢中で駆けた。目的地なんてない。ただ、あの場所にいたらもう自分はどうにかなってしまうと、そう気づいて逃げたのだ。
涙がどんどん溢れて、揺れる視界がさらに悪くなる。それでも六叶は走り続けた。
呪いから逃れようと、呪いから逃れようと、呪いから逃れようとしたのに。どうしたって兄の妹は私で。何をしたって兄の妹『だから』なのだ。
だって"努力"すらも兄のものだと言われたら、一体自分は何なのか。
繰生六叶は"繰生五織の妹"でしかないのだった。
▶︎▷▶︎
――辿り着いた先にあった公園。結構走ったのだろう。見覚えのない場所だが、六叶はそこにあったブランコに乗ってゆらゆらと揺れていた。
既に日は落ちているし、人通りも少ないその場所で六叶は空に浮かんでいる星をじっと見つめる。
そうして、どれだけ時間が経っただろうか。
もう、来た道はわからないし、何も持たずに家を飛び出してきたから時間も場所も何もかもわからない。最初はそれが心地良かった。もうどうなったって構わないと自暴自棄になっていたから。
だが、お腹が空いて音が鳴ると、だんだんと寂しさへと変わっていくのに気づく。
何でこんなことをしてしまったのかと我に帰らざるを得なくなり、引っ込んだはずの涙がポロポロと溢れた。
「……帰り――」
「六叶!!」
キィ――っと急ブレーキの音が鳴り、六叶は顔を上げてその方向を見る。
「……おにぃ――ちゃ……」
そこにいたのは兄、繰生五織だった。兄は焦っていたのか自転車がなかなか停められないようで結局、雑にその場に倒して、そしてこちらに向かって駆けてきた。
Tシャツは汗だくになっていて、あちこち捜し回っていたのだとわかる。
兄と目が合うと兄はホッとした表情を浮かべて、次にはニコッと笑った。
――ああ。
知っている。兄はこういう人間なのだと。
不格好に、必死に、誰かを助けられる優しい人だ。天才とか凡才とかそれ以前に、繰生五織という人がこういう人なのだと六叶は気づいた。
兄はやっぱり"お兄ちゃん"なのだ。
――暗い夜道に二人乗りしている自転車。少しの不安を覚えるが、ハンドルを握る兄の背中を見ると不思議と怖さはなかった。
「ちゃんと掴まってろよ」
「お兄ちゃん、汗だくだから無理」
「お前……誰のせいでこうなってると……」
「知らないしー」
そう悪戯に笑いながら、兄の服の裾に掴まる。
謝罪は遂ぞできなかった。ありがとうとも言えなかった。だって、こうなったのも元を辿れば全部兄のせいだ。だから謝りもしないし、お礼も言わない。
お兄ちゃんに言えることはただ一つ。
「お兄ちゃんなんて大嫌い」




