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始められない男 1

 ノルエナは戸惑っていた。

 女の革命を起こすべく、まずは同志たりえるであろう同性の面々へ伝をたどって内密に話をもちかけているのだが、反応が一向にかんばしくないのである。


 急進的な思想家であるノルエナの父、つまりレボニュー伯爵はかつての内乱当時、革命派の連中に対して保護や援助を意欲的におこなったため、屋敷には密かに匿われた血気盛んな男たちが多く出入りしていた。

 ノルエナが育ったのは、そのような環境のなかである。

 自然、ノルエナの人格や思考の形成において、かれらの影響はおおきい。


 女の身で聡明すぎる頭脳をもってしまったことは、この国においてはむしろ不幸ともいえる。

 ノルエナもまたその例にもれない。

 幼いころから国をどうすべきかという議論ばかりを耳にしつづけたおかげで、ノルエナは長じるとともにその議論に関する自分なりの答えを見つけはじめていた。いわば政見である。

 しかしいざ発足した新政権のなかにノルエナがおのれの意見を堂々と国家に向けて発言する場などはなく、議会も議論も、およそ政治と名の付くものはすべて男のものであった。


 要するにノルエナの思想は、究極的には女性の国政参加にある。

 かねてから女性の権利を唱える者はいたが、結婚や離婚についての女性の不利を訴えるもので、男性に従属する立場への積極的な否定ではない。

 が、ノルエナはそれすらも飛び越え、能力があれば性別に関わらず国の運営に直接携わるべきで、平たく言えば女性の地位向上と社会進出をつよく肯定していた。


 ノルエナは、しょせんは世間知らずの箱入り令嬢なのであろう。

 女性であれば十人中十人が、必ずこの案に賛成してくれると無邪気に信じこんでいた。

 しかし現実には見向きもされず、それどころか教養ある年配の夫人などからあからさまにたしなめられる始末である。

 こういうときにこそライヴァンに相談したいのだが、あいにくと彼はいま国内にいない。


(なぜ、伝わらないのかしら)

 途方にくれかけたそのとき、むしろ男性のなかから、ノルエナの思想に共鳴する者があらわれた。



 場所は、屋敷の客間である。

 向かい合わせになって座る背後には、たがいの侍従たちがそれぞれ控えている。

 彼はすでに暗礁に乗り上げかけているノルエナの活動の噂を、どこかから聞きつけてきたらしい。


「あなたの行動は粗略だが、意見自体はなかなかおもしろい」

 辛辣な物言いで同調してみせた若者は、セビウルという。

 歳は二十代の半ばといったところだろうか。苦味のある怜悧な顔立ちはいかにも才気があり、おいそれと顔色を変えないためにつねに態度が涼やかで、めったに物事に動じない。

 ライヴァンが所属する新設の外務省において、錐のように鋭い論説と、情勢の把握能力の高さで頭角をあらわしはじめた仕官であった。

 以前にライヴァンの仕事の関係で何度か屋敷を訪れており、その点、一応の顔見知りとは言えるであろう。


「粗略でしょうか」

 図星を遠慮なく指摘され、ノルエナはうなだれた。

 セビウルが愛想なくうなずく。

「いきなり設計図だけを投げつけたところで、素人に船は造れませんよ。造船にしろ運航にしろ、それなりの知識も技術も必要です」

「設計図? ――」

 まるでわかっていない様子で反復するノルエナに、セビウルは(たと)えを変えた。

「菓子を焼いたことはありますか」

「ええ」

「粉は練らなければ生地にならず、生地にならなければ形もつくれない。そういうことです」


 返答までにやや間があった。

「――つまり、わたくしの意見が通るための下地がまだできていないということですね」

「そのとおりです。なぜならこの国の女性の大半は、あなたのように聡くはない」


 これには、ノルエナは即座に反論した。

「聡い、聡くないという問題ではなく、もっと根本的な――環境がわるいのです。わたくしは恵まれていました。お父さまのおかげで一般的な教養以上のものを学ぶことができましたし、いま新政権に携わっていらっしゃる方々のうちの幾人かは、わたくしを子ども扱いせず、わが国や世界のことを惜しみなく教えてくださいました。そのような環境が(みな)にもあれば、きっと」

 いきおいよく話していた言葉はやがて速度をゆるめ、一言一言を考えこむようにしてゆっくりと繋がってゆく。

 いつの間にかノルエナは顎に手をやり、伏し目がちに、頭のなかを整理しながら喋っていた。

 めまぐるしく思考が回転する。とっかかりさえ見つけてしまえば、絡まった糸をほどくための一本を見つけることは容易い。

 セビウルは余計な口を挟まず黙っている。

「環境。環境がわるいのだわ。男のかたのように自由に学ぶ場も、その機会もないのだもの。女だという理由だけで制限されるのは可笑しいことなのに、だれもそれを疑問におもわない。知らないからだわ。考えたこともないのね。わたくしがそう育ったように、正しい先生がまわりにいてくださればいいのに……」

 ゆっくりとまばたきをし、ノルエナはセビウルを見上げた。

「学びたいとおもうすべての者に門を開く場所が必要ですね。それも、できるだけ早く」


 無愛想だったセビウルがそこではじめて表情を溶かし、唇に微笑をふくませた。

 鋭利な印象のつよい男だが、目元をやわらげると妙な甘さがただよう。

「助力しますよ」

「まあ。セビウルさまが助けてくださるなら心づよいわ。百人力ですね」

「とんでもない。それよりも、あなたです。あなたは聡明な人だ。僕がいままで出会っただれよりも」

 そのことばに込められた熱に、ノルエナは鈍感であった。


 そこへ、セビウルはあえてたたみかけるようにして言う。

「ライヴァン殿の女遊びがなくなったと、外務省ではもっぱらの評判ですよ。あのライヴァン殿が奥方に骨抜きにされ、愛妻家に変貌したと」

 骨抜き。愛妻家。

 意味を理解しかねる単語がならび、ノルエナは首をひねった。

 そのうしろで控えている侍従たちが僅かに警戒の色をみせる。

「それなのにあなたは養子をとりたがっていて、それをライヴァン殿が躍起になって拒否している。世間はあなたが子を産めない体なのだと噂しているが、ちがいますね。理由も原因も、もっとべつのところにある」

 セビウルはそこでことばを切り、ノルエナの瞳を覗きこんだ。

「僕はずっとライヴァン殿が羨ましかった。憎くもありましたよ。でもいまは気分がいい」


「セビウルさま、おそれながら」

 と嘴を挟んだ侍従長の声を受け、セビウルは呆気なく立ち上がった。

「失礼。――そろそろ帰ります。ライヴァン殿がご不在のときにあまり長居するのは良くありませんからね」

「でも、またすぐにでもお会いしたいわ」

 おもわずノルエナが言うと、侍従たちはぎょっとした顔をし、セビウルは眼をみはった。

 もっともノルエナにすれば、新たな同志であるセビウルと語り合いたい内容はいくらでもあり、いまもまだその興奮が残っているだけで、他意はない。

 セビウルもそれがわかるだけに、苦笑した。

 しかし同時に、つけいるのならここだ、ともおもった。

「僕も、あなたに会いたい。いつでもそうです」


「いつでも? ――」

 さすがにノルエナも笑った。

「そこまでご賛同いただけるなんて、光栄ですわ。つぎにお会いするときまでにわたくしも考えをよく煮詰めておきます。それに、もうすこし人数がいたほうがよいようですね」

「心当たりはありますから、声をかけておきましょう」

「ありがとうございます。本当に、なにからなにまで。セビウルさまのおかげで、ようやく道筋がみえたような気がいたします」

「これからですよ、大変なのは」

 さきに手を差しのべたのはセビウルのほうである。

 色気のないかたい握手を交わし、ノルエナはわざわざ玄関口まで足を運びセビウルを見送った。


「セビウルさまは良いかたね」

 ノルエナのつぶやきに侍従長は曖昧にうなずき、ひそかに心因性の胃痛をおぼえるのだった。

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