告白
シャッター音が、やけに大きく響く。
スマホの画面に映る自分を、零は息を止めたまま見つめる。
紺色のブレザー。
少しだけ丈の短いスカート。
太ももに触れる布の感触が、現実じゃないみたいに軽い。
そして――白いブラウスの内側にある、柔らかい違和感。
「……やば」
声が漏れた瞬間、自分が何をしているのかを強烈に理解する。
姉の制服。姉の下着。
ずっと、やってみたかった。
ただ“着る”だけじゃなくて、“似合うかどうか”を確かめたかった。
かわいいって、思えるかどうかを。
誰にも見せるつもりはなかった。
ただ、自分の中だけで完結するはずだった。
――そのはずだった。
ガチャ。
玄関の音。
「……っ!」
血の気が一気に引いた。
今日、帰り遅いって言ってたはずだろ。
慌ててスカートの裾を押さえた瞬間、足がもつれて、椅子にぶつかる。
ドン、という鈍い音。
「……零?」
聞き慣れた声が、廊下から近づいてくる。
終わった。
終わった終わった終わった。
頭の中がそれで埋まる。
逃げる?無理だ。
脱ぐ?もう間に合わない。
ドアノブが回る音がやけにゆっくりに聞こえた。
そして、開いた。
「――」
沈黙。
時間が、止まる。
姉の視線が、上から下までゆっくりと零をなぞる。
ブレザー。スカート。足。手。顔。
最後に、スマホ。
画面には、さっき撮った自分の姿。
「……」何か言われる。
気持ち悪い、とか。
最低、とか。
当然だ。これは普通じゃない。
喉が、動かない。
でも…
「……なにそれ」
凛は、少しだけ首を傾げたあと、ふっと、笑った。
「めっちゃ可愛いじゃん」
「……え?」
理解が追いつかなかった。
「いや、普通に。似合ってる。びっくりした」
笑いながら、近づいてくる。
逃げることもできず、零はその場に固まったまま。
「ていうかさ」
凛は、零のスカートの裾を軽くつまむ。
「ちゃんとサイズ合ってるの、ちょっと悔しいんだけど」
「……ごめん」
反射的に出た謝罪に、凛は少しだけ眉をひそめた。
「なんで謝るの?」
「……だって」
「これ、悪いこと?」
まっすぐ聞かれる。言葉が詰まる。
悪いかどうかなんて、考えたことなかった。
ただ“隠さなきゃいけないこと”だと思ってた。
「……別に、いいじゃん」
あっさりと、肯定される。
「やりたかったんでしょ?」
「……うん」
「じゃあいいじゃん」
その一言で、胸の奥に張り付いていた何かが、ゆっくり剥がれた。
こんなに簡単に、許されると思ってなかった。
「ねえ」
凛が少しだけ楽しそうに言う。
「せっかくだしさ」
「……なに」
「メイク、してあげよっか」
「……は?」
「もっと似合うように」
心臓が少しだけ跳ねる。
「……無理だろ」
「なんで」
「……怖いから」
正直に言う。
どこまで行くのか、自分でもわからなくなる気がした。
「……嫌?」
試すような声。でも、引く準備もしている。
「……やってみたい」
小さく言うと、凛はすぐに笑った。
「よし」
椅子に座らされる。鏡の前。
「じっとしてて」
「……うん」
距離が近い。思ったよりも近い。
凛の指が、頬に触れる。
ひやっとした感触のあと、すぐに体温が乗る。
「まず下地ね」
「……下地?」
「これでだいたい決まるから」
ゆっくり、均されていく。
顔が、“作られていく”。
「目、閉じて」
言われるまま閉じる。
まぶたに、柔らかい筆。さらさらと動く。
「……くすぐったい」
「我慢」
短く返される。
「ねえ」
凛が、少しだけ真面目な声になる。
「零ってさ、こういうのずっとやりたかった?」
「……うん」
迷わず答える。
「ちゃんと“なれる”気がするから」
少しだけ、沈黙。
「……いいね、それ」
優しい声だった。
「はい、開けていいよ」
目を開ける。鏡を見る。
「……」
言葉が出ない。
そこにいるのは、さっきまでの自分じゃない。でも、別人でもない。
“なりたかった自分に近づいた自分”。
「……すご」
「でしょ」
凛が言いかけて――
「……」
止まる。鏡越しに、目が合う。
ほんの一瞬だけ。凛の視線が、揺れた。
見ている、じゃない。
見入っている。
「……凛?」
呼ぶと、はっとしたように瞬きをする。
「あ、いや……」
軽く咳払い。
「普通に似合ってるなって思って」
いつも通りの声。でも、さっきの“間”だけが残る。
「……なにそれ」
零は少し笑う。
でも、胸の奥が少しだけざわついていた。
「ねえ」
凛が、少しだけ声を落とす。
「実はさ」
言いにくそうに、でもどこか楽しそうに。
「私も、あるんだよね」
「……なにが」
「逆」
「……え?」
「男装。ちょっと興味ある」
空気が、一瞬で変わる。
「……は?」
「いや、ほら。スーツとかさ。かっこいいじゃん」
そう言って、凛は零のブレザーの襟を整える。
「だからさ」
にやっと笑う。
「お互い様ってことで」
その瞬間、わかった。
これは“許された”んじゃない。
“共犯”になったんだ。
それからの日常は、少しずつ変わっていった。
最初は、家の中だけ。
お互いの服を交換して、鏡の前で立つ。
「ねえ、それネクタイもうちょい締めた方がいい」
「零もスカート上げすぎ。見えてる」
「見えてない!」
「見えてる!」
くだらないやり取り。
でも、その時間がやけに楽しかった。
“自分じゃない自分”になれる感覚。
そして。
「……ねえ」
ある日、凛が言った。
「外、行ってみない?」
「……は?」
「このまま」
一瞬で、心臓が跳ねる。
「無理に決まってるだろ」
「じゃあさ」
スマホを見せてくる。
そこに映っていたのは――
「コスプレイベント⁉︎」
「ここなら普通でしょ?」
確かに。
そこでは、“違う自分”でいることが前提だ。
隠れる必要も、誤魔化す必要もない。
「……」
怖い。
でも、やってみたい。
その気持ちの方が、少しだけ強かった。




