消えた灯台の光
その夜、灯台の光が消えた。
リネアが異変に気づいたのは、見回りのため螺旋階段を上っていたときだった。窓から見える海は黒く、沖を行く船の灯りが三つ、規則正しく揺れている。その向こうで、いつもなら六十息ごとに岬の先を照らす光が、二度続けて現れなかった。
彼女は階段を駆け上がり、灯火室の扉を開けた。
灯油の匂いがする。燃料は十分にあった。芯も切れていない。炎は小さく揺れていたが、消えてはいなかった。
「光源は生きている……」
リネアは窓の外を見た。炎の正面にあるはずの反射板が、わずかに左へ傾いている。普段なら海の中央へ向けられている光が、岬の岩壁へ逃げていた。
彼女は反射板の留め具に指を触れた。金属はまだ冷たくない。誰かが今夜、角度を変えたのだ。
背後で足音がした。
「何が起きました」
セドだった。片手に外套をつかみ、もう片方の手には灯りを持っている。彼は息を整えながら灯火室へ入り、消えた海の方角を見た。
「灯油ではありません。反射板が動かされています」
「故障では?」
「故障なら留め具が緩む方向は一定です。これは工具で締め直した跡があります」
リネアは留め具の脇に残った細い傷を示した。暗い鉄に、銀色の粉が付着している。
セドはしゃがみ込み、傷を確かめた。
「誰かが意図的に光を外した」
「一晩だけなら、船を迷わせるためでしょうか」
「あるいは、迷わせたことを事故に見せるためです」
その言葉に、リネアの胸が冷えた。灯台の光は、船にとって道標であると同時に、港が安全を保証する証でもある。光が消えた夜に事故が起きれば、誰も反射板の角度まで調べない。灯油の不足か、灯台守の怠慢だと決めつけるだろう。
「港務局へ知らせます」
セドが立ち上がった。
「待ってください」
リネアは窓辺へ寄った。海面に、かすかな白い筋が見える。沖の船が進路を変えたのだ。だが、南東風が入り始めている。岬の外側から押された水は、明け方には湾の底へ回るはずだった。
「今夜、光が消えたことを知っていた船がいます」
「なぜそう思うのです」
「この時間に岬の外を通る船は、光が見えないと予定の水路へ入れません。なのに、あの船は進路を変えた。最初から異変を予想していたか、誰かから知らせを受けていたのでしょう」
セドは沖の灯りを見つめた。
「灯台の内部に協力者がいる」
「バルドを疑っているのですか」
「まだ誰も疑っていません。ただ、外から反射板を動かすには鍵が要る。管理所の鍵を持つ者は限られています」
リネアは黙って灯火室を見回した。床には細かな砂が落ちていた。灯台の階段は乾いている。誰かが海側の作業通路から入ったのだろう。靴跡は一つだけだったが、踵の外側が深く沈んでいる。
「この靴の持ち主は、右足に力をかける癖があります」
セドが目を細めた。
「そこまで分かるのですか」
「潮の跡を読むより簡単です。砂の粒が違う」
リネアは床の砂を紙に包んだ。粒の間に、赤い塗料の欠片が混じっている。灯台の塗料は白だった。港で赤い塗料を使う場所は、船の修理場か、商会の倉庫くらいしかない。
二人は階下へ降り、管理所の記録棚を調べた。鍵の貸し出し簿には、今夜の記載がなかった。だが、昨日の夕方、港の倉庫番が灯台の点検を理由に合鍵を借りたという古い記録が残っていた。
「倉庫番は誰ですか」
「南岸商会の雇い人です」
セドの声が低くなった。
南岸商会は、湾の外れに新しい遊覧船用の桟橋を造ろうとしている有力商会だった。彼らは観光客を乗せた船が、岬の外側を回る短い航路を使えると宣伝している。しかしリネアの記録では、その航路は潮と風が重なる時間帯に最も危険になる。
「商会が灯台を消して、事故を起こそうとした?」
「事故が起きれば、古い航路は危険だと主張できます。新しい桟橋と、彼らが売る航路図が必要だと言える」
「そんなことのために、船を危険へ送るのですか」
「彼らにとっては、船の損失より計画の利益が大きいのかもしれません」
リネアは拳を握った。自分の記録を奪った者たちと同じだ。数字の向こうにある人の命を見ず、都合のよい結果だけを成果と呼ぶ。
そのとき、外から鐘の音が響いた。見張り台の警鐘ではない。港の小舟が、浅瀬へ近づいた合図だった。
リネアは窓を開けた。黒い海の上で、小さな灯りが左右に揺れている。
「光が戻っていません」
「反射板を直すには、船を誘導しなければ」
「私が行きます」
「危険です」
「だからこそ、私が必要です。あの船は今、表面の流れだけを見れば安全な方へ進んでいます。でも底の流れは逆です。舵を切る時刻を間違えれば、岩へ寄せられる」
セドは一瞬、彼女の顔を見た。それから迷いなく外套を羽織った。
「二人で行きます。あなたが航路を示し、私が船長へ伝える」
「命令に従える船長ですか」
「従わせるのが監査官の仕事です」
灯火室へ戻る前に、リネアは壁の記録板へ時刻を書き込んだ。
反射板の角度変更、夜半前。灯油、異常なし。海上の船、一隻。
その下に、セドが署名した。
灯台の光はまだ海を照らしていなかった。それでも二人は、消えた光の代わりに、記録と声で船を導くことができる。階段を下りる足音が重なる。
港の暗がりには、彼らの知らない手が動いている。
そしてその手は、南岸商会の印を隠しきれずにいた。




